せっけんを巡る冒険①
いつも以上に冷え込んだ冬のある日。
来栖彩香は目覚まし時計が鳴る15分前に目が覚めた。
「・・・ねむ」
時刻は5時45分。6時ですら早いと周りから言われる時間よりもさらに早い時間に起きてしまった。
15分という残り時間も微妙で、二度寝をするには少し心もとない。
せめてあと5分、20分あればいいのに、なんて思いながら布団から出た。
彩香は、この荒波市で友人の御崎有梨香とルームシェアをしている大学1年生。有梨香は別の大学に通っている同い年だ。
有梨香はいつも7時頃に起きてくるため、起こさないように静かにキッチンへ移動しケトルに水を入れてスイッチを付ける。
そのまま洗面台へ移動し、顔を洗おうとして気が付いた。
「あ、石鹸がもうないじゃん。有梨香に買っておいてって昨日言っておいたのに」
最近は洗顔やボディーソープ等の各部位専用の物が出てきてるが、彩香は固形石鹸が好きだった。有梨香は「いつまで石鹸にこだわるの?」と首をかしげていたがこればっかりはゆずれないものがある。その身一つで顔から身体、場合によっては頭も洗える固形石鹸の万能さを有梨香は理解できていないのだ。
「んもー、変えもないんだから。仕方ない、有梨香の洗顔少し借りよ」
石鹸が大好きとは言え、別に石鹸以外を使わないというわけではない。
ただ洗顔だとなんかつっぱる感じがしてあまり好きではないのだ。
洗顔を終え、髪を梳いてリビングへ戻るとキッチンのケトルはしっかりお湯が沸いていた。有梨香と出会うまではコーヒー派だったのにいつの間にか紅茶派になってしまった。
「コーヒーも悪くないと思うわ。でも、紅茶に比べて落ち着くというか優雅さにかけるでしょう?だから彩香も紅茶を飲みましょう」
どこぞのお嬢様の有梨香の言い分には有無を言わせない強さがあった。
そうしてすっかり紅茶派に乗り換えた穏健派の彩香は毎朝一人で紅茶をのんびり飲む時間が好きだった。
リビングのカーテンを開けると、うっすらと明るくなってきてる。
冬は寒いし、痛いし、そんなに好きじゃないけれども服や装飾等が夏よりも充実している気がしており、そういう意味合いで冬がとても好きだった。
「冬の女の子こそ世界で一番可愛いのよ~なんてね」
独り言をつぶやきながら紅茶を飲む。
紅茶の湯気がきっちり見えるくらい部屋は寒い。
二人とも寒いのが苦手だがそれ以上に暖房による乾燥が苦手なため基本的に部屋は寒い。
もっとも、誰か友人をこの部屋に呼ぶということを二人そろってしないため生活に支障が出なければ特に問題がない。
「さーて、石鹸がないことを引いても今日はなんか気分がいいから有梨香の分も朝ごはん用意しておこうかしら」
基本食事は各自。夕食のみ準備ができる方が準備をするということになっている。
食パンをトースターに入れて、スクランブルエッグを作り、サラダを作る。
と言ってもサラダは盛り付けをするだけのカット野菜。
それでも若い二人の朝ごはんとしては上出来なものだろう。
「・・・・いいにおいがするわ」
「お、有梨香おはよう」
バタバタと準備をしているうちに有梨香の起床時間になっていた。
「今日は彩香が用意してくれたのね。どういう風の吹き回し?」
「いや、なんというか一言目が失礼ねあんた。まずお礼が先でしょ」
「お礼を言うよりもどうしてもそこに引っかかってしまったのだから仕方ないでしょう」
「・・・はあ、有梨香らしいわ。特に理由はないわよ。何となく起きた時に気分が良かっただけ」
「そう」
有梨香はそれっきり興味をなくしたのかリビングのテーブルに座り、彩香が用意した朝ごはんを食べ始めた。
「あ、有梨香紅茶飲む?」
「ええ、いただくわ」
「ちょっと待っててね」
有梨香の分の紅茶を用意し、彩香も自分の席に着く。
「いっただきまーす」
もくもくと食べる音だけが部屋を埋める。食事中、基本的にこの二人に会話はない。が、今日は彩香としてはどうしても言っておかないといけないことがあった。
「ねえ有梨香。昨日石鹸買っておいてって言ったのに忘れてたでしょ」
「・・・」
「はて?みたいな顔しないでよ。ドラックストアに寄るって言ってたじゃない。だからついでに石鹸がなくなったからお願いーって」
「・・・そうだったかしら」
「あんた、嘘つくとき目が左右に揺れるクセあるの知ってた?」
「!?」
「まあ嘘なんだけど」
「彩香、今のはずるいわ」
「ずるくないわよ別に。忘れたんでしょ?」
「そうね。今彩香から指摘を受けるまで頭の中から完全に抜け落ちていたわ。私の脳内には基本的に石鹸という言葉は不要だもの」
「うーわ。こうやって自分の失敗を棚に上げるんだこの人。だから私以外に知り合いも友達もできない・・・」
「彩香、それ以上言ったら家賃倍にするわよ」
「あははは!なんでもないです有梨香様!ま、それはそれとして今日は私がちゃんと石鹸買いに行くけど何か他に備品で必要なものある?」
彩香が有梨香に尋ねると、少し思案顔になった。
おそらく全くないわけではないんだろうが瞬間的に「これ!」と思い浮かぶものもないんだろう。
有梨香の返答を待ちながら食事を進める。
「そうね、特にこれといったものはないのだけど」
「む、何よそのちょっと歯切れが悪い感じは」
「彩香は石鹸が好きよね?」
「そーよ。その好きな石鹸が無くなってるから今日買いに行くってお話なんだけど」
「そんな彩香にいい話から悪い話か別だけど、昨日小耳に挟んだ話があるわ」
「なによ。ちょっと、というかかなり気になるじゃない」
彩香が話を促すと有梨香はぽつぽつ話始めた。
なんでも昨日、大学の授業後に大学近くの喫茶店で紅茶を飲んでいたところ近くに座ったおじさん達の話声が聞こえたらしい。
そのおじさん達は読んで字のごとく【紳士】って感じのスーツをしっかり着こなした人たちだった。
「それで、陽さんあれってどうなんです?」
「あれって何だい、影さん」
「あれですよ、例の石鹸」
「ああ、世界石鹸の事か」
「ちょ!声が大きいですよ陽さん」
「んな、別に隠すもんでもないだろ。もう世界石鹸なんて聞いてピンとくる人ほぼいねえよ」
「・・・それもそうですかね。ちょっとそれはそれで悲しいんですけど」
「まあ時勢ってやつだな。ボデーソープなんかが出てきて、石鹸の用途って減っちまったからな」
「そうなんですよね。あれ、利便性で言うとさすがに石鹸じゃ歯が立たないですらかねえ」
「だな。それで世界石鹸がどうした」
「いやほら、いまだに世界石鹸を取り扱ってるところが荒波市にあるって話っすよ。完全に廃盤になったはずなのに噂ではどっかの会社が引き取って今でも細々と製造してるとかなんとかって」
「ああ、その話か。突き止めはできなかったんだけどな、荒波市のどっかに世界石鹸を取り扱ってるところがあるのは間違いないんだ。ただ、当たり前だけど店頭には出してないし、なんか特別なルールでもあるのかただ聞かれても出さないらしい、ってところまでは」
「そうなんすか、我々取り残された固形石鹸派としてあの世界石鹸がまた使えるなら使いたいんですけどね・・・」
「ああ、今一番メジャーなココア石鹸も花や石鹸も悪くねえ。むしろ凄く良い。ただ、世界石鹸の使い心地は最高だったからな」
そこで有梨香は話を終えた。
どうやらそれ以降はうまく聞き取れなかったらしい。
「石鹸好きの彩香ならもしかして興味を持つんじゃないかしらって」
「うん、今ねめっちゃ興味ある。でも、世界石鹸なんて聞いたこともないなー」
「ちなみに彩香は今どんな石鹸使っているの?」
「んー。私はさっきの話にも出てきたけどココア石鹸よ。生まれた時からまあ使ってるし。花や石鹸も使ったことあるけどね」
「そう。そんな彩香ですら聞いたことないのね」
「ないわね」
「彩香、色々と事情通というか荒波市の事割と手中に収めてるじゃない」
「人聞きの悪い事言わないでよ。別に手中には納めてないわよ。ただ、商店街とかで買い物するから色々と噂話が私のところに集まってくるだけよ。スポット的に。でも世界石鹸ねえ・・・本当に聞いたことないわ」
「まあ、彩香がどうするかはさておき、そういう話が合ったわよってことだけ伝えておこうと思って」
そういうと有梨香は食器をシンクに運び、「着替えてくるわ」と部屋に戻った。
彩香は「世界石鹸・・・正直かなり気になるわ・・・むむむ」と眉間にしわを寄せながら紅茶を一気飲みした。
「っと!そろそろ私も準備しないとさすがに間に合わないわ!」
食器類とすべてシンクに置き、水につけて急いで部屋で準備をした。
有梨香の方が先に部屋に着替えに行ったのに、家を出るのは彩香の方が先だった。
「じゃあ有梨香ー!戸締りよろしくー!石鹸買ってから帰るから少し遅くなるかもー!!じゃあ行ってきまーす!」
彩香が家を飛び出すときも頭の中にはずっと「世界石鹸」という単語がこびりついて離れなかった。
続く
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