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八日目の蟬

「万引家族」という映画がヒットしました。

家族」っていいもの? 
それとも、個人を縛る邪魔なもの?

https://note.com/mikochan/n/n9a2dd5e9eb40?magazine_key=m7591be16a385

親から逃れる一番手っ取り早い有効な手段が「結婚」というわけなんだよね。

みこちゃんの記事にあった福島瑞穂の著書からの引用


親から逃れる手段として結婚ですか。
元々、家族からの引きこもりが希望だったんですね(笑)。
それに、旦那さんは、あなたの道具じゃないですか。


いやいや、両者が選択し、同意したのだから問題ない、という人がいるはず。

そう、前回、ご紹介した「負荷なき自己= 自由な主体」ですね。

https://note.com/gashin_syoutan/n/ndae455291386


親から逃れる手段として結婚した福島瑞穂さんの見解は存じませんが、オイラは、家族は自分で選んだ伴侶との共同の営みと捉えて、奥さんの支配を受けながら生きてまいりました(笑)。


角田光代さんの「八日目の蟬」、直木賞を受賞した作品は別にありますが、これは名作です。

https://note.com/mikochan/n/n214ec014fcd6

薫と恵理菜の2つの名前を持つ女性が主人公。

実の親の元に引き取られて恵理菜になってからが不遇の人生となります。
理由は、アイデンティティの拡散
たかだか4年でしかなかった薫としての過去の物語が、恵理菜が紡ごうとしている物語の邪魔をするのです。

切なくなりますよ。

子供は自分で選択したわけではありませんが、ある時から家族の一員となり、親と物語を共有することになります。
親子関係が良好であれば、アイデンティティを拡散させずに生きられるのでしょうか?

人間という生き物が厄介なところは、親子関係が良好なことと、物語がうまく共有できることが、必ずしもイコールとならないこと。


さて、家族について、あなたは何を思う?

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