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創意工夫で常識を覆し、新たな潮流を生み出した、マイルスとバードについて。

最初に断っておくが、バードというのは元NBA選手のラリー・バードのことであって、チャーリー・パーカーのことではない。

わたしはそれほどジャズに詳しい訳ではないが、ビバップという新しい音楽のスタイルを作り上げたサキソフォン奏者が「バード」の愛称で親しまれていたことは知ってるし、大衆の娯楽であったジャズに芸術と哲学のエッセンスを吹き込んだ彼こそが創意工夫で常識を覆し、新たな潮流を生み出したイノベーターであることに間違いはない。

これから書こうとすることは、適性がなく条件に恵まれなくても、それを補って余りある”何か”があれば「帝王」にでも「伝説」にでもなれるんじゃないかという話だ。


マイルスというのはもちろんマイルス・デイヴィスのことで、偉大な音楽家でジャズ・ジャイアントの一人であることをは改めて言うまでもないが、マイルスにトランペットの適性が無く条件に恵まれていなかったことは少し説明の必要があるように思う。

裕福な家庭に生まれ育ったマイルスは13歳の誕生日プレゼントに父からトランペットを貰ったのをキッカケとして音楽の道を進むことになる。

そして18歳のときにチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーとの共演の機会を得てジャズトランぺッターとしてのキャリアをスタートさせる。

当時、彼らが推し進めていたビバップはとてもエモーショナルな音楽で、戦中の保守的な白人層でなくても、おそらくやかましくうるさいものとして認識されていたはずだ。演奏者に要求されるのは、大きい音、高い音を激しく鳴らし続けることであり、有能な管楽器奏者は、膨大な肺活量と立派な体躯の持ち主であることが必須であった。

小柄で貧弱な良家育ちの、しかも他のトランぺッターに比べ、頬や口周りの筋力が少ないお坊ちゃまにとって非常にハードルの高いことであったと思うが、ジュリアード音楽院に通いニューヨークでチャーリー・パーカーと共同生活することによりジャズや音楽への理解を格段に深めた。

ビバップ以降も新しい様々なスタイルが生まれ、マイルスは常にトップランナーとしてジャズという音楽を牽引していたと思うが、高い音楽性以外にも演奏者としては弱いフィジカルという劣等感が、先頭を走り続ける原動力になっていたのではと考えることもできる。


自らの特性に向き合い、そして理解した上で魅力のある音を絞り出し、時代とともに新たなスタイルを打ち出し、変革していく。


仮にもしマイルスが管楽器奏者として適性があり、条件に恵まれていたならば二流の音楽家として生涯を終えていたのかもしれないとわたしは思ったりもするが、おそらくこんなことはジャズ愛好家、評論家の方々がさんざん語り尽くしていることで、今更何を抜かしているんだと咎められるに違いない。



さてラリー・バードであるが、彼にアスリートとしての適性、素養がないのはたいへん有名で足が遅いうえ高く跳ぶこともできない。バスケットボール選手としてはかなり致命的なことだ。

よく野球の世界では走・攻・守と三拍子揃った選手という誉め言葉がある。

しかしバードの場合は「跳べない、走れない、負けない」の三拍子だと以前、どこかの雑誌の記事で見掛けた記憶があるがまさにその通りの選手だ。

そんな多くの勝利を獲得してきた選手だが、若い頃はあまり恵まれていなかったように思う。

父がアルコールに溺れ経済的に恵まれていない家庭に育つが高校時代にバスケットボールプレイヤーとして注目を集め、ボビー・ナイト率いるインディアナ大学に入るが、うまく馴染むことができず1ヶ月で辞めてしまうことになる。ボビー・ナイトはオリンピックチームの監督を務めるほど有名な指揮官であるし、インディアナ大学はカレッジバスケの超名門校だ。

そんな有望な未来が、たった1ヶ月で消えてしまうなんて恵まれてないと言わざるを得ない。

その後帰郷し、しばらく清掃員として働いていたがカレッジバスケの2部リーグで目立った戦績もないインディアナ州立大学という弱小校でバスケットボールのプレイを再開させるのだが、逆に気楽な環境がバードには打ってつけだったのかもしれない。

みるみると才能を開花させ大学4年生時にチームをNCAAの決勝にまで導き、終生のライバルとなるマジック・ジョンソンと初対戦を果たすまでになる。

以降は、誰もが知っている通りマジックと双璧をなし、80年代のNBAの隆盛を支えバルセロナ五輪ドリームチームの一員として選手としてのキャリアを終えることとなる。不断の研鑽による多彩な攻撃スタイル、状況判断の良さ、これら2つに支えられた勝負強さ。とにかく負けない選手であった。


二人が活躍する以前のNBAは、センターが文字通りチームの中心でありゴール下で勝敗が決まってしまうような退屈な競技であったが、彼らはガラリと雰囲気の違うスポーツに変えてしまった。

レイカーズのマジックはラン&ガンのショータイムバスケを、セルティックスのバードはハーフコートオフェンスの攻撃スタイルを得意としたが、ゴール下に限らずいつでも、どんな場所からでも中距離、長距離のシュートを成功させゴールを量産していった。


マイルスやバード以外にも革新的な人物はアメリカ人に多い。


スティーブ・ジョブズはまさに革新的な存在であったし、ランス・アームストロングもペダルをグイグイ踏んで進むのが良しとされていた自転車競技において、とにかくシャカシャカ、くるくるペダルを回して勝ち続けるというイノベーションを起こしていた。


ストラップはとにかく伸ばしギターは低く構えるほうがいい。胸のあたりで弾いていると「田端義夫か!」とバカにされていた時代に登場したRage Against the Machineのトム・モレロには度肝を抜かされた。



もう、おそらく十分に伝わったはずだろう。

適性がなくても恵まれていなくても、自分自身が有利になるような潮目をつくる、ムードを醸成させる、或いはルールを書き換えてしまえばいいという話である。

最後までお読みいただきまして有難うございます。


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