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新潟ゲーセン回顧録③(新潟市編その1)

 新潟のゲームセンターについて、個人的な思い出と共に振返るゲーセン回顧録の3回目。今回は上越を飛び出して、かつて新潟市にあったゲーセンを紹介します。

※前回記事はこちら。
新潟ゲーセン回顧録②(上越編その2)|Enjoy!上越! (note.com)

 ノストラダムスの予言の日が過ぎても世界は続いていた2000年台。高校を卒業した私は大学に進学し、新潟市での一人暮らしが始まりました。それはもちろんゲーム三昧の日々の始まりでもあります。

 大都会ニイガタの個性豊かなゲーセンの数々、そして次々に押し寄せる新作ゲームの怒涛の攻勢に抗えるはずもなく、ふらふら彷徨う夜の街。
 悪い先輩から譲ってもらったボロ車も最大限に活用し、仲間と共にゲーセン行脚の旅に出るのでした…

新潟市のゲーセンその1(2000年代前半)

1 ブルーリッジ

 五十嵐2の町にあったバッティングセンター兼ゲームセンター。
 私の通っていた某大学近くなので、入学当初に入ってみました。

 ただ、残念ながらビデオゲームの品揃えは今一つ。
 対戦も流行っていなかったので、ゲームをしに行くことはほとんどありませんでしたが、ビリヤードが安かったので、飲んだ帰りによくビリヤードをしました。台もキューもボロボロで、コンディションは最悪でしたが、貧乏学生にはちょうどいい環境だったのかも。

 そういえば、この店はバーチャロン・オラトリオタングラムが置いてあり、たまに対戦会が開かれていた記憶があります。私もオラタンはプレイしていたのですが、上級者の動きにはとてもついていけないので、後ろから対戦会の様子を眺めていました。
 オラタンは、当時の技術が産んだ奇跡のようなゲームでしたね。
 あれほどまでにスピード感のあるゲームは今もないのでは? 

2 ヤマサ

 ここはちょっとマイナーゲーセンかも。
 場所は西区大野。2023年現在、ラーメンイエローというお店が建っている場所にあった小規模ゲーセンです。

 某大学から少し離れた場所にあり、店内がとても暗くて、アダルトグッズが満載の非常に怪しい雰囲気のゲーセン。食堂併設で0時以降も営業していたはず。(食堂を1回も利用しなかったのが悔やまれる…どんな味だったんだろう?)

 そんなとてもいかがわしい感じのお店ですが、足繁く通っていました。
 なぜかというと、ビデオゲームの品揃えが渋イイんです!しかも新作も入るし。
 この頃はSTG(シューティングゲーム)に熱を上げており、当時新作の「虫姫さま」や旧作の「レイストーム」「エスプレイド」をプレイするのが一日の終わりのルーティーン。

 ある日の夜23時。今日も虫姫さまを1コインALLしてから寝ようと思い、椅子に座ってコインを入れると、明らかにワルそうな男性4人組が店内に入ってきて、3対1に分かれ、私の横で大声で言い争い始めました。

 「お前、いいかげん金返せよ!」
 「いくら借りてるのかわかってんのか!」
 「うるせー馬鹿!」
 
 こんなことを言っていたように思います。
 流石に私も手が震えて、序盤で凡ミスを連発。
 その後、私がゲームをクリアするまでの約30分間、店内に響き渡り続ける怒号。ラスボスを倒した後、エンディングも見ずにそそくさと店を出ました。今までで一番落ち着かなかったゲーセンの思い出です…

3 青山ロングラン&サムシング

 新潟市西区の青山小学校のすぐそばにあったゲームセンター。通称「青ロン」。二つのゲームセンターが短い連絡通路で接続された謎仕様。
 昼間でも暗い店内の、いかにもゲーセンといった感じのゲーセンです。

 ちょっと話が逸れますが、2000年代前半は現代と異なり、オタクに人権はありませんでした。
 オタクであることを知られるのは死を意味すると言っても過言ではない時代。私も大学の最初の1年間は「ゲーム?子どもの遊びだね。もうとっくに卒業したよ。」という体で過ごしていたのですが、ある事件をきっかけにオタバレしてしまいます…。
(友人宅でのゲーム大会でつい本気を出し過ぎた…)
 
 その結果、男女合計約10人の友人たちが「Enjoy!上越!のゲームの腕前を鑑賞する会」というふざけた企画をし、私の後ろに続いてぞろぞろと青ロンにやってきたからもう大変。
 どう見てもゲームをしなそうな人種が暗い店内に多数押し寄せ、私の後ろを囲んでゲームを見ている光景はただただ異様で、店員や常連からの視線が痛かったです…
 その日私は当時やり込んでいた弾幕STG「エスプガルーダ」を、いつもどおりクリアしました。女性陣からの「すご~い(蔑んだ目)」という声援?が忘れられません…

 が、結果的にオタバレしたことが功を奏し、以降、友人たちを引き連れて、オープンにゲーセンに遊びに行くことができるようになるのでした。
 
 あんなに頑張って隠していたのはなんだったんだ…
 でも、何度でも言うけど、当時はオタクに本当に人権がないと考えられていました。好きなことを好きだと言える現代は当たり前ではないのです。迫害されてきた先人達のことを、決して忘れてはならない。 

おわりに

 ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
 読んでくれている人は本当にいるのか?という超個人的ゲーセン回顧録ですが、新潟市のゲーセンは特に思い入れがあり、文も長くなってしまいました。

 携帯電話の普及もあり、ゲームをすることがだんだんと当たり前になっていく時代の中で、この頃から、暗くて怖いゲームセンターのイメージは薄れてきたように思います。(ヤマサみたいなところもありましたが…)

 「みんなが楽しく遊べる明るいゲームセンター!」
 それはそれで素晴らしいことなのですが、私のように世間に背を向けてアウトローを気取りたい天邪鬼にとっては、自分だけの秘密の隠れ家がなくなるような寂しさを予感し始めていました。

 次回は新潟市編その2です。
 それではまた。

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