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“命を救うためのインド緊急寄付報告会“


4月終盤から先月までのインドにおけるコロナ第二派。

感染拡大防止のための都市封鎖。

都市封鎖による失業。

失業による収入喪失と飢え。

飢えによる死。

あまりに多くの人が“コロナ“に間接的に影響を受けて亡くなった。
今もその様な状況はあるのでしょうが、つい先月までは支援が全く届かなかった地域も多くあった。

私の大親友の住む村では毎日顔を知っている誰かが死んだ。
飢えや絶望からの自殺、家族が少しでも食べられるようにと自殺した父もいた。
政府の支援は遅々として届かず、全くの“ガイジン”である私たちは、多くの方々の協力のもと、現場の方々と共に緊急食糧支援活動を実施した。

報告会を実施したので共有します。
あくまで深刻な感じではなく、普段の私たちの様子で取り繕わず実施しました。

三本ありますが、内容は近しくなっています。
※私の声ばかりですが、二回、三回目はゲストの方にもお話いただいております。

第一回寄付報告会
https://drive.google.com/file/d/1tztHyS5U-yvGax9l95LVHL7tFyvkQPWk/view?usp=sharing

第二回寄付報告会_Nudge三神さまと共に
https://drive.google.com/file/d/1MmTKsuEgH3fCnkkARm-B6TMx4_RUrenE/view?usp=sharing


第三回寄付報告会_I’m Beside you神谷さま、寄付に協力してくださったIIT学生と共に
https://drive.google.com/file/d/1qABuatW3s0aSq_9mLSJPK99OpJrgrNNA/view?usp=sharing


下記は寄付報告会を終えての所感です。
いつもの長い文章です。
―――――――――――――

人の生き死にがかかる緊急性の高い寄付なんて人生で一生したくない。

誰かが死んでいてそれを救える可能性があって、でもお金やノウハウがないから救えない状態なんて悔しく、耐えがたい。

そんな想いを寄付活動中ずっと感じていた。

今までの自分は何をやっていたんだ。

“外部環境が原因で努力できない”どころか生きることができない。
だけどそれに対してできることがあるのにチカラが及ばない。

寄付によって文字通り多く命を救うことができ、また私たちは実績が多い訳でも高名なわけでも能力が高い訳でもないのに非常に多くの方が協力してくださった。
そこへの感謝は素直に感じる、通常あり得ないことだと想う。

ただ、同時に、日本語で寄付が必要な状況を伝えている間に死んでしまう人間が同時に全く同じ人間として、全く同じ時間、全く同じ地球に“存在“していた。

それを感じ、想わなかった日は無かった。
激しく辛い想いを今でも素直に感じる。

次を観ることができる。
もうそうならないように“頑張る”ことが僕ら生きている人間にはできる。
それができない死んでしまった人たち、当たり前に亡くなっていった人たち。
もう二度と夢を見ることもない人たち。
その人たちを想うと“これから頑張ればよい”その一言に対する自分の覚悟に重さを感じる。
明らかにこの31年間の人生という時間において“できたこと”はある。
そりゃ今振り返ればそうだ。なぜなら今の自分は前の自分をいつだって振り返って反省も後悔も勝手にできる。
ただそれとは別の、この先永遠に後悔することができない誰かの“いのち”が無くなったことは事実だ。


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