見出し画像

【読書記録】三浦綾子『塩狩峠』

三浦綾子(1922~1999)は北海道旭川出身の作家で、『氷点』、『泥流地帯』など数多くの作品を残しています。先日、あるきっかけで氏の代表作の一つである『塩狩峠』を読みました。

恥ずかしながらそれまで三浦綾子氏の名前も『塩狩峠』という作品も全く知らなかったのですが、読んでみてこれは出会えてよかったと思える、非常に心に残るものでした。

<簡単なあらすじ>
明治10年に生をうけた永野信夫は、当時邪教とされていたキリスト教を母が信じていたことがきっかけで、祖母から離縁か改宗かの選択を迫られた際に、母が信仰のために幼い自分を残して家を出ていったことを知り、キリスト教に対して嫌悪感を抱くようになる。しかし、母の信仰の深さと当時の本当の想いを知ったこと、また親友である吉川の妹で、気になる存在であったふじ子をはじめとする様々な信者との出会いをきっかけに、信夫もキリスト教に真剣に向き合うようになり、やがて信仰に目覚める。元来誠実で仕事熱心な信夫は、愚直に聖書の教えを全うせんと日々奮闘する。そうして信夫は職場からも教会からも絶大な信頼を置かれるようになるが、いよいよふじ子との結婚を目前に控えた日に乗った鉄道で事故が起き、信夫は乗客の命を救うために自らを犠牲にしてこの世を去る。

長編の作品で、主人公の信夫が小さいころから成熟した青年になるまでの歩みが丁寧に描かれているだけに、終盤の展開には涙を禁じえません。

信夫は幼いころから人生の意味や人格の陶冶、宗教の意義などについて親友である吉川と真剣な議論を交わしながら、一生懸命に向き合ってきました。

母との経緯があったために当初はキリスト教に対して理解を示すことはありませんでしたが、自分の愛するふじ子もキリスト教徒であることを知り、結核と脊椎カリエスを患って余命幾ばくという状況でも信仰の力により決して悲観せず毎日を明るく生きる姿を見たことが大きな引き金となり、信夫は聖書を手に取ることになります。

そこから信夫はキリストの教えを忠実に守らんがため、仕事とふじ子の看病に奔走する傍ら、職場の同僚の面倒も実に甲斐甲斐しく見るようになります。信夫の部署には三堀という大酒飲みの、ひがみっぽく人の恩義もろくに感じないような人物がいるのですが、彼はある日同輩の給料袋をくすねていたことがばれてクビを言い渡されそうになります。信夫は三堀の代わりに罷免を取り下げてもらうよう上司に頭を下げますが、三堀からはお礼を言われるどころか、自分にここまでするなんて何か企みがあるんだろうなどとさんざんに悪態をつかれます。それでも信夫は決して彼を見放すようなことはせず、まっとうな人間に戻すべく辛抱強く接します。

そんな立派な人間が鉄道事故での犠牲によって最期を迎えるとは、なんとも悲しいものです。読んだ方は分かっていらっしゃると思いますが、もちろん信夫は自らの信仰に従って躊躇なく他の乗客の命を救うことを選択したのですから、その覚悟と行為の美しさは見事としか言いようがありません。

ただ、信夫には看病の甲斐あって奇跡的に回復したふじ子との幸せな結婚生活を送ってほしかったというのが一読者としての素直な感想ではあります。

そうして読み終わった時、巻末の解説に信夫のモデルとなった実在の人物がいると知ってまた衝撃を受けました。モデルの方の幼いころは信夫とリンクしているかは分かりませんが、実際にその方も敬虔なキリスト教徒で、信夫と同じ北海道の鉄道職員で周囲からの人望も非常に厚く、鉄道事故が発生した際に身を挺して大勢の乗客の命を救ったということです。小説と同様に、事故後その方の評判が知れ渡り、当時の教会には感銘を受けた多くの入信者が集まったとのことです。

信夫があれこれと面倒を見ながら素直に心を開けなかった三堀も、信夫の犠牲を目の当たりにして最後の最後に本当に心を入れ替え、実直な人間へと生まれ変わりました。信夫の死自体は悲しいものですが、彼自身は常に遺書を持ち歩いて信仰に殉ずる覚悟があったこと、またそれが彼の望みでもあったこと、そして死後多くの人の心を動かしたこと、これらがあるために読者の心にも感動が残ります。

また、この小説には信夫だけでなく、多くの立派な人物が登場します。信夫の親友の吉川や職場の上司の和倉も、誠実で芯の通った人間です。また、信夫の母の菊と、ふじ子の生き様も非常に印象に残ります。

この小説を読むまで詳しい実態を知りませんでしたが、今よりもキリスト教に対する偏見や迫害がひどかった明治という時代に、幼いわが子と離れて暮らすことになってまでも捨てることのできなかった菊の信仰の篤さ、そして治る見込みのない病に侵されながらも前を向き続けるふじ子の心の強さは圧巻です。

作者の三浦綾子氏も、ふじ子と同じく結核と脊椎カリエスを発症し、13年にわたる闘病生活の中でキリスト教への信仰に目覚めたとのことで、これらの人物の造形には自身の経験が大きく影響していると思われます。

三浦氏は病気になった最初のころに生きる意味を見失い、入水自殺を試みましたが、そこから信仰によって心の支えを得て、病気から回復したそうです。だからなのか、セリフや行動には読んでいて決して作り事や綺麗ごとに感じないような、心に迫る力強さ、美しさがあります。

私は今のところ特定の宗教を信じてはいませんが、歴史や文学を勉強する時に、人間にとって宗教がどのような役割や意味を持つかということや、もしかしたら今後何らかのきっかけで私も信仰に救いを求めることがあるかもしれないということはよく考えます。

どのような形になるにせよ、信夫の10分の1でもいいですから、死んだ後に人に何かを残せるような人間になりたいものです。できることなら信夫や、そのモデルになった実際の人物に会ってみたかったと、あまり小説を読んでそう感じることはないのですが、それくらい思わせられる力のある作品でした。いつかまた、他の三浦作品にも触れてみたいと思います。

『塩狩峠』は映画にもなっているそうですから、興味のある方はぜひ本でも映画でもお手に取ってみてください。

ここまでお読みいただきありがとうございました。








この記事が参加している募集

#読書感想文

188,357件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?