どっち? 解説編
昨日、投稿した記事がこちら。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n350470a68fb9
実のところ、オイラ、そう思っている訳ではないのです。
結論が知りたい方は、最後までお付き合いください(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
まずは、高市早苗さんに問い合わせた毎日新聞の記者=Aさんの心の中に分け入ってみます。
◇ ◇ ◇ ◇
自由な主体=負荷なき自己
「自由な主体です」の意味は、普段は白紙の状態なのですが、自分で選択した途端、何者かになれるってこと。
まるで、仮面ライダーの「へ~んしぃ~ん」ですね(笑)。
何者かになった途端、何かができる人になれちゃいます。
上述のAさんは、自分で記者という職業を選択して、使命感とか、報道する意味を考えることなく、ただ、何でもかんでも書ける人= 表現の自由になったんですね(笑)。
ただし、目的論的な生き方には興味がないのですから。記者になって、世の中を良くしてやろうというロマンもなければ、気迫も希薄(笑)。
「宗教と新聞広告のあり方」に一石を投じようという気概など1ミリもなく、社会に危害を与える暗殺者・テロリストを守ることに気後れすることもありません。
このサンデルが言うところの「負荷なき自己」は普遍的な責任か、自分が合意したことへの責任だけしか考えません。
「負荷なき自己」は「社会人として」だけでなく、「会社人として」の責任にも考えが及ばないのです。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n47210ce4adc4
この記事の中でミルネールの言葉をご紹介しましたね。
「我々= 負荷なき自己= 自由な主体」は、「無限に普遍化されている」ってな具合に、端から真の神と偶像を取り違えていますから、常識やら社会通念などは目に入りません。
当然、記者として果たすべき責任なんて知ったこっちゃない(笑)。
https://note.com/gashin_syoutan/n/n47b4f6467a72
事実を歪めて伝えて、愉快犯のように大衆が右往左往するのを楽しんでいるだけなのに、「俺が社会を、そして、世論を動かしている」って思って悦に入っている(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
安倍晋三元首相暗殺事件
自己矛盾に気づかない自由な主体は、他者が書いていないことを書こうと、重箱の隅をつつくだけ。
それが、高市早苗さんの20年前の対談の話題。
「暗殺・テロ事件」を「政治家と統一教会」という問題にすり替えての報道に勤(いそ)しむ増すゴミの目指しているのは、結局のところ、暗殺やテロに優しい国家です。
よく考えると、憲法9条を改正せず、国家の安全保障をないがしろにしたいってことと根は一緒じゃないですか(笑)。
困ったことに、第4の権力と呼ばれるほどペンの力って大きいです。
「真の神と偶像を取り違えている人にペン」と「山上容疑者にピストル」って、どっちもどっちってオチでした(笑)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?