ファン・ボイ・チャウの書籍から知る-他国・他民族に侵略されるとその国・民族はどうなるのか? その(3)

 その(2)に続き、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の『天乎帝乎』(1923)から、『植民地の教育』を見てみたいと思います。

「大いに科挙文字の学を奨励し、(中略)一意専心これらの学問に没頭して、生涯にわたる。」「けだしヴェトナム人を愚にして、ひそかに人種亡滅の政策を行わんとするのには、これらの教育より妙なるものはないからである。」 
 と、こんな状態だったところに、欧州大戦(第一次世界大戦)の影響で、在仏印のフランス人の数が減ったことで、 
 「ついにヴェトナムの人民を用いてこれを助けないわけには(減ったフランス人の穴埋めをしないわけには)行かなくなった」がしかし、「久しく科挙迷毒の籠中にあって、体質弱く知識も浅き」ヴェトナム人だったので、フランス人は、「ヴェトナム人一度滅べば、フランス国の大不利益たるを悟った」と云います。

 そこで、フランスは、1920年に科挙制度を廃止、「我らやや知識ある者は、皆首を伸べて、新教育果たして如何なるものに」
 と、希望を持ったそうですが、結果は全く失望するものだったのです。

 「フランス人開設のヴェトナム両等小学校」は、「その教科書といい、その教授といい、教員の採用、学生の課程、皆フランス人の掌握するところで、奴隷製造に非ざれば、牛馬鋳造の材料のみ。」
 「教科書の内容もまた、ただフランス人の功徳を頌し、フランス人の武威をひけらかす以外、一も良好の文字なく、ヴェトナム祖先の如何、ヴェトナム建国の仁人志士が如何に国に尽くせるかなどに至っては、禁じて講ずることが出来ない。」

 自国の建国の成り立ち、祖先の建国神話とか、偉業を教えないとか、、それは、駄目ですよねぇ。。。ベトナム人民、当然怒りますよねぇ。。。
 それ故に、「6歳の児童一度学校に入り、一度教科書を読めば、すでにヴェトナム人たることを忘れしめんとする」ようになるそうです。
 自分が何人か忘れるって、、じゃあ何人なの? あっ、やっぱり『グローバル人』ですかね、、(笑)
 
「小学校の学科には、体操科がない」が、しかし、「フランス人児童の小学校には、兵式操練場あり、運動場あり」で、「けだしヴェトナム人いやしくも壮健の児童あらば、大いにフランス人の憎むところとなる。」 
 と、こうなりますと、何やら病的(?)な感じがしないでもなく、フランスの仏印植民地運営の失敗から見るベトナム人社員を管理する難しさ|何祐子|note ←この記事に載せましたが、『熱帯植民地病』の『衰弱諸徴候』に当てはまるような気がしてきます。。。
 『管理』の枠を超え、もうこれは立派な単なる『ジェラシー』。。。
 
 「教員の素質にごときに至っては、最も痛哭死に至らしめる状にある。一半は、放蕩無頼のフランス人で、一半は卑屈無気力のヴェトナム人である。」
 なんか、今日の日本の教育現場を潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)に見て貰って、何かコメント欲しい衝動に駆られます。。
「甚だしきはフランス人教員にして、学童に鶏姦を強要するものあり、かくのごとき素質の教員、如何ぞ教育の資格ありと言い得ようや!!」 
 あ、コメントありました。。。。(悲) 

 次ぎは、『植民地の法律』の一部を見て行きたいと思います。
 
 「第35条 逼死:およそ権力を濫用し、残虐抑制によって人を自殺するに至らしめた者は、6カ月以上5年以下の拘禁に処し、20元以上一千元以下の罰金を課す。」 
 権力者が人を殺しても6カ月以下の拘禁刑・・・

 「第63条 国家の安寧に害ある重罪軽罪:およそ機謀を説為し、その目的が政治の転覆、あるいは皇統の換改、あるいは民乱の激発、あるいは皇帝の神聖侵犯にあるものは、ひとしく死刑に処す。」 
 この『説為機謀』は、いつでも随意に、拉致できるから、一体「果たして何の証拠のよるべきものが有り得よう?」と潘佩珠は嘆いています。
 第67条には、「2人以上その行為を商議すれば、これを陰謀とす。」とありまして、「2人商議すればこれを陰謀」。。。うっかりおしゃべりも出来ません。。

 第102条、第103条のことは、
 「集会が宗教・文学の事に関してまでも、また必ず官許可を得なければならぬ。しかしてまた、如何なる場合にか始めて官許を得る事が出来るかと明言しない」
 要するに、集会できるかどうかも分らない。。と云うことですね。。

 「第215条 およそ新聞その他の定期刊行物は、保護政府の許可を得ざれば、発行するを得ず」、「これ故に、ヴェトナム人には読むべき一新聞紙なく」
 と潘佩珠は言っています。
 正しい情報が無いのは本当に辛い。

 それでは、最後に『植民地の政治』で終いにします。

 「ヴェトナム統治の政策は、また極悪貪欲の官吏を利用して、平民を圧服せんとする」そうで、「法律で官権を伸張して大いに人民蹂躙の道を開いている」と言います。
 第154条に、「官吏現行の職務に対して、言語文章をもってあるいは筆記し、印刷し、あるいはその他如何なる手段をもってするも、これを威嚇し、しかして該官吏の名誉対面を妨害する者」には刑罰を処し、政府を「誹謗する者は族す」
 これを潘佩珠は、「ただ口を閉じ、舌を噛んで死するの外はない。」と言っていて、こういった官吏の採用基準については、
 「官吏というよりも、フランス人の犬たりというを適切とす。」「皆極めて貪欲凶暴、絶えて廉恥なき小人」
 もし「愛民秉正の何たるかを知る者あれば、必ず放逐される。」とありますのは、昨今の日本でよくニュースで見かけるようになってしまった『ブラック○○』の構図に似ている気もします、、、

 さて、最後はやはり、酒と、フランスが仏印運営で最も力を入れていた『阿片行政』についてです。
 「酒税と阿片税とは、フランス政府歳入の2大項目であって、特に阿片税が最も多く、酒税これに次ぐ」と潘佩珠は説明します。
 まず酒については、「フランス政府は、これを醸造専売するに至った。ヴェトナム人の私醸、売買を禁じ、密かに醸造すれば、密造の罪で重税」が課されたそうです。
 そして、フランスの「人種隠滅の奇策」と命名して、「官売の酒は、皆石灰と猛烈なる酒精とを用い、調合醸造してヴェトナム人に売る。この酒をたしなむ者は初めはただ神経衰弱、久しくして元気消沈して急病を病んで死し、必ず長生きをしない。」 
 毒酒しか売ってない、、これを飲むしかない、、人生に少しも息抜きができない状態です。

 阿片は、フランスは官制『阿片専売局』(1898年ポール・ドゥメール総督によって南仏印阿片専売公社設立)を設けて、仏印運営上とても力を入れました高利商品ですから、国内消費も熱心に奨励しました。

「官は阿片煙局を立て、フランス商人特許を受け、政府はこれに対し特許状を発行す。各町村人口の多寡に応じて、阿片煙若干金・若干盒(ごう)責任消費を担当せしめ、人民の願うと否とを問わぬ。町村の吸煙許可証は、フランス商人にその許可料を支払い、フランス人もその税を政府に納む。政府収入の該税日々に増加し、ヴェトナム人阿片吸煙の禍いは、どの程度に至るか未だわからぬ有様である。」 

 以上、3回に亘ってベトナム独立運動家・潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の書籍から、『他国に支配されてしまうときの国家の内情って?』と、『保護権を行使されて”保護”されて、支配下にはいるとどんなになるの?』という素朴な疑問をまとめてみました。当時のフランスの支配がそうであったというだけで、今のフランスではありませんです。けれど、日本は今は平和ですけど、備えあれば憂いなし。兜の緒を締めよ、と東郷平八郎元帥も仰っていましたし、ぜひ潘佩珠の残してくれた書籍を遺言として、私も日々気を引き締め直したいと思います。最後は、やはり潘佩珠の言葉で〆たいと思います。

「ああ、国が平和で何事もないときには、朝廷ではつまらぬ連中が高いびきをかき、うまいものに食い飽きている。世の中が悪くなってくると、戦場で、立派な男たちが命を捨て、恨みをのまねばならぬ。もし、この何百人何千人の誠実な、立派な男たちが、また国が亡びない前に朝廷にあり、あるいは地方に配置されていたならば、国が滅亡するなどということになったであろうか?「晴天に出かけようとせず、いたずらに雨の頭にそそぐのを待つ」とは、禍が至ってはじめて悟ることを言ったものだが、いったい誰がヴェトナムをこういうことにしたのか。」

 

 

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