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勉強は終わりなく続いてく

勉強って、それだけやっても意味がないというかいろんなことが繋がってるから、何かについて学ぼうとすると無限にやることがでてきますよね。
物理を学び直そうって思っても数学を忘れてたら全然できなかったり、JavaScriptやろうと思ったら当然HTML・CSSがわかってないとだめだったり。
基礎が大事とか今後役立つからとか、ずっと言われてきたけどうざったく感じてた言葉達の重さを今更感じています。

学校教育って学問の連続性があって、その教科だけみても基礎から順に発展に積み上げてくれるし、他教科ともかなり簡単にシームレスに繋がっていきますよね。
それが座ってるだけで勝手に手に入れられたのって、今思えばめちゃくちゃありがたいしすごすぎるけど、当時そんなことに気づくはずもなく、「なんであのときもっと真剣にやってなかったんだろう」って後悔ばかり。

でも、この後悔が湧くってことは学び続けてる証拠だと思います。
なにかをまだ学んでいるから、学生時代の記憶の中に今の学びに繋がるピースを見つけたときに「そのピースが今要るのに、ちゃんとやってなかったから思い出せない!」ってなって悔しい気持ちになるんだと思うんですよね。

勉強ってやってる時間は大変だし時間もいっぱいかかるのに、忘れるのは本当にすぐ出来ちゃうのなんでなんだろう。
人間は忘れることで発展してきたってどこかで見たか聞いた気がするので、すぐ忘れるのは人間の特権なのかもしれないなって思ったり。
忘れちゃうんじゃなくて忘れられるから脳みそがパンクせずにいられるんでしょうね、きっと。
全部覚えてたら情報過多で脳みそがショートしちゃうし、たくさんの情報を交換しあうことを人間が選んだ結果なんだろうな。

だから文字や言語という他種族にはないコミュニケーションツールが生まれて、恐ろしい量の情報が生み出されるようになっていって。
今はそこから更に発展して誰でも文字や言語を操れるし自分のことを発信する場所もたくさんあるから、無限と呼んでもいいくらいの情報が世の中に溢れていて。
そりゃ多少忘れられないと情報の量で圧死しちゃいますよね。
無限から取捨選択する術を学んで自分を嘘から守らなきゃいけないし、情報の海に溺れないようにしないといけないし、そっちに脳みそ割いてたらいろんなこと忘れても仕方ない。

ただ、一度学んだことって絶対無駄ではなくて、忘れてるって思っててもたぶん脳みそのどこかには残ってて本当に必要なときにポロッと溢れ出でくるんだと思います。
この脳みそを5%くらいしか使えてない人間より、多分脳みそ自体はちゃんといろんなことを覚えてくれてるはず。
勉強してて覚えてないってなるくらいのことはもう一回覚え直したらいいんだと思います。
「忘れちゃった」を何回も「今、覚えた」に変えるのが勉強なのかなとこの文章を書いていて感じました。
もちろん、全然知らない知識を身につけるのが勉強だけど、全然関係ないと思ってても意外とどこかで自分の経験とリンクしたりするので。

人生って、ずっと勉強ですね。
せっかくなら楽しんで学んでいきましょう!
毎日はなまる。


【昨日やったこと】

  • 読書
    (論理パラドックス 論証力を磨く99問)

  • JavaScriptの勉強

  • Try Itを使って物理をノートにまとめる

  • 案件記事の作成

  • noteを書く

  • (写真忘れてました、、、)

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