好きなバンドが解散する時 男の子は画面を見ていて 女の子は画面の中にいた 朝帰りにカネコアヤノは優しくなかった ベットの上でコンドームを付ける背中を見つめる 女の子の脳内は死神の性別が女ならいいなと考える 女の子は水曜日を諦めて 男の子は水曜日に擦過する 例えば口の周りについた牛乳にも気付かない ボク!ボク!ボク!と呟くけれど タートルネックではなにも隠れなくて 男の子は王様だからと女の子の足を噛んで 女の子は死んでと首を絞める クソみたいな世界に腹が立って 知らな
九月三日(火) 京都に行った。美術館が閉まってたり映画村に入れなかったりだったけれど、無計画で散歩してるのが一番楽しいので中々良い日でした。人生で京都に行ってグダグダにならならかった試しがないと思ったけれど、京都に限らずどこに行ってもグダグダの毎日です。これを機に来月の海外旅行の計画は流石に立てる。 九月六日(金) 親友と散歩をする。靴を手に入れたので気分がいい。大きめのリボンが付いてる靴。ダイソーの額にフィルムがあるかのチェックの仕方で大爆笑した。 相手の靴をはいて千
大人が嫌いでした。 何も持っていないくせに、なんでも手に入れているように振る舞う大人が嫌いでした。 自分を大きく見せようと必死な大人が嫌いでした。ズケズケと踏み込む大人が嫌いでした。 どんな大人も嫌いでした。 大人が好きでした。 評価してくれる大人が好きでした。 祝ってるれる大人が好きでした。 知識を与えてくれる大人が好きでした。 叔母の家にある家具が小さく感じました。 数年ぶりに開いた本が、あの時貴方が寂しそうに吐いた言葉が、今になって意味を持って襲いかかってきます。 これ
ときとして夢からさめるのは生命が終わりを迎えることよりも悲しいことだと君は言った。 「知っているかい? 昔は沢山生きた者たちが居たのさ」 差別よ。アンドロイドだって同じ権利を持つのさ。 「老いて」 老死のメカニズムは一昔前に改善されたじゃないか。 「恋をして」 今じゃ恋愛という概念は存在しないわ。 お伽話のお話よ。 「死ぬんだ」 死という不完全なシステムはもうないのよ。 「寂しい」 あまり覚えてないけれど、それは瞬間的で全体的な照射に近いんだと思う。 時間は無限にある。 こ
何故泣くの? 悲しいことだからさ。 そうすればさめたのは私の夢だけではなくて 私も貴方の夢であったと許された気になる。 対義語は孤独だ。 こんな悲しい話を夢で母から聞いた。
「此処では手に入りますか」 「何処でも手に入らないものもあるんだ」 「夢の中では手に入りますか」 音だけが聴覚を抜けてただ素通りをして空白になってゆく 定まった何かが欲しくて 私は一から数字を数える 痛みでもいいから与えてくれないか もう十万になったころでありますか 十万を数えた辺りで幻覚が見え始めて 普通の人間ならばもって二、三日というところでしょう 「背負わなくても許してくれますか」 光は僕が変わらない状態であるということを知らせるだけである そして私は気づく 虫は虫を
全部が平らになってしまって、自分はどんどん流れるのに無感動になって穴になる
場所と複数レイヤーと同時に欠落と言いますか 空白があって観客は自身の記憶で補充しようとします。 でもそこから生まれるのは用意されたモノとはかけ離れた物語です。 それはなんだかとても悲しいことに思えませんか。 観客がスクリーンの中の世界に干渉できないように、君のすべてが僕に通じて来るのに、僕のなにも君には通じない。 スクリーンに隔てられたまま、観客として雪に映り現れる世界を見つめ続ける。 それでも惹かれるのは実像を知らないからで、小説も映画も他者に働きかけることも、全ては徒労な
夏のノスタルジーの出処を探っても、見つかるのはいつも濾された記憶です。人間だけが生まれたまま本日も踊れません。此処は都会です。自尊心と妄想しても冬は訪れないですし、街の恋やゲームセンターは錆びてゆきます。いつだって居なくなってあげようかと言えるほどに、可愛く生きなきゃ息が詰まる街です。此処は都会です。涙や愛を孤独と呼ぶのでしたら、誰かが僕を暖かいと呼ぶまで待ちましょうか。此処は夢の中の街です。
荒削りの若さが全ての原因なのなら、いつかちゃんと大人になったときに何処かの記憶も飲み込めるのかもしれないですね
帰りたくなります。 安心な場所が何処にも見つからなくて、 もしあるならそれは結果が全て分かる過去で、 そこを安全地帯と呼ぶしかないからそこに帰りたくなります。 君はいつも演技をしていて、物理的破壊でいうならばpvで偉人の思想を借りるなら道具です。 それでもいつだってどれも写真や文字には敵わないことを知ります。 君も少しは動きたかったから映像になった訳で、音楽はなり続けている。 私だって落ち着きがあったら、本当はそこで止まりたいとも思うかもしれせん。 でもそれは無理だから音楽
最近めちゃくちゃ疲れてる身体が これが二十歳ってこと
人間関係には何処に目印を立てればいいのですか 大抵のことは順序立てて歩けば到着するのに 歩み寄る人たちの物語は何処がおしまいなのですか 何処かに連れ去って 夏以外が私を殺した 「同じ人間は二人もいらないんだ」 「言わずして得れるもの貴方が教えて」 誰が書いても同じような憂鬱です 例えば、本当は彼女も彼も何も捨ててしまいたく無くて飛べると信じながら 「全部救ってあんまりだって」 痛みの中で生きれない人達以外が私を殺した 目覚めてしまったから歩み寄る人たちの物語を読んだ訳で 少し
大好きな人たちを両隣に置いて大丈夫だよって呟かれながら寝たい
18時がまだ明るいことを実感し、私の気持ちを置いてけぼりにして虚しくなる記憶の物語を、例えば夏の終わりの出会いが既視感覚のある形で新しい夢に変わり訪れるなどを何度も書いた気がしがします。 八月に大阪に来るねと言った少女がもう会えない人となったことを夏の終わりに知ったせいでしょうか。 〝ひまわりの咲かない夏〟について意見交換をした人が何処か遠くへ行ってしまったせいでしょうか。 夏に届いた暑中見舞いに返事を書かなかったからでしょうか。 それらが全てが夏を嫌う理由のように思えて全て
酷く遠い何処かに自分を置いてきてしまった気分になる 自分の孤独さの確認の方に意味を覚えているみたい 「どうしても、何処へ行っても一人きりにはなれないのに何故貴方は一人きりになりに行くの?」 幸せの青い鳥は何処までも追いかける 記憶の中で鳥は自分が、自分だけの幸福を求める幼い少女だと告げたかった 自分が臆病な一箇の旅人に相応しいと告げたかった だがいつの間にか飛翔の意味を忘れ、右手の指を擦りむいた事にも気づかず、孤独のさわやかさも大切な事に気づく屈辱もその喜びも忘れて今はただ女