見出し画像

仏領インドシナ-植民地解放闘争を支えたベトナム任侠(にんきょう)の存在

 最近急激に日本の治安が悪化してるのは、もう気のせいじゃないですね。高齢者宅に押し入り、強殺・殺傷して金銭を強奪するなど、計画的に社会的弱者の高齢者を狙う事件は完全に一線を越えたモラルの崩壊で、ひと昔前の日本では滅多に聞かなかった凶悪事件が頻発してます。

 しかし、強弱は違っても、何時何処の世界にも常に存在して来たのが『裏社会』です。昔の日本では『任侠』 ⇒ 『 ヤ〇ザ・暴力団』(私の子供の頃。。)⇒  最近は『反社(反社会的勢力)』という新名称に変更になった模様。。。折角、日本の治安を善くしようと平成4年に『暴力団対策法』が施行されたと言っても、これはもう時代遅れかと。。。😅 法律も『反社対策法』に看板変えないと、時代変化に追いつけて無い気がします。。
 ”いや、任侠、暴力団と反社は違うんだー!” という意見があると思います。私の様な堅気の人間には判らない、細かい住み分けもあるのかも。。

 それで思い出したのは、戦前に仏領インドシナと呼ばれたベトナム独立運動家、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)氏の自伝書『獄中記』と『自判』には、反フランス植民地闘争の同志として『市井の任侠人』の存在が書かれてたこと。⇩

 「私が30余歳となった頃には、全国の勤王党はすでに相次いで壊滅し、僅かに羅山の潘廷逢(ファン・ディン・フン)公一人が最も久しくその力を維持しておりました…、(中略)もはや一声を挙げる者なく、新党の萌芽未だ絶えて、私は累年同志を集め、諸人と相結び、社会の声望も従前よりはずっと増しておりました。
 …これより先、私は緑林の諸雄と、勤王の残党を駆り集めて、乂静(ゲ・ティン)地方に独立の旗を挙げようと思ったので、そのため、一時博徒浪人の徒と親交を結んで、例えば潘相(=潘廷逢、ファン・ディン・フン)公の元部下、冏広白歯の乾児、検共(キエン・コン)たちが、絶えず私の家に出入りするようなことでした。」
            
 『獄中記』より

 先祖代々文筆を家業とした潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)氏は、科挙試験に合格したこの頃、自宅で開いた私塾で200人近い門下生を抱えていた立派な学者先生でした。それにも拘わらず、
 「本来私は、人を集めて学問を講ずるのを業として居りますのに、表玄関は勤勉な儒者でも、奥座敷は「山林の諸豪傑」という有様に、村の年寄り学者達は、たまたまその様子を窺い見て、舌を呑み、頭を縮めて、これに触れないという態度をする次第でした。」
 
 と要するに、高名立派な儒学者の肩書・看板を捨て反フランス革命志士になる為に、「博徒浪人の徒と親交を結ぶ危ない輩」へ自ら身を落としたというのです。その理由は、
 
 「ベトナム革命を語る時、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)に言及しないことは出来ないでしょう。潘氏は、 私にとって初めての参謀であり、共に光復会を結成し、私の日本渡航を手配してくれた人物です。潘佩珠氏は、乂安(ゲアン)省南檀(ナムダン)県出身。その頃既に文士、愛国者として名高い人物でした。科挙試験に合格しますが宮廷仕官は望まず、 当時の官界で、決起運動に身を投じる者を揶揄する呼び名『賊』となるに微塵の迷いもない人でした。」
          『クオン・デ 革命の生涯』より

 この⇧記述は、戦前日本に亡命していたベトナムの皇子、クオン・デ候の自伝の第2章『潘佩珠(ファン・ボイ・チヤウ)と光復会』です。 

 今日の文士・儒学者・愛国者も、祖国解放運動に身を投じた途端に、『賊』と呼ばれて追われる身になる。。。フランス植民地政府を牛耳る西洋資本家の資本力に頭を垂れ、外国人に忠誠を誓い、嬉々として同国人を密告・逮捕・処刑する朝廷官人政府を敵に廻し、あっという間に、偽名、変装、密航の罪を重ねる『天下のお尋ね者』となったからでした。。。

 『祖国の植民地奴隷解放』を志した『重罪』により、欠席裁判で『死刑宣告』を受けた志士達は、殆どが山の中へ逃げ込みました。潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の『ベトナム亡国記』(1905)には、前世代のベトナム志士達のこんな記述が遺されてます。

 「阮碧(グエン・ビック)、
   南定(ナム・ディン)の人。二甲進士(=科挙合格者)資格で、元巡撫(地方行政長官)。…町が陥ちると、妻子を捨てて、山に入って志士を結集した。」
 「宋維新(トン・ズイ・タン)、
   清化(タイン・ホア)の人で進士。一家悉くフランスに殺され、その血筋を引く者は残っていない。…郷里に帰り兵を挙げ、山間民族と結んでフランス軍と戦うが、元部下の裏切りで晒し首となった。」
 「阮敦節(グエン・ドン・ティエット)、
   …敦節は進士として地方長官を歴任し、そもそもの最初から憂国の心を抱いていたので、山岳地方のやくざ者たちとも多く友誼を結んでいた。」
 「黎寧(レ・ニン)、
   河静(ハ・ティン)の人。蔭生(=科挙浪人生)の身分で義党の為に首唱した。…勇武を尚ぶ心あり、侠客と契りを結んで惜しげもなく金をまきちらし、配下にいつも数百人の命知らずを抱えていた。」
 「阮仕(グエン・シー)、
   乂安(ゲ・アン)の人。元は盗賊で、正業につかず、いつも短刀を身に携えていた。フランス人という言葉を聞く度に、目を怒らし歯を噛み鳴らし、髪を逆立てて、必ずこの外敵を殺さねばやまぬと誓った。」

 名を列挙すればきりがない、祖国解放闘争に身を投じた義人は皆が皆、科挙試験に合格した秀才の元高官身分でした。職を追われ収入を絶たれ、尚且つ追捕の身となった彼らが逃げ込んだのが、取敢えず食、住を確保できる山の中であり、彼らを喜んで迎え友誼を結んだのが山間民族、或いは同じく山中に隠れていた遊侠・任侠、そして元盗賊という人達でした。。。

 そういえば、そうです。戦争は、武装した兵隊が殺しに来るんですから、そんな勢力を目にしたら普通の善良な市民は唯圧倒され、腰を抜かし涙を流すばかりで俄かに抵抗なんかできる訳ない。
 『目には目を』なんでしょうね、普段から『戦う』訓練と心構えを持った人間でなければ、目の前の大きな恐怖には咄嗟に立ち向かえないのかと思います。

 しかしここで私は、”興味深いなぁ、、、”と感じる事があります。。。😅
 『旧体制崩壊』は一種の『革命』で、『下剋上』が可能になるから、それまで『裏家業』で『裏社会』を歩いて来た遊侠、盗賊の人々にとっては一攫千金、もしフランス政府のお眼鏡に敵えば一躍『表社会』に躍り出るチャンスもあった筈。なのに、どうしてそうせずに『裏社会』⇒『裏社会』に居座り続けることを決めたのか。。(←不思議じゃないですか。。?😅)
 もしかすると、彼らはフランス植民地政府が採った採用面接と条件をクリアできなかったとか。。。?😅😅

 「フランス人は、ヴェトナム人の財産をただ取りするために、一妙法を編み出したそれは『英豪会』。其々地方で、狡猾姦悪な有力者でみんなの鼻つまみになっている者を選んで『英豪会』と名付け、月に2度集まって、儲け話の情報交換をさせるこの連中は、学問も無ければ良心もなく、悪事に駆り立てられる時には、蜜を見つけた蜂のように群がってくる。」

 「フランス巡警隊=陰名『密魔邪(マッ・マ・タ)』又の名を『瞿列兵(コ・リエット・ビン)-父母兄弟もなければ家も無く、まともな仕事にもついていないごろつきを、まず選び、その顔付きを吟味して、人並外れて獰猛で狡猾そうな者に限って合格させた。合格させると、まずそのごろつきに命じて天に向かって罵りの言葉を吐かせ、次にその父親の緯(いみな)を呼んでこれをののしらせる。かくして大喜びで賞金を与えて、入隊させる。」

 これ⇧は、先の記事「ファン・ボイ・チャウの書籍から知る-他国・他民族に侵略されるとその国・民族はどうなるのか?に書いた、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の説明による植民地政府の正規官『巡警隊』の採用条件です。。。怖すぎ。。。😭😭😭
 
 こんな採用条件で合格を得て晴れて国家公務員の正規官吏となったところで、主な仕事と言えば同国人の社会的弱者を対象とした暴力・搾取・詐欺です。😨名目上は『表』でも、内実は『裏』も『裏』の『極裏』ですから筋道が通りません。此の一線を越えたモラル崩壊を侠客の人々が受け入れる筈なく、反ってその受け入れない罪『反フランス』レッテルを被って山に逃げ込むしかなかったでしょう。そこで、同じく官界を追われた『反フランス』の義人たちと山中に在って友誼を結んだのは、言わば当然の成行きだったかも知れません。。

 こうして見ると、過去の仏領インドシナの『植民地支配下』に於いては、このような図式が成り立つのではないでしょうか。

外国勢力(支配層)VS 祖国解放運動       
忠犬・土民官僚  VS 賊(元官僚・愛国者)
モラル崩壊のゴロツキ VS 筋道立てる任侠人

 右側の善良な市民を暴力で恐怖を植え付け、加重税金を搾り取り阿片と俗悪酒の健康被害を強要する左側の手足が『モラル崩壊のゴロツキ』であり、この対面には、祖国奴隷解放運動へ身を挺して運動を支えた『筋道を立てる任侠人』が居た史実は実に興味深く、これは、実は有事に最も頼りになるのが、この『筋道を立て、しかも戦いを忘れていない界隈の人々』であると、過去の歴史が証明したことになると思います。

 平成4年『暴力団対策法』施行後も、日本の治安は逆にどんどんと外国並みに凶悪化が進行中。
 最近は、「本国に帰国せずに不法滞在するベトナム人元実習生が犯罪集団を結成、日本の地方で犯罪行為を繰り返す」ニュースも出始めました。

 今の日本の『反社会的勢力団体』が『反対』する『社会』とは、上⇧の『右』か『左』のどっちの社会なのか、気になりますね。。もし、右側社会に『反対』だったら、我ら一般市民にとっては最悪。。。😨😨😨

 何と言っても、平成4年からの『暴力団対策法』施行で右側任侠勢力は今や風前の灯にされちゃいましたから、防波堤が何にも無い状態の所にどどどーっと、外国並みの凶悪暴力と恐怖支配が流れ込んで来ることになりませんかね。
 もしかして来る有事には、我ら市民は戸惑う時間さえも無いのかも。。。
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?