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「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を読んで感じたことを衝動的に綴る

 今日、本谷 有希子さんの小説「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を読みました。非常に面白かったです。ただ、この物語、どちらかというと自分の好きではない要素が詰まった作品でした。なのに「面白い」と感じさせたのはなぜなのか。思うがままに綴っていきます。

1.あらすじ

 蝉が鳴きしきる8月のある日、車もほとんど通らない閉鎖的な山村で凄惨な交通事故が起きた。昔ながらの大きな民家では、亡くなった夫婦の葬儀が営まれている。

 事故の場に居合わせた次女のキヨミはまだ17歳。両親がバラバラになるのを目前にしてしまい、ずっと塞ぎこんだままだ。

 兄嫁のマチコはキヨミを慰めようとあれこれ気を配るが、生来の愚鈍さからすべて空回りしてしまう。それを見た強面の兄のシンジは、マチコに対し、異常なほどに冷たく当たる。

 そこに長女のスミカが帰ってきた。その装いは真っ赤なドレスと高いピンヒール。上京し、女優として活動しているスミカは、前にも増して美しくなっている。一方、身に纏った冷たい雰囲気と他人を寄せ付けない凄味は昔のままだ。彼女は両親への焼香もせずに、日傘を開いて散歩に出かけていく。

 4年前、この一家で起こったとある事件。
 この事件をきっかけにスミカは家を出ていくことになったのだ。
 スミカ、シンジ、キヨミ、事件の当事者が再び揃い、止まっていた3人の兄妹の時間が再び動き始める…
 
こんな感じのお話です。

2.私が「面白い」と感じる物語の条件

 あらすじをご覧になってわかるように、基本的に暗い話です。凄惨なシーンや虐待描写が延々と続きます。スカッとするシーンは特にありません。

 この世の物語は基本的に2パターンがあると思います。
 一つはキャラクター主導で、ストーリーは登場人物を掘り下げたり、引き立てたりするもの。
 もう一つはストーリー主導で、登場人物はストーリーを語る上での舞台装置の役割を果たすもの。

 私が好きな物語は圧倒的に前者です。
 ミステリーとかSFとかでは後者のパターンがよくありますが、その場合、キャラクターに魅力がないと読むのがつらいんですよね。陰鬱なお話だとなおさらです。一応、どんなオチなのか最後まで読みますが、そういう物語って二度と読み返すことはなかったりします。
 極論を言えば、こちとらエンターテイメントを期待して大衆小説を読んでいるので、どんなに伏線回収が素晴らしかろうが、明るい気分にさせてくれない物語なんて読みたくないんだよ!というのが正直なところ。

 で、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は、圧倒的に後者のパターンの物語なわけです。ストーリー主導なうえ、絶対友達になりたくない登場人物たち、救いのない結末と、私の嫌いな要素をすべて満たしているのでした。
 しかし、それでもなお、この物語は面白い。そう感じている自分がいる。 

3.この物語の面白さ

 まずは、ストーリー展開が純粋に面白い。だんだんと人間関係が明らかになるにつれて、誰がどんな結末を迎えることになるのか、気にならずにはいられません。物語の世界に入り込んでいくにつれ「この嫌な奴は最低な最期を迎えてしまえばいい…いい気味だ。」などと、勝手に残酷な結末を想像してしまう自分がいました…。
 おかしいな…自分はこんな嫌な奴じゃないはずなのに。

 次に登場人物たち。明らかにこの物語を動かすための舞台装置で、絶対に関りたくないようなイカれた奴らしかいないけれど、人物は十分に掘り下げられており、どこか人間臭くて、なにかしら共感できるポイントが随所に出てきます。読んでいるうちに人物たちの心情に、いつのまにかシンクロしてしまう自分が怖い。

 最後にこの物語の結末について。
 あらすじの雰囲気のとおり、のっけから不穏過ぎる展開です。
 どう転んでも明るい未来を迎えようがございません。救いなどない。
 でも、不思議と読後感がいいんですよね。後味の悪さは感じず、むしろスッキリした気分になりました。

 その衝撃の結末はあなた自身の目で確かめてみてください。
 これは間違いなく良質のエンターテイメントです。

 「自分は特別な人間だ」 そう思っていたあなたに。

~おわりに~

 この物語はもともと舞台用に書かれた脚本で、その後小説化、映画化と続いたそうです。確かに舞台映えしそうな話だな~と思いました。
 生身の人間がこの物語を演じたら、一体どうなってしまうのか…。
 一度見てみたいものです。

 とはいえ舞台での再演は厳しそうなので、やっぱり映画を見てみるか。


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