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楽をするにも努力が必要なのに

「努力」ってもう古臭い言葉なのでしょうか。

努力が大事なのは分かっちゃいるけど、なるべく楽したいっていう雰囲気を、最近の子を教えていて感じることが増えてきました。

気持ちは分かるけど、ちょっと違うんだよなあと思うところがあるので、まず私自身のことから少しお話しさせてください。

私はどちらかというとストイックな方で、一度これと決めたら努力が苦にならないタイプです。

ビリヤードのプロを目指して一日中ビリヤード漬けの毎日を送ったとか、会社を辞めて携帯も車も手放して東大受験の勉強に勤しんでいたとか、そんな話をすると人からもストイックだね、と言われます。

診断は受けていませんが、もしかしたら発達障害の一種とか、あるいはただ先天的にそういう気質なだけなのかもしれません。

ですが、それとは別に大きな影響があったと思うのが、小学生の頃から触れてきた一流のプロ野球選手の思考です。

私はプロ野球が大好きで、華麗なプレーや記録の数字などと並んで、新聞やテレビのインタビューで語られる一流選手の高いプロ意識に触れるのが本当に好きでした。

「厳しい競争の世界だから、人の倍練習しないと生き残れない」とか、「食事やコンディショニングも含めて、常に野球のことを考えながら生活している」といった話を聞いて、「やっぱ一流と呼ばれる人たちはスゲーな」と刺激をビンビン受けていたのです。

また、こういう人たちが一流のレベルに到達するまでは、色々な苦労や挫折などを経験していることがほとんどです。どうやったらその壁を乗り越えられるか、自分で考えながら頑張って克服していく様は非常に感動的です。

私は子どもの頃からこういった意識に触れ続けてきたことで、自然と「高みを目指して試行錯誤しながら努力することは当たり前」という考え方になりました。

ですが、今はコスパやタイパという言葉が定着し、なるべくムダなことはしたくないという意識が広がっていますよね。勉強においても、努力は最小限に、成果は最大限にという考え方をしている子が多い印象です。

そのため、「参考書は何がおススメですか」とか「何かいい勉強法はないですか」といったような、なるべく最短距離で結果につなげたいという意識が見える、ぼんやりとした質問をよく受けます。AIチャットよろしく、こちらに解決策を丸投げです。

もちろん効率を求める気持ちはよく分かりますし、私もけっこう合理主義なので否定はしません。ですが、そのような最大限のコスパ、タイパを実現するにも、実は努力が必要ではないかと私は思うのです。

なぜなら、何が自分にとって一番効率のいいやり方かなんて、結局自分にしか分からないからです。色んなやり方を試してみて、これは自分に合う合わないという経験をある程度重ねないと、何がベストかという答えはなかなか見えてきません。

私が1日3時間の勉強で東大に合格できたのも、効率を求めて色々と勉強法を試した末の結果です(詳しくはこちら)。私のやり方をはじめから一発で「こうした方がいいよ」なんてそのまま教えてくれる人は、恐らくどこを探してもいなかったでしょう。

最終的に楽をするために、まずは色々と苦労することが必要といった感じですね。そこをすっ飛ばそうとすると、結局いつまでも最初の一歩が踏み出せなかったり、結果的に遠回りをしてしまう気がします。

ですから、私は生徒から「参考書は何がおススメですか」とか「何かいい勉強法はないですか」といったあいまいな質問を受けると、まだまだ努力が足らないなあと思ってしまいます。

もしある程度考えながら努力していれば、「国語の選択問題は出来るんですが、記述が苦手なのでいい勉強法や問題集はないですか」とか、「長い会話が続くリスニング問題ってどう対応したらいいですか」といったように、自分の弱点や課題が分かってきて質問が具体化してくるからです。

もちろん最低限の実力はないとこのような意識や努力はなかなか難しいため、まだこの段階にたどり着いていない子は手取り足取りサポートする必要があります。

ですが、ある程度自分で出来る力のある子には、どこかで突き放さないといつまでも自立できません。そのため、力のある子からあいまいな質問がきたら、試行錯誤の必要性を説明した上で「まずは自分の課題や、こうしたいっていう願望がはっきりするまで色々やってみて」と伝え、こちらから答えを出さないようにしています。

仮に具体的に答えたとしても、生徒自身の中で問題点が明確化していないと、何も響かずに終わってしまうからです。

しかし、これがなかなか一筋縄ではいきません。こちらの意図を理解してくれる子はそのまま伸びていくからいいのですが、「そうやって色々試すのが面倒臭いから聞いてるのに」といった反応を示す子は、どうも伸び悩んでしまいます。

その子の興味に合わせて、スポーツや芸能の世界など色んな例えを出しながら「一流の人はこうやって努力してるから結果を出しているんだよ」と言っても、なかなか伝わらないのが辛いところですね。

最近はレベルの高すぎるモデルケースを示すと、自分の立ち位置とのギャップの大きさを感じてしまい、逆にやる気を失くしてしまうようです。

身近で親近感が湧くモデルの方が響くみたいなのですが、私の根っこにある考え方と真逆なので、例を探すのにも一苦労だったりします。

ただ、一度でも試行錯誤を経て前進した感覚が得られれば、後はこちらが何も言わなくてもある程度自分で走り出せるようになるので、そこまで粘り強くサポートすることが必要ですね。

私も気づけばもう40歳になり、中高生とのジェネレーションギャップをどんどん感じるようになってきました。「楽をするにも努力が必要だ」なんて言っていると、もしかしたら老害なんて言われるかもしれません。

今の子どもたちの考え方も分からないではないですが、やはりこれは真実であると思うので、今日も伝わる方法を模索しながら頑張ります。これもまた、努力。



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