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子どもを産み、育てることの意味とは?

長らく「子どもを産むことの意味ってなんだろう?」と考えてきましたが、今ようやく一つ納得できる説明に出会えたので紹介します。まず結論から書きましょう。


●ラッセル曰く、

……いっさいは死で終わってしまう。彼らのあとにくる世界は、彼らとかかわりがない。それゆえ、自分のすることなすことがつまらなく重要でないことに思われてくる。子供や孫がいて、彼らを自然な愛情で愛している人びとにとっては、少くとも生あるかぎり、未来は重要である。それも、道徳的にあるいは想像の努力を通して重要なだけではない。自然にかつ本能的に重要なのだ。
(ラッセル『幸福論』より)

これは、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが、自身の著作『幸福論』(うち第13章「家族」)において語っていたことです。

要するに「子どもは自分と未来をつなぐ架け橋になる」ということです。


●「子どもが欲しい」という感情の欠如

さて、この本に出会う前に私が考えていたことを書きます(私が猫という設定は今回はちょっとナシです笑)。

私は既婚ですが子どもがいません。特別欲しいと思ったこともなく、欲しくないと思ったこともなく、ただ今のところいないだけです。当然、周囲(特に親)から「子どもはまだか」と言われます。

世間的には、当然のように結婚→出産という流れであり、結婚できないなら卵子を凍結するという方もいます。でも「子どもが欲しい」という感情があまりない夫と私は、特に対策をしてきませんでした。

むしろ、「『子どもが欲しい』と思えない状態で子どもをつくることが正しいのかな?」とか、「『子どもが欲しい』」と思えない(=子どもに対して強い欲求を感じない)自分は母性が不足しているのかな?」などと悩んでいました。


●ほとんどの人は「できた」だけかもしれない

私の周りには「子どもが欲しい!」と公言したり、そのために妊活をする友人が多くいたので、そのような欲求がいつか当たり前に沸き起こるのだろう、それこそが本能なのだろう──と思っていました。

何年もそれを待っていました。でも、やってきません。子どもが嫌いではないけど、別に欲しくもないです。正直なところ。

でも、考えてみれば、「欲しい!」派の意見が目立つだけであって別にみんながみんなそこまで欲しいわけではないのかもしれない。身も蓋もない話で恐縮ですが、ただ「できた」だけかもしれない。と考えるようになりました。

多くの人は結婚した後に一緒に暮らし始めるので、生物学的な本能に従った場合、確率的に1年以内に子どもができる場合が多いです。「子どもが欲しい」と思う暇もなく(どうしても「欲しくない」と考えた場合は別として)、多くの人が「できちゃう」のではないか。

逆に、諸々の事情でそのペースにのれなかった私のような人は、「できちゃう」タイミングを逃した結果、無駄に悩んでいるだけかもしれません。

要するに、「本能的に適齢期になると『子どもが欲しい』と感じる」とまでは言えず、結局は性欲なんだろうな。ということです(分析的すぎて申し訳ありません)。


●子どもを産むと、自分の人生が終わらない

さて「子どもが欲しいと思えない問題」はなんとなく解決したので、冒頭のラッセルの言葉に戻ります。

……いっさいは死で終わってしまう。彼らのあとにくる世界は、彼らとかかわりがない。それゆえ、自分のすることなすことがつまらなく重要でないことに思われてくる。子供や孫がいて、彼らを自然な愛情で愛している人びとにとっては、少くとも生あるかぎり、未来は重要である。それも、道徳的にあるいは想像の努力を通して重要なだけではない。自然にかつ本能的に重要なのだ。
(ラッセル『幸福論』より)

なるほどなるほど。

私がずっとモヤモヤしていた原因は、

「子どもは可愛いから産むものであり、可愛いから育てるものである」

という思い込みだったのです。そういう人もたくさんいるでしょうし、否定するつもりは全くありません(素晴らしいことだと思ってます)。でも、そうじゃない人もたぶんいるでしょう。むしろラッセルが語るように、

「自分の世界が死によって終わると考えると、全てが無に帰してしまう。それが怖いから、子どもに自分の遺伝子を残すのである」

という説明は非常にしっくりきました。「これならわかる!」と感動しました。

私は常々「死んだら何もかも終わってしまうのに、どうしてこんなに本を読んだり考えたりするんだろうなぁ」と疑問に感じてきました。別に悲観しているわけではなく、単純な疑問です。

「人間は歴史的存在である」と言った人もいましたが(心理学者フランクル『死と愛』)、そんなのは机上の空論、綺麗事に思えました。

死ねば終わる。自分の世界が終わる。なのに生きる意味ってなんだろう?

子どもがいれば、たしかに自分の一部が受け継がれる。そう考えると、「人間は歴史的存在である」という言葉の意味がようやく飲み込めました。みんな誰かの先祖であり、誰かの子孫なのです。その流れをつくっているのはただただ「子どもを産むこと」です

ある意味で自分本位な考え方ですが、それがかえって受け入れやすかったのです。


●そうは言っても、子どもがいなくてもいい気もする

しかし、だからと言って突然「よっしゃー!子ども産むぞー!」となれるほど、残念ながら私は単純ではありません。やっぱり「別に子どもいなくてもいいや」と思ってしまうのです。

自分自身まだまだ学びたいことだらけなのに、仕事もやりたいのに、子どもにエネルギーを受け渡すのが惜しい。正直に言うとそういうことです(誰もそんなこと言わないので、非人道的な気がしてなかなか言えませんが)。

この問題について結論が出ているわけではありませんが、一つの考え方としてラッセルの言葉を紹介してみました。もし同じような問題で悩む方がいて、世間の声以外の意見を知りたければ、本を読んでみてもいいかもしれません。

それから……不本意にできちゃったとか、子どもを育てるのが嫌になっちゃったという方がもしいたら。「別に子どもは可愛いから育てるだけじゃない、自分の希望をつなぐためでもあるんだ」と、感じていただけたらよいかと思いました。子育て頑張ってくださいね(と、見えない誰かに向かって笑)。


(※  古い本を読むと、こういう良い面があります。いつの時代も変わらない普遍的な価値観を得やすいというのがまず一つです。また、長い時間を経ても生き残っている本は市場で淘汰されており、相対的に価値ある内容が含まれている可能性が高くなります)


参考文献

参考記事



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