オリエンテーリングの未来を考えるために(後編)

※本記事はオリエンテーリングの未来を考えるために(前編)の続きとなります。

8.他のスポーツを見てみる(東京オリンピック、パラリンピックで感じたこと)

 今年は1964年以来となる、自国での夏のオリンピック、パラリンピック開催となり、他のスポーツを見る上で絶好の年だったのではないでしょうか。残念ながら、パンデミックにより1年間の延期、さらには(一部の県を除いて)現地観戦中止という形式となり、少しトーンダウン、物議を醸すことにもなりましたが、その分、スポーツというものを深く考えさせられる機会になり、多くの気づきや価値観のアップデートを得ることができました。(この価値観のアップデートを与えてくれるところが、スポーツの価値の一つであるようにも感じます。)いくつかその気づきを共有してみます。

■称えあう文化
 新種目のスケートボードをはじめ、ライバルの成功や果敢なチャレンジを称えあう文化が見られました。スポーツクライミングでは、競技前にライバル選手とコースの攻略方法をディスカッションしている姿がありました。勝ち負けやメダルの色(競争)といったもの以上に、純粋に難しい課題をライバルとともにクリアしていくという協調の姿勢が見られました。また走り高跳び男子では、二人の選手が金メダル争いを繰り広げるもなかなか決着がつかない中、運営側に掛け合い、二人の金メダルを認めてもらったというシーンがありました。

 オリエンテーリングはどうでしょう?称えあう文化があると思う反面、大きな大会でも、表彰式を見ずに帰ってしまう人も多いように感じます。スタート時間が異なり、カテゴリーも多いオリエンテーリングでは、表彰式が行われるか時間が読みにくいという時間的なものが大きいと思う一方、観るというよりも(自分が)やることに価値を置いている人が多いという文化的なものもあるのかなと感じています。

 もちろんその熱狂、表情を存分に感じられるのはリアルタイムでの空間になるでしょうけど、一つの解決策(妥協案)が、最近増えてきているLive動画(オンライン表彰)や、大会後日のオンライン振り返りイベントのように思います。(むしろ地図やGPS等を用いた振り返りは、オンライン形式の方が相性が良いように感じます。)

■アスリートファースト
 マラソン、競歩については、夏の気温を考慮して北海道にて開催されました。女子マラソンに関してはレース前夜にスタート時間が1時間繰り上げられ、テニスについては、途中から試合開始時間を遅らせる処置が取られました。一見すると、途中からアスリートの健康を考慮したアスリートファーストの対応を取っているように見えますが、そもそも8月の暑い時期を避ければ良いのではないかという話にもなります。

 なぜ8月の炎天下に開催しないといけないかというと、欧米で人気のフットボール等の試合が開催されない時期となり、視聴者(放映権料)を奪い合う事のないよう考慮されていると聞いたことがあります。
 スポンサーによるお金がないと施設や道具、強化費等が十分でなく、スポーツを楽しむことができなくなる可能性はあります。一方で、あまりにも経済(商業)と密接に関係し過ぎると、スポーツ本来の遊び、アスリートが楽しむというものから遠ざかるようにも思います。

 オリエンテーリングはどうでしょう?今年のフットO世界選手権のフォレストリレーは、現地時間で薄暗くなる夕方の時間帯に開催され、天候も悪く、地図読み、ナビゲーションに非常に苦労したと聞きました。どの国(チーム)も同じ条件であり、そういう悪条件での対応も含めてスキルを問うということもできそうですが、多くの人が視聴できるように現地のゴールデンタイムに合わせたという話も聞きました。

 より多くの観客に楽しんでもらう、世界選手権を盛り上げるという意味では致し方ない選択だったようにも思いますが、アスリート目線で見ると、ナイトOという形式でもないのに、こんな暗い所を走らされるなんてどうなのかと思う選手もいるでしょう。何を優先とするか悩ましい問題です。

 昨年のJOAアスリート委員会発足時に、まずは委員会の理念とミッションを決めることになりました。委員会の主な目的は、競技環境改善に向けた選手視点での声をJOA内に反映していくことです。 当初、理念としては「アスリートファースト」という言葉を入れようと考えていました。でも何か違和感を感じました。スポーツはある側面ではアスリートが主役かもしれないですが、周囲の理解、協力があって初めて成り立つもの。特にオリエンテーリングでは運営者はもちろん、地元の方の協力がないと開催できないもの。
 最終的には下記のような理念、ミッションとしました。競技者、運営者、地元の方々、観客といった立場で構成されるものであることを考慮した上で、相互理解に努める。その前提でのアスリートファーストなのかなと思います。少なくとも、アスリートファーストのために、命の危険や安全をないがしろにすることはないようにしたいです。

JOAアスリート委員会
理念
「フェアプレイ精神」、「アスリートとそれを支える人の相互理解」で成り立つオリエンテーリング競技の発展に寄与する。
ミッション(使命)
・オリエンテーリング競技の価値向上のために、競技者とJOAの橋渡し的存在を担う。
・スポーツとしての公平性を守り、健全な競技環境を実現する。

■プロとアマチュア
 ひと昔前までは、オリンピックといえばプロは出場できない、アマチュアの祭典でしたが、いつの間にかプロの選手の参加が増えているという状況になり、オリンピックも益々商業や政治のための手段化が進んできたように感じます。良くも悪くも、プロとアマの垣根が低く、区別が曖昧になってきたように感じます。オリンピックは様々なスポーツを同時に見ることができ、文化の交流もできる素晴らしい大会だと思う反面、オリンピックや勝利を絶対化してしまうことに危険も感じます。

 プロ野球やMLBのようなプロアスリートの戦いももちろん好きです。プロという高いレベルを目指して心技体を鍛えぬく。そういうアスリートを応援、リスペクトしています。一方、プロの試合と同様、アマチュア、スポーツ愛好家の試合も面白いとも感じています。五輪開催期間中に、近所の体育館で、偶然学生(たぶん中学生)のバスケットボールの試合を見かけました。最初は少しだけ覗いて帰ろうと思っていたのですが、気づいたら夢中になって見入ってしまいました。両雄譲らずの熱い攻防。なんだ、こんな身近にスポーツを観て楽しむ場があるんじゃないかと思いました。

 私は、様々なスポーツが同時に開催される、市民アスリートの祭典の場は継続して残って欲しいと思っています。それがオリンピックなのか違う大会なのかはわかりません。今年(来年)日本で開催される予定であったワールドマスターズゲームズでは、その大きなヒントがあると思い、とても楽しみにしていましたが、残念ながらパンデミックの影響で数年後に延期になってしまいました。


■オリンピックは都市化のシンボル?
 今までの夏季五輪開催都市は、ほぼ全てその国の中心都市での開催であったと思います。五輪開催が決定すると、周辺のインフラ設備(交通網、スポーツ施設、ネット環境、宿泊施設等)の建設が進みます。

 夏季オリンピックでは、MTBやカヌー、トライアスロンといった、一部アウトドアと言えるフィールドで実施する競技もありますが、大半は競技場や球場、体育館といった施設で行う競技ではないでしょうか。スポーツクライミング愛好家の中には、実際に山でクライミングをしたことがない人もいると聞きました。

 対してオリエンテーリングはどうでしょう?世界選手権という大きな大会でさえ、フォレストOについては、たいてい大自然に近い片田舎の町で開かれています。特殊な地図は必要ですが、お金をかけて建設する競技施設は不要です。何もない広場、土地がフィールドになります。それが、オリエンテーリングという文化を表していると思います。すなわち自然に近いスポーツ。一方、将来的にはシティーOのみやったことがあり、フォレストOはやったことがないという選手も増えていくのでしょうか?


■国の垣根や従来の固定観念を超える
 男子100m走でのラモント・マルチェル・ヤコブス選手の優勝をはじめとするイタリアの陸上競技での躍進、男子100m走準決勝での中国の蘇炳添選手のアジア新記録、女子バスケットボール日本チームの活躍や笑顔はとても印象的でした。(他にもたくさんありましたが。)私もバスケットボールをやっていたので、チーム全体としての体格差は、勝敗においてかなり厳しい条件になると感じてきました。しかし、日本チームは、そのスピード、豊富な運動量(フルコートディフェンスは圧巻)で相手チームを掻き回しプレッシャーをかける。本当にワクワクするプレーで、初のメダルを獲得しました。

 空手女子で優勝したスペインのサンドラ・サンチェス選手。小さい頃に日本のアニメ「ドラゴンボール」の孫悟空に憧れを持ち、空手を始めたと聞きました。それを聞いた時、金メダリストという結果とは関係なしに、すごく嬉しい気持ちになりました。

 移住や他国での長期滞在も可能な現在において、国籍に囚われるのも良くないのですが、その競技において、従来そこまで活躍できていなかった国の選手の躍進は、とても面白いです。一方、強豪国が強豪であるが所以の強さにももちろん興味はあります。国の垣根や従来の固定観念を超えたもの、文化の交流が見られることにスポーツの価値を感じます。

 オリエンテーリングでは、スウェーデン、ノルウェー、スイスをはじめとした北欧諸国が圧倒的強豪です。私自身、世界選手権の舞台で、嫌というほど大きな差を見せつけられてきました。弱小国(発展国)が、その努力と工夫、文化の発展により、強豪国に負けず劣らない活躍を見せられるようになれば、それはオリエンテーリングの真の発展とも言えるのではないでしょうか。そういう未来を見てみたいですね。

■パラリンピック
 今回パラリンピックの素晴らしさも大いに感じました。パラリンピックはいくつものカテゴリーに分かれている種目が多いのですが、目の見えない選手の長距離走と水泳で感じたことを書きます。

 まず長距離走。目をつぶって走ってみると、真っ直ぐ走ることすら難しい、何かとぶつかるのではないかという恐怖が襲ってくる。凄い世界だと感じます。実際には伴走者というパートナーがガイドしてくれる中、そのパートナーとの信頼関係、パートナー自身のガイド力がとても大切です。

 次に水泳。真っ直ぐ泳ぐということ自体も凄いのですが、圧巻はコース端でのクイックターン。2メートル程度の長いタッピング棒で、選手の頭部を軽く叩いて知らせてくれるタッパーというパートナーがいて、その人との呼吸がとても大切になります。

 パラリンピックはオリンピック以上に周囲との関係、想像力が大事な競技だと感じます。故に、スポーツ文化を考えるとても良いイベントだと感じました。


9.誰がためにスポーツはある

 スポーツは様々な立場の人から構成されています。競技者、スタッフ、コーチ、運営者、観戦者、スポンサー、メディア(報道)、所属クラブ、国、フィールド管理者・・・社会が健全でないと、スポーツを継続することは難しいでしょう。ではいったいスポーツは誰のために存在するのでしょうか?

 私は20年以上オリエンテーリングを続ける中で、何回かこのスポーツを辛くて止めようと思ったことがあります。2つ紹介します。最初は大学3年生の時でした。故障が長引き、走ることがほぼできず、競技を楽しむことができなくなっている状況の中、決めていた目標(インカレリレー優勝)に対する拘りと、クラブ内での役割(競技部長、大会競技責任者)からの責任感で、無理やり自分を突き動かしていました。その結果、大会運営とインカレが終わった後に燃え尽きて、数ヶ月間オリエンテーリングから完全に離れることになりました。

 楽しさが欠乏した状態(責任感や義務感が支配的な状態)で何かを長期継続することは、無理だと痛感した経験です。そこから抜け出すための、大局的、長期的な視点といった、引き出しの少なさも原因だったと思います。離れてリフレッシュしたこと、クラブメート(仲間)の励ましによりカムバックすることになりましたが、この経験はその後のオリエンテーリング人生においてとても大きな教訓となりました。

 2つ目は、世界選手権の日本代表として出場するようになった初期の頃の話。初めのうちは、とてもワクワクする新鮮な気持ちで参加できていたのですが、回を重ねる毎に、全然良いレースができず結果も上がってこないこと、遠征のために多くの方にサポートして頂いているのにも関わらず、吉報を持ち帰れないことに申し訳なさを感じ、純粋に楽しむことから遠ざかっていたと思います。

 そんな中「市民アスリートなんだから結果ではなく、楽しむことと結果に至るまでのプロセスにもっとフォーカスして良いのでは。自己満足かもしれないけど、それを大事にすれば良いのでは。」と考え方を改めました。(今振り返ると、それがアマチュアリズムの精神ではないかと思います。)その結果、それまでよりは良いレースができ、満足感も高まり、自然ともう少しオリエンテーリング界の発展に貢献したいとも思えるようになりました。

 そういう経験から、(オリエンエーリングに限らず)代表選手には高い目標に向かって、結果を得ようと努力し、レース後はその経験を次に生かして欲しいと思いますが、それ以上に、個人としてその経験(瞬間)を楽しんでもらえたら、それに越したことはないのかなと考えています。その結果、自発的に自身の経験を社会や未来に還元しようと思う人が増えれば、個人と社会のWIN-WIN関係ではないでしょうか。

 プロの世界は、他者の評価を大切にせざるを得ない場面も多いと思います。自分がオリエンテーリングを続けて来られたのは、アマチュア精神、すなわち自分が心からスポーツを楽しむ気持ちを大切にし、そこから自然と周囲や社会に感謝する気持ちが芽生えてきたことが大きいと思います。まずは個人が純粋に楽しむために、スポーツ(少なくともアマチュアスポーツ)はあるのではないかと考えます。そして、楽しむためには、遊びの要素を完全に排除することがないようにしたいですし、楽しむためにスポーツを継続するには、健全な社会を創造することも大切になります。

 スポーツについて記述する最後に、スポーツの在り方を考えさせられる著名人の言葉を3つ紹介します。スポーツを自発的に楽しむためのものとし、楽しむこと自体を目的とすること(何か別の目的のための手段としないこと)がアマチュアスポーツにおいては大切なように思います。

 1点目は前JOA会長(山西先生)に教えて頂いた、人類史上初めて1マイル4分の壁を破ったロジャー・バニスターさんの言葉。

スポーツはきっと自らを守ろうとするものである。だから、本来は、スポーツは国のためではなく個人のものである。走ることがよいのではなく、楽しみたいから走るのだ。そして、社会や仕事でもっと拘束されれば自由で情熱的なはけ口が必要である。誰だって、人より速く走り高く跳んではならないということはない。人間の精神は不屈である。


 2点目は元プロ野球選手のイチローさんの引退会見。記者からの「イチロー選手が貫いたもの、貫けたものはなんでしょうか?」という質問に対する回答です。

野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。
子供の頃からプロ野球選手になるのが夢で、それが叶って、最初の2年、18~19の頃は1軍に行ったり、2軍に行ったり。そういう状態でやってる野球は結構楽しかったんですよ。
で、94年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけれども、この年まででしたね。楽しかったのは。
あとはその頃から急に番付上げられちゃって、一気に。それはしんどかったです。力以上の評価をされるというのはとても苦しいんですよね。
だからそこからはね、純粋に楽しいなんてことは……もちろん、やりがいがあって達成感、満足感を味わうこと、たくさんありました。ただ、じゃあ楽しいかというと、それとは違うんですよね。そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいな、と。
これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶ったあとは、そうじゃない野球をまた夢見ている自分があるときから存在したんですね。
これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていないもの。
例えば草野球、草野球に対して、プロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことができないのではないかと思っていて。
これからはそんな野球をやってみたいなと思います。


10.オリエンテーリングの未来について考えてみませんか?

 オリエンテーリングの未来について考えていく過程で、スポーツというものにフォーカスしてきました。それでは、今後未来をどうしていきたいのか?その話は、もう少し議論、勉強を重ねた後、また機会があれば整理してみたいと思います。上述したJOA中長期事業方針に記載の通り、オリエンテーリングの本質、特性を深く考えること、その歴史、社会的、文化的、教育的意義、理念を考えることが、未来を考える礎になることは間違いないでしょう。つまり、オリエンテーリングと社会を深く広く知りその関係を考えることが大切だと思います。

 そのヒントはすでに多くの先人たちが、アドベントカレンダーの中にも残してくれています。いくつか紹介します。

■オリエンテーリングの歴史について

「徒歩OLとはなんだったのか」

「オリエンテーリングの誕生秘話」

■オリエンテーリングの普及について

「ランチェスタ戦略とオリエンテーリング」

「ナビゲーション・スポーツという視点」

「田舎から渇望されるスポーツになろう」

■オリエンテーリングの組織について

「JOAの理事になってみる」

 私自身、今は「オリエンテーリングの高度化と大衆化」、「オリエンテーリングはオリンピック種目を目指すべきか」、「アマチュアリズム」といったテーマにとても関心があります。

 社会の影響を多分に受けるのがスポーツである反面、スポーツが社会を変えていくポテンシャルも非常に高いと思います。社会が健全でないと、そもそもオリエンテーリングをはじめとするスポーツを続けることすら難しいです。そういう意味では、発展はおろか(考えたくはないですが)現状の楽しさを喪失することすらあるかもしれません。より良いオリエンテーリング、社会を目指して進んで行きたいですね。


11.最後に(謝辞)

 ここまで長文を読んで頂きありがとうございました。
 皆さんは、どのようなオリエンテーリングの未来を想像し、創造したいですか?オリエンテーリングを始めたばかりの人は、まずは純粋にこのスポーツ、文化を楽しんで欲しいと思いますし、個々が楽しむことの総和が、より良い集団を形成する礎になると思います。そして少し余裕が出てきて、もう少し広い視点でオリエンテーリングと向き合いたい、貢献したいと自然に思えたのであれば、その力をよりオリエンテーリング界全体に向けてみてはいかがでしょう。

 表舞台で活躍する選手から、陰で裏方として支えてくださるスタッフの方まで、多くの人に支えられて、今のオリエンテーリング文化があることに改めて気づかされました。微力ながら、JOAの中で活動する中で、本当に多くの方が見えないところで努力されていることを知りました。
 
 右も左もわからない状態でオリエンテーリングを始めてから、随分とオリエンテーリングには助けられましたし、育てて頂いたと感じています。オリエンテーリングと出会えて本当に良かったです。そして、これからもオリエンテーリングを楽しんでいきましょう!よろしくお願いします。

 最後に、本記事を執筆できたのは、多くの方々のご助言、議論、対話のお陰です。この場を借りて御礼申し上げます。

 それでは、良い年末年始をお迎えください。よいオリエンテーリングライフを。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?