30年前のハノイ滞在の想い出と私の備忘録😅

  記憶は芋づる式になっているのか、最近ふとあれこれ昔のことを思い出します。
 再び30年位前のハノイの想い出を断片的に思い出したので、また一風変わった個人的な備忘録を書いて置きます。⇩

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 30年前位、ハノイで泊まったドミトリーに姉は9歳位、弟は6歳位の北朝鮮人の姉弟が居て、部屋に入れてあげると弟は驚く程のやんちゃ坊主、お姉ちゃんは対照的に大人しい可愛いらしい子でした。日本の飴をあげると喜んで、それから毎日部屋に来て遊んでから飴を貰って帰って行きました。
 数日後、両親が来ました。お父さんは、プロレスラー長州力を若く更に男前にしたガッチリ体格の如何にもスポーツマン風。お母さんは小さくて可憐な若かりし吉永小百合風の美人でした。子供が世話になり飴を頂いて有難うございます、とわざわざ挨拶に来てくれたのでした。
 2週間位して一家は帰国することに。4人で別れの挨拶に来てくれました。お父さんは、”実は自分は北朝鮮のテコンドー・チャンピオンです、北朝鮮に来たら必ず私を訪ねて下さい”と、小さなバッチをくれました。がっちりと握手を交わした時、何処となく奇妙に懐かしい空気に包まれたのを覚えています。
 真ん中に拳の絵、周囲にハングル語が入ったバッチ。お父さんは、「北朝鮮でこのバッチを見せれば判る」と自信満々。私はハングル語は判りませんが、取敢えず北朝鮮旅行は空港イミグレを通る時このバッチを胸に付けようと固く心に決めました。が、今だ北朝鮮旅行は実現してません。
 今夏の引っ越し大断捨離でもこのバッチを発見。まだ捨ててません。。。

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 ハノイ滞在時、友人がモンゴル人留学生を連れて来ました。挨拶すると私の顔を見て驚いた様子で、ソワソワ、チラチラ見て来ます。何だろ?と思ってると、”やっぱり聞こう!”と心に決めたぞ、という風にそのモンゴル男性が私に言いました。
 「貴方は私の従妹に瓜二つだ!!貴方はモンゴル人ではないですか?!」

 。。。”いえ、純粋な日本人です。”とアッサリ答えると、自分の想像した返事⇒『はい、実はモンゴル人です!😊』と異なってたのが即座に受け入れられない様子で、”では先祖は? 親戚は? 誰か周囲にモ、モンゴル人は居ませんか…?”と矢継ぎ早に質問されましたが、私の知る限り日本の親族一同普通の日本人です。モンゴル留学生はがっかりして、”そっくりだ、そっくりだ、本当にそっくりだ。。。”とずっと繰り返してました。
 他人の空似でも、本当に本当の激似だったんでしょう。
 けれど思えば、おぎゃーと世に出た時私のお尻にも『蒙古斑(もうこはん)』有りました…。モンゴロイドか?と問われれば、如何にもモンゴロイドです。😅😅
 モンゴルの従姉妹さんも、私と同じでもういい年齢になったでしょう。そっくりさん同士で一度ご対面してみたかった。。。

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 昔、ハノイ開催の日本製品展示会で雑用係兼通訳のアルバイトで滞在した時のこと。
 その日、”問題発生!!”と呼ばれて裏門に駆けつけると、人だかりの中心に一目でモデルと判るスラっと派手なベトナム女性3人位と、鼠色ズボンにジャンパーの小柄なお兄さん達が睨み合っていました。
 話を聞くと、セレモニー舞台に出演するモデルさんが『入場許可証』を不携帯だったのでガードマングループが入場を拒否。すると、モデル女子らが余りにも高慢且つ見下した態度なので、ガードマンらがブチ切れ、モデルらも気が強いのなんの、私が到着した時は最悪・険悪な空気が張り詰めてました。
 でもこれは、要するに主催者側の落ち度です、モデルを頼んで置きながらエージェンシーへ『許可書』の説明無く、事前送付してなかったのだから。

 両方から事情を聴いた後、直ぐにガードマンのリーダーに謝りました。
 ”これは主催者である日本人の落ち度です。貴方たちは任務に忠実で責任感を持って働いてくれた。本当に毎日感謝しています。でも今日は会場で皆がモデルさんの来るのを待って居ます。どうか通してやって欲しい。”
 これは『主催者側の不手際だ、申し訳ない』、と何度も説明して謝り続けると、初めは興奮して息巻いていたガードマンのリーダーは、俯きながらぼそっと言いました。
 「門は開ける。でも、俺はこいつら(=モデル女子らのこと)の為には開けない。貴方の為に開ける!」
 
この言葉が出た時、周囲の野次馬からどっと大きな歓声が沸きました。

 がっちりと握手を交わし、リーダーと私の友情が成立した瞬間。(当時26歳位。。😅)
 ぎぎぎ、、と音を鳴らして開く門。派手派手モデル一行は通り過ぎる時でもまだ喧嘩腰でしたが、ガードマングループはもう相手にせずに、みな何故か満足そうでした。
 翌日出勤してみると、驚く事に。。。一夜明けてこのガードマングループは、忠実で勤勉な私専属の部下集団に(勝手に…)変身してたのでした。。。😅😅

 その日からというもの、何処でも私の姿を見ると走り来て、隣に居る日本人駐在員さんをガン無視、私だけを一途に見つめ、神妙な面持ちでお辞儀をしていく。そして、何かあれば伝言者がリレーで走り来て私に指示を仰いだり、どんな細かいことでも報告を上げてくれる。その報告を聞き終わった私の”ありがとう(Cám ơn=カム・オン=感恩 )”を聞いた後の彼等の崩れるような笑顔の可愛いこと。。。😌😌😅
 展示会開催日当日は、みな自分の妻子を連れて私に挨拶に来ました。一家の長として妻子に挨拶を促すその態度、上司に仕える部下としてのその忠実且つ純粋なこと。。
 最終日など、彼等全員で目をうるうるさせながら、また一緒に働きたい、ハノイに来たら必ず連絡してほしい、と一人一人と固い握手を交わして感動のお別れ会になりました。
 本当の話です。。。(笑)😅😅

 。。。何故に、『あの日たったあれだけの出来事』の瞬間から、彼等が豹変して、私を『ボス』と決め込み、自発的に忠実な部下集団となったのか。。。? 
 今長いベトナム生活を経て、私が思い出すのは、『主催者側』という『上部側、権力側の人間』『非を認め、過ちを認め謝ったこと』、たった、これだけ。

 ベトナムでは、管理・事務側、所謂権力者側が労働者に謝る事など皆無ですが、しかし最近日本も、殆ど同じ。

 近年ベトナム駐在に来た企業の日本人管理者の方で、ベトナム人がこの人を『本物のボス』だと認識し、突如整然と集団行動を自発的に取り始めて、ただ一心一途に弾丸となって仕事を開始した時もの凄い行動力と結束力を、ご自分の目で見て帰国する方は、私の知る限り居ませんでしたねぇ。。。
 もったいないですねぇ。。。

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 2023年ももうすぐ終わりです。
 今年はこの記事で終わり、来年ものんびりベトナム史関連記事を投稿して行きたいと思ってます、引き続きお読み頂ければ大変嬉しいです。
 どうぞ良いお年をお迎えください。😌😌😌

 

 

 

 

 

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