未練が感謝に変わったとき。
誰もがつい、してしまったことがあるであろう、元カレと今の彼氏、もしくは元カノと今の彼女との比較。
私もこれを繰り返していたうちの一人である。
これは、未練の一種と考えられるその感覚が感謝に変わった話だ。
元カレとは私が19歳のときから約5年間交際をしていた。大学生活と社会人生活をまたいだ交際だった。
一方、今の彼氏との交際は現在進行形であり、その期間はおよそ2年である。
なぜついつい比較してしまうのか、それは元カレにないものがあるか、を基準に次の恋愛を探し求めていたことが最も大きな原因であろう。
おかげで別れた頃はわずかであった元カレへの未練が次第に膨張し、つい最近までは頭の中を荒らされていた。
あくまでも主観的であるが、元カレに足りないと感じたもの、それは趣味などの自身を主体とした行動である。彼は休日にやりたいことがほとんどなく、彼女と一緒に目的もなく一緒にいたい、といった感じだ。
私はおそらく好奇心が強い方であり、今も仕事以外にやりたいことがたくさんある。休日は彼氏に会うよりも、身体を動かして、知識や経験を積み上げたい、そんな風に思うことが多々ある。
いつからか、元カレと感覚が合わないと決めつけてしまった私は、2人の間に見えない大きな壁を設けてしまった。すると、デートも、なんなら日常の会話もなんとなくぎこちなくなってくる。それが引き金となり、最終的に別れを選択したというわけだ。
あの修復しなければ、と思い優しく触れようとすればするほど壊れていく感覚は今後何度も味わえる感覚ではないだろう。もちろん、味わいたくもないが。
そんなわけで、私は次の恋愛を探す際、元カレにない日常における主体性を持っているかどうかを基準の一つとしていた。
ありがたいことに出会いは意外とすぐにめぐってきた。
それが今の彼氏である。いわゆる、付き合い始めだったからかもしれないが、最初の数カ月は何の支障もなく順調に交際が進んだ。恋は盲目というが、私は当初、「自分に合う人と付き合った、かつ、もう20代後半の大人の恋愛だからこれだけうまくいくのだ」と思っていた。
しかし、そんな簡単に今日までの2年間を過ごせてきたわけでは当然なかった。今では容易に想像できるが、お互い主張が強い性格であると揉めることが少なくない。いままで喧嘩と呼ばれるものをほとんどしたことがなかった私にとっては違和感の塊であった、と同時に、今までは相手が私の意見を受け止め、行動を合わせてくれていたのだ、ということを気づいた。
それに気づいた後、今まではたいして脳裏に濃く残っていなかったシーンが明確になってくることが多々あった。なんてわがままだったのだろう、と時を遡って当時の彼に謝れないことに少し息が詰まるような無力さを感じた。
だが、これは私が自身の恋愛との向き合い方を大きく変えるきっかけにもなった。いままでは、相手がどうであるか、と物事の問題の原因が相手にあることを前提としてしまっていたのだ。
相手にどうこう言う前に、自分に問題があることをようやく自覚した。
30年弱、なんと自分勝手な生活をしていたことだろう。
この気づきを得てからは、恋愛が明るいものになった。相手に求めすぎず、相手がそれを達成できないのは自分に何が足りないかを考えるようになった。喧嘩ととらえていた互いの主張の交換は、お互いの気持ちを理解するための前向きな行動として捉えられるようになった。
また、実は喧嘩と思っていたのは私だけなのかもしれないと思う。相手の気持ちを考えながら主張を交換していると、相手は意外と怒っているわけではないことに気づくのだ。当たり前かもしれないが、彼氏彼女の関係であることは、互いが持っていないものを補完し合い、一人ではできない経験を作り上げ、共有するものなのであるのだから。
恋愛への未練と何度も向き合っているうちに、それらはいつしか感謝に変わった。今でも昔を思い出すことはあるが、決してその時点に戻りたいとは思わない。これまでの経験が今の自分を作っていると思うと、過去に恥ずかしいぐらい失敗できたことを本当にありがたく思うし、やり直さず記憶に残しておくべきだと思う。
ただ、元カレに会う機会なんてそうそうないだろうが、軽くお酒を飲んで酔っ払ったふりをして、心からお礼を言いたい。
そして、これからは、お礼を言うタイミングを待つような状況を作らないよう、彼にはその場で感謝を伝えたい。
さて、次の電話ではどんな話をしようか、次のデートはどこに行こうか。
過去の会話などから、お互いの気持ちを温かくするものを、夜道を走りながら見つけようと思う。
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