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大丈夫って言葉自体が全然大丈夫じゃないと美容院で思った話

流し足りないところはないですか?

かゆいところはないですか?

お湯は熱くないですか?

と聞かれて

「はい、大丈夫です」

と呼吸をするかのように答える。

それが月に一度の美容院のシャンプー台でのやり取り。


アシスタントの人の作業を邪魔したくない。

カットやパーマと異なり、施術時間があっという間だから下手に話しだすと中途半端な状態で席に戻ることになる。

だから、その一言をただ繰り返してる。

可能であれば、違和感があった際にこちらから申告するから確認せずに進めてほしい。


さて、ふと思ったのだけれども、この唯一の相槌、それ自体が全然大丈夫じゃないのでは?


例えば、流し足りないところはないですか?に対する「はい、大丈夫です」は

本当はもう少し流してほしいけれど、帰宅したら家でお風呂入るからやらなくてよい、の大丈夫

ちょうどよい、の大丈夫

むしろ流し過ぎなのでもうやめてほしい、の大丈夫

など、様々だと思う。

なのに、ちょうどよい、の大丈夫であると判断されて次の工程に進んでいく。

私にとっては、ほとんどの場合ちょうどよいから問題ないのだけれども。


目の上にタオルを置かれた状態で、ただただ大丈夫の意味を考えていたら席に戻る時間がきた。

そんな昨日の美容院での出来事。



同じ相槌しか打たないのは機械みたいだし、来月からアシスタントの人にも話しかけようかなぁ。



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