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『絶叫委員会』穂村弘 「言葉のセンスが鋭い」と、解説者風に

○はじめに

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『絶叫委員会』穂村弘

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【穂村弘の作品を語る上でのポイント】

①言葉のうまさに言及する

②人間的魅力を褒める

の2点です。

① に関して、穂村弘は歌人として活動しているため、この人の書く文章の言葉選びは光るものがあります。単なるエッセイでもピタッと当てはまる言葉をスラスラと書いていて、読んでいて気持ちが良いです。

② に関して、穂村弘という男は、カッコ良い人になりたいんだけど、平凡な世界から中々抜け出せなくて、背伸びしてて、でもそこに優しい心が一筋ある魅力的な人間です。俳句や詩やエッセイは小説よりも書き手の人となりが反映されやすいので、書いてる人に魅力があれば、その人の文章もまた魅力的になります


○以下会話

 「言葉のセンスが光る作品か。そうだな、穂村弘の『絶叫委員会』は面白いよ。前に、『君がいない夜のご飯』とか『本当は違うんだ日記』もオススメしたけど、今回のも面白い。この作品は穂村弘が持ってる言葉に対する敏感な感覚が一番わかる著書だと思う。

『絶叫委員会』は、言葉が溢れてる日常から、穂村弘が面白と感じた言葉を集めた本なんだ。よくある「感動する言葉」とか「名言集」とかの寄せ集めではなくて、普通の人なら気を止めずスルーしてしまうような何気ない言葉を選びとってて、穂村弘のキュレーション能力がわかる良書なんだよ。

■「マツダのちんこはまるっこいです」という天使の叫び

例えば、帰宅途中の小学生の集団のひとりが不意に大声で「マツダのちんこはまるっこいです」って叫んで、みんなできゃあきゃあしてたのを目撃して、小学生のくだらなさに感銘したことを書いてるんだよ。穂村弘が言うには、「まるっこい」のチョイスが素晴らしくて、これが「ちっこい」とか「でっかい」だと、現実世界における分類や価値体系の中に収まっちゃうから駄目で、やはり「まるさ」に注目するのが正しくて、それに「まるっこい」の「っこい」が素晴らしくて、ここに実際に手で握って確かめたような実感が含まれていて、世界の奥行きを柔らかく回復させる力が宿ってるって書いてるんだよ。言葉の感覚が鋭いよね。そして穂村弘を信用できるのは、「ちんこがまるっこい」発言を真剣に受け止めてる自分を客観的に見て怪しい人だって認めてて、「子ども見守りパトロール隊」に通報されしまうって書いてるんだよね。

そこから話は流れて、そんな「怪しい人」は穂村弘が子供だった昭和の街並みには何人かいたものだって言って、穂村弘の周りにいた「怪しい人」を書いてるんだけどそれがめっちゃ目に浮かぶんだよね。

私が子供の頃には、どの町にもひとりくらいはちょっとネジがゆるんだような怪しいおじさんがいて昼間からふらふらしていたものだ。彼らは一種の有名人だった。子供たちが野球をしていると近づいてきて「一回打たせろ、俺、ジャイアンツの二軍にいたんだ」などと云ってバットを奪って三振しながら、それなりに地域社会と共存していた。

ジャイアンツっていうバレバレな嘘と、二軍っていうちょっとの遠慮と、三振の潔さの全部が良いよね。平和な世界があったんだなって伝わるよね。

■「流し足りないところはございませんか」は不思議

他にも美容室でシャンプーをしてもらう際に店員さんが言う

「流し足りないところはございませんか」

って言葉が変だって書いてるんだよ。穂村弘はこれを聞かれたら自信なさげに「大丈夫です」って答えるらしいんだ。その理由を

「大丈夫かどうか、わからないでしょう。だって、その体勢では何にもみえないんだし、それともお客様の髪の毛には触覚があるんですか」美容師さんにそう突っ込まれたら、どうしよう、と思うのだ。

って書いてるんだよ。なるほどなって思うよね。そして、

「おかゆいところございませんか」

って言葉に対しても、「もしかゆいところがあっても、どう伝えれば良いのか分からない」って言ってるんだよね。

あたまの部位の名称ってそんなに細かくふられているわけじゃないから、都合よく名前付きの箇所がかゆくなるとは限らない。地図みたいに、「Bの6」とか云えるといいのだが、残念ながら頭皮には座標がない。

面白いよね。なるほどなって思うよね。

僕はシャンプーの時のこういう台詞は全て「何か要望ありますか」っていう意味で言ってるんだって頭の中で変換して、小さい声で「大丈夫です」って返答してるんだけど、確かに言葉を正面から受け取って考えると変な言葉だよね。

穂村弘は、このシャンプーの時の一言とか、日常にあるなんとなく違和感のある言葉を

たぶん、私の感覚で掴みきれないというか、微妙にチューニングが狂っているように感じられる言葉が、当然のように世界を覆ってしまうのが不安なのだ。

って言ってるんだよ。もうこの表現が上手だよね。僕もそう思う!って激しく同意してしまったよね。

そしてそもそも、シャンプーの時のサービストークって何でお姫様を扱うみたいにこんなに手厚いんだろうって書いていて、対象を頭部に限定したままサービスを手厚くしようとしているからずれるのであって、範囲を広げれば良いって言ってるんだよ。

髪を洗いながら例えばこんな風に問いかけるのだ。「小腹が減っていませんか」「エロい気分じゃありませんか」「アメリカン・パーティ・ジョークはいかがですか」「死んだお母さんに会いたくありませんか」それならこちらも「大丈夫です。今食べてきたので」とか「そういえば、ちょっとむらむらします」とか「日本昔話にしてください」とか「ママ、ママー!」とか答えられるのに。

面白いよね〜。

■「絶対言葉感」を持つ作家

この世には、小説家や批評家やエッセイストなど文章を書く職業の人は沢山いて、文章の美しさだったり、感性の鋭さだったり、構成の組み立て方だったり、それぞれの強みで勝負してそれぞれの分野で秀でてる人がいるけど、その中でも穂村弘は言葉選びの上手さで活躍してる人だと思う。他のエッセイとか歌集を読むと、自分の今の思いを共有する時のワードセンスが抜群なんだよね。ここぞという時の言葉をビタって当てはめるのが上手いんだよ。音の高さが分かる能力を「絶対音感」って言うけど、穂村弘は「絶対言葉感」があるんだよね。適切な言葉の高さが分かってるんだよ。

言葉に対する感覚が優れてる人って魅力的だし、僕も穂村弘みたいな面白い感覚を持てたらいいなって思うよね。是非読んで感想聞かせて。」



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