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潜る

大人が嫌いでした。
何も持っていないくせに、なんでも手に入れているように振る舞う大人が嫌いでした。
自分を大きく見せようと必死な大人が嫌いでした。ズケズケと踏み込む大人が嫌いでした。
どんな大人も嫌いでした。
大人が好きでした。
評価してくれる大人が好きでした。
祝ってるれる大人が好きでした。
知識を与えてくれる大人が好きでした。
叔母の家にある家具が小さく感じました。
数年ぶりに開いた本が、あの時貴方が寂しそうに吐いた言葉が、今になって意味を持って襲いかかってきます。
これは多分あの時大きく見えていた大人と同じだけの知識を持ったんだと思います。
大人になっていくことは怖い。
自分がとてつもなく嫌いになりました。

この頃、時を経ていることを目に見えて実感します。周囲がモラトリウムから抜け出し、それはもう精密機器のパーツみたくズレなく形成されていき、型に収まるようにカテゴリーにすとんとはまっていくのを実感して怖くなります。
感傷に浸る機会が増えた時間のなかで、都会での時の流れは速すぎるのに対し、私の思考はスローモーションに加えて長旅な訳であります。核心に迫りたくなるのは時間に追われるからではなく、気温と行事度に飾られる街並みくらいでしか季節の移ろいを感じ取れないような鈍化した環境です。立ち止まる隙は無いのに覗いたものたちや選択を放棄したものたちは、今だとばかりに襲いかかってくるせいでしょうかね。
行き着くのは失踪でありまして、一度出会ってしまった以上別れは多少の喪失わけで、繰り返しです。もう誰も居なくならないで欲しいわけで、居なくなるならはなから気づかせないでくれないかという祈りです。起きたら君が望んだんだと文明が崩壊して、優しい陽の光に目が覚めたら、、という夢を見るために眠りにつきます。それでは。



よく会ってた猫が亡くなりました。
そんなこんなで文章にまとまりがない上に、
大量の誤字には気づいておりますが直しません。

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