オリエンテーリングの未来を考えるために(前編)

※本記事はオリエンテーリング Advent Calendar 2021(裏版)25日目の記事となります。

 こんにちは。京葉オリエンテーリングクラブの寺垣内(てらがうち)です。オリエンテーリングを始めて21年が経ちました。
 大半の時期は、競技者としてオリエンテーリングと向き合ってきましたが、インカレの運営(会場チーフ、競責)、オフィシャル、大学大会のイベントアドバイザー、いくつかの大会コースプランナーを務め、昨年からは新たに発足したJOAアスリート委員会のメンバーとしても活動しています。オリエンテーリング以前は、野球、バスケットボールをやっていましたが、振り返ると、どっぷりオリエンテーリングに漬かっています。

 前回は、競技者目線でAdvent Calendar 2017にて「勝ちの価値~勝つことについて真剣に考えてみる~」という記事を書きました。今回はもう少し広い視点で、言うならばオリエンテーリング人という目線で記事を書いてみます。長文ご容赦ください。

1.はじめに

 題名の「オリエンテーリングの未来」と書くと、皆さんどのようなことをイメージしますか?電子ペーパーを持ち歩き、そこにコース図をインストールして走るペーパーレスオリエンエーリング、部屋に居ながら、アバターの世界で五感を使ってオリエンテーリング、3Dプリンターの発展形で、PCでデザインした地図を、ロボット工作機がフィールド(テライン)に行って、作ってくれるという技術なんてのも面白いかもしれません。ドラえもんのどこでもドアがあれば、即設置&撤収が終わるかもしれません。(競技での使用はもちろんNGでしょうが笑)

 そういう未来を考えるのも楽しいのですが、今回題名にあげた未来とは、オリエンテーリング(組織、文化)の将来の話となります。

2.オリエンテーリングの将来を考えることになったきっかけ

 昨年JOAアスリート委員会のメンバーとなり、オリエンテーリング界の将来を考える集まりに参加したことがきっかけでした。同じオリエンテーリング好きといっても、地図が好きな人、ビジネス視点で考える人、学術的に考える人、教育視点で考える人・・・十人十色です。(アドベントカレンダー投稿者の方々の記事も、十人十色でとても面白いです。みんなオリエンテーリング大好きですよね、そしてマニアックですよね笑)

 そういう活動の中で、私はスポーツ、アスリート、思想という側面で、オリエンテーリングと向き合うのが好きだということを感じました。やはり自分の経歴(経験)によるところが大きいです。振り返ると、幼少時代から外で遊ぶのが好きで、小中学校の休み時間はたとえ10分の小休憩でもグラウンドにダッシュで向かい、ぎりぎりまでボール遊びをするのが定番でしたし、野球、バスケをクラブ活動としてやってきました。今でも他のスポーツをやるのも、その考え方を知るのも好きです。

 でもスポーツ好きと言いながら、(恥ずかしながら)あまりスポーツのことを知らなかったというのが実感です。


3.なぜ将来構想を考えるのか

 パンデミック後、様々なイベントが中止、延期になる中で、オリエンテーリングを始めとするスポーツや交流の有り難さを、多くの方が今まで以上に感じたと思います。私は今のオリエンテーリング界はとても好きです。楽しいです。一方で、もろもろの負担でオリエンテーリングが辛くなる人も見てきました。(私も一時期、そういう時期がありました。)もっと良いものを目指せるし、それだけのポテンシャルがこのスポーツ、集団にはあると感じています。

 自由な意志と行動から、自然と良い文化が形成される「自由市場」的な考えもあろうかと思いますが、自分が所属する集団が何を(どこを)目指しているのか、その集団の中にどのような人(個)、関係者がいるのを理解した上で、その集団で活動することが、持続的に楽しい文化を形成する上では大切なことだと考えます。サッカー等の団体競技では、個の力もチーム力も大事だとは言われていますが、個々が勝利という同じ目標を共有し、その強みを生かすことでより強いチームとなり、それがお互いの幸福感につながるのではないでしょうか。

 より良い文化、組織を形成していくためには、①ビジョン(目標)の設定と共有、②相対化して(客観的に)自己を俯瞰することの2点がとても大切だと考えています。


4.ビジョン(目標)の設定と共有

 皆さん、「JOAの事業計画書」を読んだことがありますか?恥ずかしながら、私はアスリート委員会のメンバーになるまで、一度も読んだことがありませんでした。JOAの2021年度 事業計画書の冒頭に中長期の目標が示されています。

(公益社団法人日本オリエンテーリング協会 中長期事業方針(2020))
(前略)
今後も引き続き、近未来のスポーツ文化の視点からオリエンテーリングの本質を見つめ、より人々に親しまれるようにするとともに、オリエンテーリングにかかわる人々が喜びを感じ、人間力の向上が得られることを目指したい。そのために、以下の 5 つの目標の達成を目指している。
1.生涯スポーツとして、健康と生きがいのある豊かな人生をつくる。
2.競技スポーツとして、自律の精神でフエアーに挑戦する競技力と人格の向上を目指す。
3.日本と世界をオリエンテーリングでつなぎ、国際友好に貢献する。
4.社会に役立つ知識とスキルを広める。
5.自然の中で行われる野外スポーツとして、環境に対して畏敬の念を持つ。
(中略)
一方、これらの目標を達成するためには、具体的な目標設定のみではなく、次のような本質的な課題に対する議論を行い、その広報・伝達を展開してゆく必要がある。すなわち、
1.オリエンテーリングの本質、スポーツとしての特性は何か。
2.オリエンテーリングの歴史的過程を踏まえた、競技スポーツ、生涯スポーツとしての社会的、文化的、教育的意義は何か。
3.野外・自然環境を実践の場とするオリエンテーリングが他のスポーツと異なる理念は何か? といったことである。

 オリエンテーリングの素晴らしさを凝縮したようなこれらの言葉に、とても感銘を受けると同時に、もっとオリエンテーリングについて、深く広く知りたいと感じました。

 また本質的な課題1~3については、まさに②の相対化して(客観的に)自己を俯瞰することが大切と言えないでしょうか。

 己自身を知るためには、相手(他者)を知ること、(比べ過ぎは良くないですが)何かと比べることが必要。他のスポーツと比べてみる、オリエンテーリングの過去、現在、未来を並べてみる、他国と比べてみる。同じオリエンティアでも様々な好み、思考に触れてみる。一朝一夕で答えが出るものではなく、時間をかけて多角的に比べて、考えて、対話する。そういうことを繰り返すことで、答えが見えてくるものではないでしょうか。


5.相対化してオリエンテーリングを考える

 私はオリエンテーリング、スポーツが大好きですが、反面オリエンテーリングやスポーツを絶対化、美化しすぎる事は危険も孕んでいるとも考えています。(あまり歴史には詳しくないのですが、)歴史上のインシデントは、盲目的に何かを疑うことなく絶対化している、あるいは絶対視せざるを得ない状況から生じているものも多いように思います。何かを絶対化することは、ある意味(それ以上考えなくて良いという点で)楽で、もの凄いパワーを発揮できるメリットもあり、必要な時もあるでしょう。でも、その状態を長期間続けるのは、やはり危険なような気がします。

 では相対化してオリエンテーリングを考えるには、どのような方法があるのでしょうか。
 真っ先に思いつくのは、異文化を知ることです。異文化というと、まず頭に浮かぶのは外国(海外)かもしれません。でも、身近な所で見ると、オリエンテーリングを始めて間もないビギナーの方たち、オリエンテーリング間(フットO、MTBO、スキーO、トレイルO)の交流、あるいは運営者と競技者、観客、JOA(中央組織)といった様々な視点、立場でオリエンテーリングに携わることも、オリエンテーリングの見方を広げるには良いです。

 私は今の日本オリエンテーリング界でとても誇れる文化の一つが、新人を大切にするという文化だと感じています。マイナースポーツであるが故に、少しでも多くの新人にこのスポーツを知ってもらい、選んで、続けて欲しいと願っており、自分たちが新人時代に、先輩方にとても大切にされてきたという経験から生まれている文化だと思っています。私自身、学生時代から多くの方々に育てて頂きました。良い文化は継続していきたいです。

 余談ですが、私の小中高時代は、今の時代よりも規律、上下関係が厳しく、先輩より先に○○をしていはいけない、新人はまずは雑用といったことが根強い文化だったように思います。そういう文化から学べたこともあり、全否定するわけではないのですが、私にとっては、新人を大切にする文化の方が合っているし、その方がより良い組織になれるのではないかと思います。

(参考)
アドベントカレンダー2016年の記事で、O-Supportの小泉さんがオリエンテーリング歴の短いClub阿闍梨の方たちにアンケートを取っていますね。
「オリエンテーリングのここが変」


6.スポーツとは何なのか

 もう一つ相対化の方法として、オリエンテーリングが属するスポーツ全体を知り、そのスポーツを構成する他のスポーツと比較してみることが挙げられると思います。まずはスポーツとは何なのか、下記2つの文章を引用して見てみます。

スポーツ庁が考える「スポーツ」とは?Deportareの意味すること
そもそも、みなさんはスポーツという言葉の語源をご存知でしょうか? スポーツ史という分野の研究によれば、英語の「Sport」は19~20世紀にかけて世界で一般化した言葉であり、その由来はラテン語の「deportare」(デポルターレ)という単語だとされています。
デポルターレとは、「運び去る、運搬する」の意。転じて、精神的な次元の移動・転換、やがて「義務からの気分転換、元気の回復」仕事や家事といった「日々の生活から離れる」気晴らしや遊び、楽しみ、休養といった要素を指します。
つまりこれらがスポーツの本質であり、人生を楽しく、健康的で生き生きとしたものにするために、より楽しむために勝利を追及するもよし、自分ペースで楽しむもよし、誰もが自由に身体を動かし、自由に観戦し、楽しめるものであるべきなのです。
笹川スポーツ財団 スポーツとは何か
フランスの学者ベルナール・ジレは著書『スポーツの歴史』でこう説く。「一つの運動をスポーツと認めるために、われわれは三つの要素、即ち、遊戯、闘争、およびはげしい肉体活動を要求する」。
(中略)
明治文化史研究家の木村毅は、『日本スポーツ文化史』をこう書き起こす。
「日本人は、スポーツには縁の薄かった国民である。スポーツという以上『楽しむ』要素が強くなくてはいけない。しかし武士道のストイックな、ある意味ではヒューマニズムに背反した道徳的訓練では、楽しむことを罪悪のように考えた。そうでなくとも児戯として軽んじた」

 スポーツの本質とは本来、気晴らしや遊び、楽しみといった要素であり、日本にはスポーツの楽しみという要素がやや排除されて、インポートされたと読み解くことができます。今の学校教育、部活の状況を深く理解していないのですが、私の部活時代は「スポーツ=体育(身体教育)=きついことを我慢して鍛える」という文化が根強かったように思います。(例えば、練習中の給水は、休み時間以外は禁じられていました。)

 私は現代スポーツというのは遊びに一定の共通ルール(勝ちの定義含む)や管理要素(最近流行りのガバナンス)、すなわち遊びに社会性を加えたものだと考えます。

 幼い頃に、鬼ごっこや缶蹴りで遊んだ人も多いと思います。学校、地方によってそのルールは微妙に異なりますし、勝ち負けを競うために点数をつけているなんてことは珍しいですよね。鬼ごっこや缶蹴りがスポーツ化されているのかは知りませんが、もしスポーツ化するのであれば、フィールドの面積(条件)、缶の大きさ(重さ)、参加人数、点数化による勝ち負けの定義といったようなことが必要でしょう。そうすると、いつでも、誰とでも(どんな人数でも)、どこでもできるといった遊びの良さは低減します。

 一方、スポーツ化することで色々な地域、国の人が共通の認識のもと、お互い切磋琢磨して、公平性という名のもと、健全な競争と協同により良い文化を創造していくことには繋がると思います。
 個人的には、スポーツがあまりにもルール化、管理化あるいは(政治や経済のために)手段化されて遊びの要素が極端に少なくなると、楽しさから遠ざかるように感じます。公平性や安全性のためには、ルール化、管理化することは必要でしょうし、それが楽しみにも繋がると思いますが、プロでなければある程度の遊び(緩さ)はあっても良いのではないでしょうか。

 オリエンテーリングを「スポーツと遊び」という観点から見た時はどうでしょう?毎回違うコース、バリエーション豊富なテライン、旅行や交流を兼ねての遠征といったように、気晴らしや楽しみといった要素が強いスポーツであると同時に、アウトドアスポーツの中では比較的緻密なルール、規程、管理が行き届いている方なのかなと考えています。


7.スポーツの分類を見てみる

 次に、スポーツの分類という側面で、オリエンテーリングを見てみます。

 現状プロアスリートはほとんどおらず、プロクラブやリーグもないため、「プロフェッショナル・スポーツ」の要素はほとんどなく、代表的な「アマチュア・スポーツ」であると言えます。一方、国際大会(選手権)や全日本大会が存在するように「競技スポーツ」の要素もあれば、細かく年齢カテゴリーが分かれており「生涯スポーツ」の要素もあり、トレイルOではハンディキャップのある選手(車椅子の方)も参加可能となっています(障がい者スポーツ)。特徴的なのは、「競技スポーツ」の代表格であるエリート選手から、「レクリエーショナル・スポーツ」を楽しむレク層までが同時に同じ場所で同じスポーツを楽しめるといった所だと思います。

 これらの分類の中で、どれが一番の頂点というわけではなく、各々の良さがあり、共存、共生できることが素晴らしいことだと思います。

 個人的には、現状トレイルOを除いて、ハンディキャップのある選手が参加している事例は(ゼロではないですが)あまり聞いたことがないため、そういう選手も楽しめるような形式、イベントが合っても良いと考えています。クイックOやラビリンスOだと参加できるのでしょうか?何か良いアイディアがある方はぜひ教えて頂きたいです。

オリエンテーリングの未来を考えるために(後編)に続く



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