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ヒゲと自由

私はヒゲが好きである。

子供の頃に読んだ教科書に出てくる偉人や文学者などは、皆一様に立派なヒゲをたくわえている。

権威や威厳の象徴として、とても格好良かった。



しかし田舎生まれの私の周りには、ヒゲを生やしている大人はいなかった。

ヒゲはテレビや映画の中でしか見ることはなく、しかも俳優やミュージシャンなど自由人的な職業の人がほとんどである。

子供の視点から見て「きちんとした」職業の人はヒゲがNGなのだと分かると、少し悲しかった。

この時私の中で、ヒゲは権威と威厳から、自由の象徴へと変わった。


高校を卒業して田舎から東京に出ると、ヒゲを生やした大人を見ることが多くなった。

ただ、パッと見では何の仕事をしているのかわからない人が多い。

スーツ姿にヒゲスタイルは極めて少数だった。

やはり真面目な人はヒゲはダメで、生やしていてもOKな人は自由な生き方をしているんだと確信するようになった。


私は高校卒業→大学進学→いい会社に就職という、当時の自分の狭い視野の中で規定した「一般的な人生のレール」から外れた人間だった。

それならいっそとことんレールから外れてやろうと、よりヒゲへの憧れが強くなった。

社会のルールや空気に抗う、反体制派の若者といった気分である。


しかし、紆余曲折を経て就職したのが塾業界であったため、ちゃんとヒゲを剃り「きちんとした人」であることを演出しなければならなくなった。

仕事は楽しかったが、ヒゲが伸ばせないことへの窮屈さはずっとあった。


結局今までの人生でヒゲを存分に楽しめたのは、ワーホリでオーストラリアにいた時と、帰国して引きこもりニートだった時のそれぞれ一年間くらいである。


昔よりも今の方が、田舎よりも都会の方が何となくヒゲに対する寛容度は高い気もするが、まだ大手を振って生やすのには抵抗がある自分がいる。

もっと欧米のようにヒゲが自由な社会にならないかなあ。

あるいはヒゲなんか問題にもならないような、圧倒的な実績と信頼のある仕事人になりたいなあ。

そんなことを考えているうちに、ヒゲに白髪が混じるようになってきてしまった。


私が好きなのは黒々とした豊かなヒゲだ。

時間と老いは待ってくれない。

もう理想のヒゲと共に生きる日々は手に入らないのだ。

だからこそヒゲは私にとって、永遠に憧れの対象、自由の象徴であり続けるだろう。


(あとがき)

ヒゲの歴史と文化についてまとめた面白いコラムがありました。よかったらどうぞ↓(間違ってるように見えますがリンクからすぐそのコラムに飛べます)


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