バットマン・ザ・ラストエピソード>>>>>シン・エヴァンゲリオンというお話について
※本記事にはネタバレを多く含みます、それをご承知の上でお読みください。※
久々にシン・エヴァ関係の記事をあげさせていただきたいと思います。
もういい加減にしろという多くの皆様からのブーイングはわかっておりますが、どう考えてもね…これはねやっておかないといけないとおもっているのでやらせていただきました。
シンエヴァのオチといえばわかりやすくいえば、あらゆるエヴァが統合されるというオチなんですが…。
そのオチも唐突で何の伏線もない、おまけに投げやりな感じがありました。
まあ、今回紹介する「バットマン・ザ・ラストエピソード」についてもあらゆるバットマンの最終回ではありますが…そのデキは雲泥の差であるといっていいでしょう。
ゴッサムシティのとある墓地、そこでは一人の男の葬儀が行われていた。
そこに駆け付けるのはキャットウーマン、トゥーフェイス、ジョーカー…といったゴッサムシティの犯罪者たち。
彼らはそれぞれの想いを語りながら死んだ男の話に華を咲かせる。
そこにはゴードンのようなゴッサムシティ警察の人間や、スーパーマンといったヒーローも駆けつけていた。
そして喪主の男が姿を現す…。
なんとそれはアルフレッドだったのだ!!!
そう、これはバットマンの葬式であった。
彼らは棺の前のバットマンを前にそれぞれ彼の最期についてバラバラの話をする。
ある時は海に溺れ、ある時はギャングに銃で撃たれ…といった形で。
それらに共通点などなかった。
さらにはジョーカーの正体はアルフレッドだったというヨタ話まで披露される。
しかし、その様子を黙って見つめる男がいた。
バットマンその人だったのだ。
不思議な事に彼は自身の葬式をみせられていた。
彼は紆余曲折あり、目の前に起きていることは現実ではないのではないかと指摘する。
すると彼の前に母親マーサ・ウェインが現れる。
そう、これはあらゆる世界のバットマンたちが行きつく最果ての地であった。
どのバットマンも迎えるのは安息の最期ではない、闘争の果てに死ぬ…それが彼の最期であったのだ。
だが、バットマンはそれを恐れない。
死よりも戦いを選ぶのだ。
なぜなら彼は闇の騎士バットマンだからだ。
悪に屈し、泣く人がいる限り彼は戦いをやめない。
それが輪廻転生を繰り返し、永遠につながったとしても彼は決して戦いをやめないのだ。
そんな悲しい決意をするブルースの魂に、母マーサは告げる。
「バットマンになったご褒美は何だと思う?またバットマンになれるのよ。」
この世界でバットマンは死んだとしても無限の戦いが彼を待っている。
だが、しばらくは彼はバットマンを休む権利を得るのだ。
子供のころ、愛読していた本のセリフとともにブルース・ウェインの話はここで一旦終了となる。
「おやすみ、ゴッサムシティ。おやすみバットシグナル。おやすみ、みんな…。」
ブルースの母であるマーサはそう、ブルースに語り掛ける。
やがて、バットシグナルは赤ん坊のブルース・ウェインとして蘇るのだった。
それがバットマンのいない世界か?なんなのかについてはわからない。
あるいはもう一度生まれ直しても待っているのは地獄かもしれない。
だが、それでも彼は戦うことをやめないのだ。
というのも、本作実はその当時DCコミックスが売り出していた「バットマンRIP」や「ファイナルクライシス」で起きたバットマンの死に関係した作品であり、その幻想的なストーリーにこの話を読んだ自分はその世界間に感慨深いものを感じた次第である。
本作を書いたのはニール・ゲイマン。
ファンタジー物を書かせればアメコミの世界でも随一の男である。
まあ、そんな彼と庵野秀明を比べるのは庵野にとって酷かもしれない。
っていうか、これをみて何を思い出しましたか?
そう、シン・エヴァってこれにそっくりでしょ?
ぶっちゃけ、シン・エヴァンゲリオンはこれをオマージュしたのではないかと思っています。
どう見てもそっくりでしょ!?
だけど、そのデキはかなり違う。
自身に都合のいい世界に逃避したシン・エヴァのシンジ君と、自身の逃れられぬ宿命を悟り戦いに挑むことを決意するバットマンとでは何もかもが違うのだ。
バットマンを待つの無限の闘争しかない。都合のいい世界に逃避する碇シンジなどではないのだ。
それでも彼は戦うのだ。
僕はこれを読んで涙が止まらなかった。
あらゆるバットマンはここで死に、蘇るのだ。
そしてもう一度戦うのだ。
まるでいすずのトラックのように…。
というか、「胸の大きいいい女~」で終わったシンジ君というか庵野秀明…はこのバットマンを見習いなさい!
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