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【特集】もう一度観たい、やばいB級映画 第14回「ゴジラ1985」
1984年、日本を始め世界中のオタクの期待をあつめて公開された「ゴジラ」はかな~り微妙な映画だった。
ゴジラの恐怖と破壊を求めていた観客が見たのは長々と政治家・ジャーナリスト・科学者がグダグダと対策会議しているだけの映画だったのだ。
何か似ているでしょ?そうあの「シン・ゴジラ」なんですよ。だからいってるけど庵野はオリジナルのふりをしながらしれっとパクっているのだ。
後のシン・ゴジラに間違いなくとんでもない影響を与えた本作はアメリカでも公開されることになったが、批評も興行は散々で終わった。とはいえ、同じく国外で大コケしたシン・ゴジラよりかはなんとかなる興行だったらしく以降はビデオ中心でゴジラのフランチャイズがされていったそうだ。
しかし、アメリカの配給会社は「これではアメリカ人に受けない」といってかつてアメリカ公開版の「初代ゴジラ」の主演俳優でジャーナリストのマーティン記者を演じていたレイモンド・バーを再起用した。
この怖い顔のおっさんが偉そうにウンチクを飛ばしてるシーンだけでもう面白いのだ。
そして、オリジナルのダラダラした場面は極力排除しゴジラと人間のデスバトル、それをみつめるワシントンの人間たちを描くことで「コンテイジョン」のような一流のパニック映画になってる。やはり映画はテンポが命だ。
基本的なあらすじはこうだ。
30年ぶりに姿を現したゴジラ、これを迎え撃つべく30年前にゴジラに襲撃され友人知人を皆殺しにされたマーティン記者をペンタゴンの役人たちは呼び寄せる。
マーティン記者もゴジラの上陸を悪夢の中で予言しており、役人たちに告げる。
「来るとわかっていました。」
マーティンはかわいい孫のためにゴジラ対策に協力をすることになる。そんな彼のやることといえばしきりに「ゴジラには軍隊は通用しません。」というだけだった。
そんな中、ゴジラに襲撃されたソビエトの軍艦が核ミサイルを放ってしまったり、それをとめるべくアメリカ側が工作したり(アメリカ版限定のシーンで、オリジナル版は暴走した核兵器を止めようとして息絶えた)紆余曲折あるが・・・ついにゴジラは東京に上陸してしまう。
大量の人間を殺害し破壊しつくしたゴジラの前に首都防衛要塞スーパーXがやってくる。カドミウム弾をつかいゴジラをダウンさせるが、上記のパニックで暴発したソビエトの核ミサイルの放射能がゴジラにふりそそぎよみがえってしまう。
しかし、ゴジラが恐竜であること、恐竜は鳥に近いことを見抜いた科学者チームのアイデアで鳥の声を改造した音声発生装置でゴジラを呼び寄せると火山の中にゴジラを封じ込めるのだった。
まあ、ぶっちゃけある程度は1984年版と大差ない内容だが本作の違いはそのテンポのよさだ。無駄なドラマや説教くさいセリフはカット、その代わりに80年代らしい余裕あるアメリカンジョークとなぞのペンタゴン基地の描写、そしてゴジラは滅茶苦茶人を殺している描写が89分の中にこれでもかと収められている。
オリジナルの1984年版ゴジラは武田鉄也扮する浮浪者や石坂浩二扮する警備員がゴジラと遭遇したはいいもののあまりなにもせず死んだか生きてるのかわからないままの状態だが、この北米版だと彼らはゴジラに踏み潰されて殺されているという明確な死が描かれている。
はっきりいった話、レイモンド・バーは何をしにきたのかわからない役だが・・・・それでも初代と話が続いた内容だというミッシングリンクとして彼の存在があると考えればわからないではない。
確かにこのチープさは当時のアメリカだったら劇場映画よりもテレビのスペシャル番組とかのが向いてるよなあ・・・・。
ぶっちゃけアメリカ人が製作したあらゆるゴジラ物の中で本作が一番好きだったりする。
最後のセリフも中々カッコいい。ゴジラ誘導作戦は成功し、ゴジラは火山の中に仲間がいると勘違いしその中に封じ込められていく・・・・。日本人のキャラがめそめそする中、マーティン記者だけは憮然としていた。
そして、彼のモノローグで映画は終わる。
「自然は人間の高慢さが生むおそろしい結末を批判し、われわれに人間がいかに卑小な存在かを思い知らせる。自然は嵐や地震ときにゴジラとわれわれを対決させわれわれの弱さを思い知らせる。人間の尊大さは人類の行く手を阻んでしまう。今回、罪のない悲劇の怪獣ゴジラは地の底に消えた。再び人類の前に姿を現すことはないだろう。そして、その教訓だけが後世に残されるのだ・・・。」
30年前の1954年にゴジラがきたとき、マーティン記者は同僚を皆殺しにされた。おまけに芹沢博士と友人であったこともあり、友人を失ってしまった。
だが、そんな彼の前にゴジラは人類の犠牲者にみえてしまったのかもしれない。考えればこのシリーズにおけるゴジラはただの恐竜だ。
マーティン記者はきっと本当の怪物はゴジラを生んだ自分たちアメリカ人だったのかもしれないと考えているのではないだろうか。複雑な表情でゴジラを見送るマーティン記者の顔にはそんな悲しみがうっすらとみえた。
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