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ヨーロッパ・ハンザミュージアムへ行ってきた!北ドイツの重要な歴史の側面を見た感想

いや〜ドイツのミュージアムはいいっすね!
今回リューベックというドイツの都市にある、ヨーロッパ・ハンザミュージアムに行ってきました。

リューベックはドイツの北部に属している都市で、日本ではそこまで観光ルートに入るような都市ではないのですが、

実は結構な観光都市としてデザインされており、程よく1日で回りきれる綺麗な都市です。


こう言ったものすごく小さい通りが街の中にいくつもあって、世界遺産に登録されています。
中に入ると家と家の間にある小さな空間に、住んでる人たちが各々庭を作っていたりします。

僕と妻はここにある「ヨーロッパ・ハンザミュージアム」という
ハンザ同盟について詳しく展示されているミュージアムへ行ってきました。

僕がドイツの就職活動を今していまして、どうしても取りたいポジションの面接にありつくことができ、全力でやり切ることを心に決めました。
そこで、調べていると企業理念の「ハンザ哲学」的なものがありまして
個人的に意味不明なため、旅行がてら見に行こうという話になったのです。

ヨーロッパ・ハンザミュージアムはその名の通り、ヨーロッパ、特に北ヨーロッパにおける大きな経済同盟「ハンザ同盟」に関する歴史について展示されているところになります。

中学校の歴史の教科書でもちらっと出てくるハンザ同盟。
リューベックやハンブルクなどハンザ都市にきてみると
本来数行の説明で終わらないほど、歴史に深く根ざした経済同盟だったことがわかります。

このミュージアムは2015年に完成したらしく、かなり先進的で楽しい展示でした。それなりにミュージアムには行っているつもりですが、過去有数のおもしろさだった気がします。
ドイツは娯楽が少ない分、こう言った教育面というか、歴史の保存や芸術については平均的に発達しているように見えます。
※日本も普通に面白いんですけど、他も領域も面白いからドイツほど目立たない

そんなヨーロッパ・ハンザミュージアムの概要と、個人的な感想を記入していこうかなと思います。


概要

何度も言及してしまいましたが、ドイツのハンザ同盟に関する展示がされています。

https://www.hansemuseum.eu

本展示と昔のままの状態を保持しているお城と特別展示を見ることができます。
一人当たり14ユーロ(お城は見れます)。特別展示込みで17ユーロです。
ドイツ語・英語・ロシア語が対応可能。
従業員さんは中国語が話せる方が採用されていました。

本気で集中してみようと思うと、まず1日かかります。
平均的に見て値段が少し高めのミュージアムではありますが、
十分に見応えがあり、何よりハンザという日本人にはほぼ謎である経済同盟について、かなり体系的にわかりやすく展示されています。

自分たちが見にきた時には子供を含めて結構きていました。
ドイツ語がわかる方はツアーで行くとより内容としては理解が深まると思います。

展示ルート

ハンザミュージアムは、受付を終わらせた後
チケット兼カードキーのようになるICチップつきのカードをもらえます。

あらゆるデジタルツールにこのカードキーをかざす感じです。
入り口で言語を選べば自動で表示内容の言語が切り替わるという便利な仕様。

受付から入り口に入った後、まずは地下に行くと、展示を見ることができます。

主に8つの区画とテーマに分かれており、過去から現代にわたる時間旅行を味わえる形となっています。


入り口にある実在するリューベックの過去の建造物の残骸。
1000年以上前のものも綺麗に保管されている


全体像が取れていないんですが、当時の貿易船を再現していたり、街並みを再現していたりしていてとてもダイナミックで面白かったです。

このミュージアムで面白かったのが、上記のような博物館としての空間、資料館としての部屋が交互に存在していて、飽きないんです。

普通に採掘された歴史的な資料もたくさんありました。こちらは模型です。

まずは博物館として当時の風景の再現などをして日々の生活などを身近に感じるようにできていて、そこから資料館としてより詳細な内容を見知りしたりすることができます。

いわゆる何も知らない私のような人から研究者まで楽しめる内容になっています。
ただ、力が入っているのは博物館側ではあると思います。

所々にタッチパネルが導入されていて、デジテルディスプレイで視覚的にわかりやすい展示をしています。

タッチパネルにカードキーをかざすとこの光ってるところが変わったりするんですが
とにかく説明には文字だけでなく、視覚的にはっきりしているところが印象的でした。


真ん中にあるパネルに詳細な説明を見ることができます。
とにかくテーマごとにしっかりと作り込まれた空間が印象的でした。

総じてみると常に飽きないように工夫が随所に見られており
左右に展示をうまく散りばめていてよほど人気の展示でないところ以外は
見ることを待つようなこともありません。

うまく導線や目線誘導されていて
総合的に本当に素晴らしいミュージアムだと思います!

ハンザ同盟って、ドイツ?

ここからは僕の感想になってきます。
そもそも大変不思議なことに、ハンザ同盟というのは
どうやらドイツから始まっていたのか?
と言われると違うのです。

一番初めにこの展示で始まっていくのは
各国との交流の歴史なのですが
その中でも、重要とされたのは、ロシアのノヴコロドという
ロシアの中でも最古の都市と呼ばれていた都市との
交易についてから始まっていきます。

リューベックをはじめとするのちのハンザ同盟都市になる
地方としては北ヨーロッパ、もとい北海に面する都市群は
自然発生的に取引が行われており、その中でも重要な役割である
毛皮がノヴコロドから取れたそうで、交易都市として活発だったそうです。

ハンザ圏域とハンザとしに加盟していた主要な都市群。
オレンジがハンザとしてのメイン領域で、斜線が入っているところはドイツ語圏。
南はクレタまで入っており信じられないほどの広い交易を持っていたことがわかる。

僕はあくまでもリューベック中心にハンザ同盟について話が進むかと思いきや、いきなりノヴコロドの話になって驚きました。

ただノヴコロドはこの海運交易だけではなく、西アジアへの物資の輸入・輸出にも関わる重要な都市であり、様々な製品がノヴコロドを経由していたということでした。

ドイツの中では、まずはリューベックがドイツ圏で交易の場として選ばれており、中世ではドイツ国内の中で中心的な交易都市として発展し・機能をしていきます。

地政学というものがあるとは聞いておりましたが、こういうのに加えてさらにヨーロッパ内陸の都市の成り立ちをハンザの側面んから見てみると、確かに土地の重要性について、政治的な意味について考えたくなる面白い内容でした。

数百年続いた、中世の商人文化

ハンザという言葉はもともと団体という意味らしいのですが、本当に意味を拡大させてしまうと10世紀以前から現代に至るまでハンザ同盟は残っているという
なんとも不思議な文化です。

ただ、メインはやはり中世で、商人たちが貿易や経済発展のために行なっていたものになるみたいです。

リューベックは特に貿易のために作られたような都市のため、商人としてしての文化が根付いているみたいです。
貴族的な支配ではなく、商人による支配がメインだったようです。

この年代で商人がメイン支配階級になることは珍しいと思いますが
交易にあたり海賊から商品を守るためにも武力を持っていたりしたため
想像以上に力を持っていたんだなと思いを馳せることができました。

そして人口増加に基づき、彼らが取り扱う商品も増えていったようです。
ドイツでは他のエリアと比べはっきりと目立った交易品が少なかったみたいで
ものを仕入れて職人に加工させて、その加工品を輸出していたみたいです。
武器や鎧・工芸品などが展示されていました。

本当に中世!って感じのものが並んでいました。
また、衣類はその人のアイデンティティを示すものだったらしく
階層によってつけていい服とつけてはいけない服があったみたいです。

初期ごろは原料の交易って感じの展示が、一気にさまざまなものが交易されていくようになる流れを見るのが結構面白かったです。

人口増加とペストでの変化

ヨーロッパ全体のテーマでもあるらしいですが、農業技術の発展によって、人口爆発が起きたみたいです。

その時に同様にハンザ同盟の規模も膨れ上がります。

新たに建てられた都市を見ていたりすると
交易の利便性などから建てられている都市がかなりあることがわかりました。

川沿いや陸路として中継点にしたいところには今でも大きな都市が古くから建てられていて、その周りを囲むように新しい街が建てられている。
そしてリューベックやハンブルクのようなハンザ都市の周りには意外と街が立っておらず、おそらくすでに物流網や経済圏が出来上がっていたのかな?と推測することができます。

結構面白かったです(写真撮るの忘れてました・・・・)

数百年の歴史の中で、彼らは人口爆発とともにペストも経験をしています。

僕はハンザ同盟を扱うミュージアムで、わざわざペストのために1ブース使っていることに結構驚いたのですが、今このコロナというパンデミックを得た自分たちから見ると非常に興味深いものがありました。

ペストによるパンデミックは3回あるというのを聞いたことがありますが、その中でも中世ヨーロッパのパンデミックは非常に大きなパンデミックでした。

これにより商人たちは交易が著しく制限され、すべての商品の値段が爆あがりしたみたいです。

そして街の生活も一変。ペストが出た家には✖️マークをつけて、そこには近寄らないようにするとか、家に篭るようになった人もいたとか。

こうやって人口増加とペストの歴史を見てみれば、時代が違うだけで自分たちがコロナ禍でやってしまったことと非常に似通っているなと感じました。

単に技術が発展したから比較的容易に自体が収束したのでしょうが、僕たちがもし中世にいたとしたら、同じことをしていたのだろうなと思います。

僕はCOTENラジオというチャンネルを時々聞いていて、とても好きなラジオなのですが、そこで言われる「歴史は再生産される」「人間はあんまり変わっていない」といのは、なんとなくこういうことなんだろうな〜と感心してしまいました。

ハンザ同盟は、果たしてドイツなのか?

さて、こうやってハンザ同盟についていろんなものを見てまだ思うこと。
それは、ハンザ同盟とは北海や北ヨーロッパの交易文化の総称のようなものであり
それは一体全体どこがドイツの歴史なんだ?ということです。

ハンザ同盟のハンザは確かにドイツ語ですし、一般的に歴史の教科書でもドイツの歴史として紹介されてる?のだと思います。

政治家(貴族)や宗教家ではなく商人が幅を利かせていた都市群として非常に面白い歴史を辿っていることも理解します。

ただ、全体感を見て日本人である僕にはこの歴史がどうしても「ドイツの歴史」であると、全く思えないんですよね。

しかも、ノブゴロドの時からそうですが、商品だけでなく、もちろんそこに住む人々も交流があって、人も移動しています。

なるほどハンブルクがこれだけ人に偏見を持たない理由はこれなのか。
と思うのと同時に、この人たちのルーツは一体どこにあるのか?ということに疑問を持ってしまいます。

僕ら日本人みたいに、人種がほぼ固定で、言葉(というか文字)も固定で、宗教も天皇が居続けたおかげでほぼ固定されていた人間と違いすぎるんですよね。

彼らのアイデンティティがどこにあるかを考えていくと、その住んでいる都市になるんじゃないのか?と感じたんです。

日本は日本人として考えていきますが、それが京都民や佐賀県民みたいなところの方に強いアイデンティティを置く必要があるんじゃないかと思ってしまうんです。

なんというか、僕たち日本人の方が大きな枠組みでアイデンティティを確立しているような気がします。

初めから多文化国家であり、国民国家のイデオロギーがその後比較的すぐに発露したアメリカなどは愛国心的なものが国家によっている気がするんですが
歴史があるヨーロッパだと国は何百年に一回は名前や支配者層が変わっていて
隣人が近く交流も激しい中で、自己を確立する明確な単位として「都市」というのがあるんじゃないか。

そう思ってしまいました。
実際、ドイツは連邦としての側面が強く、結構都市間のキャラクターが強く見えるのも特徴で、博物館や資料をきちんと残して後世に伝えているところもこういった変化の中でアイデンティティを保つためなのか?と感じたところです。

もしかしたら、日本はこれだけ長い歴史があるくせに、容易に国民国家のイデオロギーに順応できる要素を持った国の方が特殊なのではないだろうか?とも思いましたね。

まとめ

結局、ハンザについて見て学び、ハンザ的道徳規範を学びたいと思っていたものの
前にも書いた、商人気質な海の男たちというところははっきりわかった感じはありましたが、それよりもさらに不思議に思ったことが多かった勉強だったと思いました。

初めがロシアで始まり、終わりの展示がノルウェーで終わるドイツのミュージアムですからね笑。

だんだんと自分の持っている違和感に自分なりの答えを出せるようになってきているような気がしますが、多分一生この違和感と付き合い続けていくのだろうなと
なんとなく思ってしまいました。

逆に言えば、確かに自分も故郷である広島のアイデンティティは強く思想に影響していると思いますし、周りの人間が前提とする基盤が似ているとしても初めは仕事で大阪府民と話したりした時に文化の差に驚いたものです。

多分、自分は日本人というハードウェアに広島県人というソフトウェアが駆動している感じなんですけど、ドイツは逆でハンブルク人というハードウェアにドイツ人という国のソフトウェアが駆動している感じだったのかなあ。と思います。

国は言葉は変わっても街は自ら移動しない限り変わらないですからね。

もちろん、今はドイツ人はドイツ人のアイデンティティがハードウェアになっていると思うんですが、これって国民国家というイデオロギーが発達したから無理やり変えちゃっただけじゃないかな〜?と少し疑問に思います。

また、世界があらゆる交易方法の変化によって近くなったことで今までは都市で考えるだけのアイデンティティが、ドイツとして他国と比較しても十分に機能するようになったというか。

もし船が主流の第一次世界大戦直前くらいまでだったら、ドイツというアイデンティティだけじゃ薄すぎるんじゃないかな?と

ほとんど妄想ですが思ってしまいました。

逆説的に、日本は今そういう意味で初めて外国と「隣人」になり
今まで大陸側では当たり前だった感覚に晒されていて
混乱しているように思います。

でもハンザ同盟のように、お互いの利益と幸福の追求を目指し
自分たちでビジネスをすることには悪いことはないんだと思います。

人の往来も、商品の往来も、自分たちから能動的にアクションを起こす人たちは
いつも前を見ていて、自分たちのベストを尽くしていたんだなと
ヨーロッパ・ハンザミュージアムを見て感じました。

過去最大の長文になりましたが、それだけ学ぶものが多かった
素晴らしいミュージアムとして、記憶に残しておこうと思います。

本当に、おすすめでした。ドイツ旅行で日程に余裕ができたらぜひ行って見てほしいです。


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