死ぬかも知れないという経験をして頭が良くなった話③(僕の考える天才像編)
という訳で、自分の考える天才像
1 人生の早い段階で観念としてだけでなく、実感として、人生が有限である事を知っている。
2 それゆえに、自分が、何を求めているかはっきりと知っている。
例えば、お金持ちになりたい→※ああ、絶対に無理だな→※なんだったら成功できたかな?→あ、医学部受験だ!
ここを18歳ではなく、12歳位で※の将来予想と※の過去の反省を二律背反的に思考出来るのが天才の定義
これにより、目標達成への確実性があがる。
つまり、未来予想は誰でも出来るんだけど、未来から過去にさかのぼって反省出来れば、その地点は現在なので、実際に行動に移す事が出来る。
3 あとは、夢を叶える為にがむしゃらになって何かに取り組む必要があるんだけど
受験の例で例えると、科目数×単元の確率 の例だけではなく、
例えば、数学の微積分を勉強するにあたって、
①微積分の本質が時間に関係する概念であること。を勉強するのだが、同時に
②微積分の概念を実生活と自分の目標(ここでは、いかに効率的に受験勉強するのか?)に応用出来たらさらに凄い。
③これが不可能ならば、少なくともある授業が自分の目標にとって、応用可能ならさらに良い。
極論するなら、微積分の授業を聞いたら、微積分の概念を使って、その場で、受験勉強のプランを修正出来たら天才。
プログラミングの学校では講義と実際に手を動かす、を同時にやっているけど、大学受験においては、数Ⅰ(場合の数とか)数Ⅱ、数Ⅲは「いかに最適なルートを辿れば最も効率的か?」の解を解く事に応用可能。
(文系なら「この世を、良くしたい!」という目標なら、政治学を学んだ次の日にはもう、◯◯派閥、とか作ってたら天才)
4 ③の、まとめで数学の授業の一回1日の講義を聞く事により、より大学受験の勉強時間が減って行き、確率があがる(と同時にいかに確実に合格出来るか?の確率の計算式の精度が上がる)のが天才
(文系なら、政治学を学んでいる間に◯◯派閥のクオリティ-がどんどん上がっていったら天才)
※授業を理解するのは勿論、授業の内容が事実、受験勉強をいかに効率的にするかの確率の計算式の理解に応用出来る。事を理解していないと、受験勉強は単なる暗記になる。
※文字通り、数学はツールであるから、いかにして東大に受かるか?の計算式があるなら、よりその計算式の理解に役立つはずだ。これは、人生の目標がプロ野球選手でも同じはずだ。
(文系なら政治学の授業が、◯◯派閥のブラッシュアップに繋がらないといけない。)
つまり、私達は小学生から大学数学まで、一貫して学びながらも「いかにして目的を達成するか?」を計算で出そうとすると仮定するなら、その学んだ知識で、その命題の確率があがるのが天才。別に計算である必要は無いんだけど。
→そもそも、ニュートンが万有引力を発見してから何百年たっているのに、「東大合格点するための確率は?」すら計算出来ない時点で天才じゃない。さらに、その計算式をどーしてもブラッシュアップさせたい!という位の情熱もない目標を、目標とするのがそもそも目標達成能力が無い。
どうしても目標達成したい=大学数学を完璧に理解してでも、その計算式を手にいれたい、である。
余談だが、昨今のプログラミング全盛は
(文系なら、世界を良くしたい!という目標を小学生からずーっと文系科目を学ぶ間にヒントを血眼になって探し続けながら、実際の友人関係や、クラスに影響を与え続け、いいクラスを作ったら天才。)
例えば、プログラミングを勉強しながら、同時に、どうすれば効率的にプログラミングを勉強出来るか?というプログラミングを走らせるイメージ。
うーん、文系の天才の方がカッコいいな。
天才のイメージが湧かないが、こんなイメージでいいのかな?
まとめると、数学を勉強しながら、その数学の知識を使って、(その場で)「どーしても俺は空飛ぶ洗濯機を作りたいのじゃ」という命題について20年位考え続ける位ではないと、天才にはなれなそう。はぁ、天才って疲れそう。
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