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残された日本の記憶〜飛騨の口碑から日本を知る〜『下巻』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

残された日本の記憶〜飛騨の口碑から日本を知る〜

も、いよいよ『下巻』クライマックスです。

では旅を進めましょう。

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一度、飛騨の口碑関連のお話しから離れます。

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(先にこのお話をしておかないと『上巻』『中巻』のお話しの繋がりやこの先(下巻を含め先のお話し)のお話しが理解しにくいと想うので。)

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中巻で『善か悪か』『二元論』はいつ産まれたのか?とお話ししたと想います。

『善か悪か』『二元論』という発想や考えの元は簡単に言うと

『ゾロアスター教という宗教が始まりだと言われています。』

ゾロアスター教の元になる宗教は紀元前550年頃に出来ました。

ゾロアスター教を確立したのがサーサーン朝の頃で西暦は230年頃です。

(※場所は現在のイラン昔風に言えばペルシャです。)


そのゾロアスター教は簡単に言うと『善か悪』『天国と地獄』『善は必ず勝つ』その様な教えでした。この様な事から『善悪二元論の始まり』とも言われています。


またゾロアスター教は『拝火教』とも言われていて。


ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラが点火した火を堪える事なく燃やし続け、信者は火を礼拝します。

この『火は光ともみなされています。』

(※ゾロアスターはザラスシュトラの別言語読みなので『ゾロアスター教=ザラシュストラ教』同じです。マギ教も同じです。)

火を礼拝する事はゾロアスター教の

『最高神アフラ・マズダ』を礼拝しているのと同じと想っていただければ良いと想います。

(※ゾロアスター教は偶像崇拝が禁止なので)

ちなみに、アフラ・マズダとは

アフラ・マズダ (Ahura Mazdā) は、ゾロアスター教の最高神で 宗教画などでは、翼があり、後光がさしている王者の姿で表される。



その名は『智恵ある神』を意味し




善と悪とを峻別する正義と法の神であり、最高神とされる。

ちなみにこちらが、アフラ.マズダーです。

ゾロアスター教の守護霊フラワシに乗るアフラ・マズダ
右がアフラ・マズダ


えっ?!

と想う方も多くいるんではないでしょうか?

あえて100%とは言いません。

しかし、、、

『風の谷のナウシカ』で見た様な、、、

多分、元はアフラ.マズダーでしょう。


このゾロアスター教は中国では祆教(けんきょう)と言われています。

中国が唐(とう)と言われていた時代
西暦約620〜900年頃です。

ゾロアスター教が中国では祆教(けんきょう)として広まっていました。

(※厳密に言うならゾロアスター教とミトラ教が混ざったものと考えられます。)

この当時、唐には

唐代三夷教(とうだいさんいきょう)と言われるものが広まっており。

唐王朝によって保護され広まりました。
今で言う海外起源の3つの宗教です。

それが

ゾロアスター教の祆教(けんきょう)

キリスト教ネストリウス派の景教(けいきょう)

マニ教の明教(めいきょう)です。

マニ教は、簡単に言うとゾロアスター教を
ベースにキリスト教やユダヤ教などの流れを取り込んだ宗教です。

※景教はミトラ教の流れも入っています。

この様に
ゾロアスター教はアジア中央やインドなどにも伝わりました。

ゾロアスター教自体は現在もあるんですが、この当時の様な勢力は残念ながらありません。

しかし、ゾロアスター教の教え自体は
色々な宗教のベースになったままになっています。

このゾロアスター教を広めたのは先程言った。

ペルシャの人達だったり厳密に言うと、ペルシャの商人達だと言われています。


サーサーン朝は650年頃に終わるんですが、多くのペルシャの人達が唐の都の長安に移住し、唐の文化の国際発展に努めたとも言われています。


日本でペルシャとは現在のイランを表す古い名前です。


更に昔はペルシャの事を漢名で波斯(はし)・波斯国(はしこく)

波斯と書いてペルシャ、ペルシヤと読ませていました。


サーサーン朝様式の工芸品は絹織物、ガラスの器、水差し、絨毯など

特徴的な幾何学模様は日本にも伝わりました。法隆寺や正倉院にもサーサーン朝の品があります。

ペルシャとイスラエルと古代ユダヤの人達は
元々繋がっていました。


2016年に

平城京の遺跡から発掘された木簡(もっかん)
(文字を書く為の細長い木の板の事です。)

木簡を改めて調査した結果
ペルシャ人の役人が働いていたことを示す新しい証拠が見つかったことが明らかになりました。

その当時

ペルシャ人の役人さんは今でいう、数学を教えていた様です。

また

埼玉県の『さきたま古墳』という所があるんですが 。

その、さきたま古墳から出土した物の中に
ペルシャの特徴的な細工をほどこした物などが出土しています。

さきたま古墳からは、勾玉、剣、鏡
俗に言う『三種の神器』も出土しています。
現在の皇室の三種の神器とは別です。 
しかし、『王』の物なのは間違いないです。

個人的に調べた結果『ヤマトタケル ヤマトタケとも言いますが、身内?兄?弟?関係が関与していると想っています。』


さきたま古墳は

日本書紀によると西暦534年に
安閑天皇(あんかん)の命令により

笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が
武蔵国 埼玉郡笠原 現在の鴻巣市(こうのすし) 笠原(かさはら)に作ったとされています。

詳細は現在も不明です。


この様に、少なく見積もっても西暦500年代には、ペルシャの方々が日本に住んでおり交易をしたり、色々と学問を教えていた事になります。

前回、少しお話しした秦氏の方々は西暦200年頃に来たとお話ししましたが、この秦氏の方々とペルシャの方々も繋がっているので実質200年頃にはすでに日本に来て交易などをしていたと個人的に考えています。

秦氏しかり

ゾロアスター教しかり

サーサーン朝しかり

ずっと前から日本は海外の人を受け入れ
共に暮らし、共に学びました。

しかし中には飛騨の口碑に出てくる
人食の渡来人も来ていたのも事実だと想います。

飛騨の口碑の大淡上方様は国を護る為に
新しい国を造り国防をしましたね。

福岡にある

『太宰府天満宮』

御祭神の『菅原道真さん』

菅原道真さんも今でいう渡来人の

『入国審査』をしていたと言う話もあります。

今の宗教などを見ると
ゾロアスター教 拝火教の影響を受けた?
宗教もチラホラ見えますよね?

軽くお話しします。

804年にある人物がある場所に行きますよね

そして本来なら20年間、ある場所で勉強するはずでした。

しかし

ある人物は既に沢山の修行をしている事を見抜かれたりして20年間の修業を約2年で終えました。

そして日本に帰国して開山した。

それは『弘法大師 空海』ですね。

真言密教の経典は『大日経』『金剛頂経』などがあります。

簡単に言えば『聖書』的な物です。

真言密教の御本尊は

こちら

大日如来さん
不動明王さん(童子さん達)

と、弘法大師空海さんが御本尊です。

空海さんの師は何人かいますが『唐』に居た時の師は

『恵果(けいか)さん』と言われる人です。

こちらです。

恵果さんと童子さん

恵果さんを描く時は必ず童子さんも描く事になっている。

また空海さんは恵果さんを師とする前に

『般若三蔵さん』という方が師でした。

般若三蔵さんは空海さんに

『サンスクリット語』を教えたと言われています

この般若三蔵さんはペルシャ人と言われるいる、『景浄さん』とも繋がりがあり

『大乗理趣六波羅蜜多経』を共同で漢訳したといわれている。

般若三蔵さんや空海さんが住んでいた

『西安寺(さいみょうじ)』から近い場所に

波斯寺(はしじ)※(日本語で言えば)』

景浄さんは波斯寺(はしじ)に住んでいたので

般若三蔵さんと一緒に『大乗理趣六波羅蜜多経』を漢訳出来たんじゃないかと想います。

当然『波斯』とは『ペルシャ』の事ですね。

後に波斯寺は

『大秦寺(だいしんじ)』と名前を変えます

その大秦寺に建てられた石碑があります。

こちらです。

大秦景教流行中国碑

しかし約80年後の西暦『845年』に簡単に言えば

『海外宗教の弾圧に合い』 

寺院や石碑も壊されたり埋められたりした。

またこの当時、景教は

『ミシア教』とも呼ばれていた様だ。

ミシアとは?

『救世主』という意味の様です。

では

救世主=ミシアならば

『救世主ミシアの語源、始まりは何でしょうか?』

その先に出てくる人物は誰でしょうか?

そして

その人物の父親とされる人物は一体誰でしょうか?

そしたらもう一つ分かりますよね。

『太秦』漢字は違いますよね。でも共通する事は?


さて余談?はここまでにしておきましょうか。


この様に

ゾロアスター教の教えというものも
当時の宗教に影響を与えたと想います。


それが、こんにちまで続いていたと
考えるのが自然じゃないでしょうか?


御嶽教や密教も
ゾロアスター教、拝火教の影響を
受けたものだと言われています。

御嶽教の火祭りなどは特に影響を受けたものだと想います。

さて皆さんもあれ?と気づきましたか?

そうです。

『御嶽教です。』

そして御嶽教が影響を受けたものは?

『神智学ですね。』

実は『神智学』もゾロアスター教の影響を受けたものではないか?とも言われています。

年代的な事を考えても

ゾロアスター級の始まりは紀元前から。
神智学の始まりは紀元後からと言われているので影響を受けていたとしても、何ら不思議ではないんです。


『日本の歴史』を知ろうと想うと日本だけを見ていては分からないし。

日本は日本で見なくてはいけない。

中々大変な国ですね(笑) 

ただ言える事は日本は昔から海外の人と暮らしたり時には守る為に争いもしながら

共に日本の歴史を築いていったという事。

そして、この様に昔から海外の宗教や文化などが当時の政権、朝廷に入りこんでいて

正確な本当の日本の歴史を一冊に纏めている文献や文書などは無いと想います。


仮にとあったとしても、公にはされていないでしょう。

ただ

その『カケラ』は前回もお話しした様に皆さんの周りにも沢山あるんです。

それは日本の文化そのものだったり風習そのものだったりがカケラそのものだったんです。

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さてお話しは飛騨の口碑関連に戻ります。


飛騨の口碑を調べに直接現地にも行ったり位山や日抱宮や日輪神社などにも参拝に行きました。


その中で


『ん?』


と想うものがあったので、そちらのお話しをしながら他のお話しも進めたいと想います。


さてさて


色々悩んだんです。モザイク処理しようかとも想いましたが逆にそれも失礼だと想いそのまま載せる事にしました。


こんな時代だからこそ逆に『真実のカケラ』を知ってもらうのも必要な事だと想ったからです。


でわ写真をどうぞ。

日抱宮

皆さんにはどう映るでしょうか?


僕は竜神さんが好きだから


竜?竜かな?とか勝手にテンション上がってたんですけど(笑)


姪っ子が、、、、、


一言。


『うさぎ』


と言って写真に線を書いて送り返してきました(笑)


それがこちらです。

うさぎさん🐰


で。それを見た僕は、、、、


うん。うさぎだ。と納得。


もう一枚写真をご覧ください。


こちらは

青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)さんと言われる、仏教の神さんです。

青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)さん

さて下に

『三猿』(見ざる、言わざる、聞かざる)の三猿が見えると想います。


馬や鳥?らしきものも居ますね。


とりあえず、青面金剛明王さんの事は後でまたお話しします。


まぁ安直な僕は

『三猿?何故?家康???何故ここに?飛騨は家康とも繋がりがあるのか?』


なんて素直に考えちゃった訳で、、、、、


まぁたまたま?結果オーライだったから良かったものの、、、少々安直すぎた自分を反省(笑)


では


『飛騨』と『徳川家康さん』と『うさぎ』の関係性をお話ししたいと想います。


まず

徳川家康さんが将軍の時

『飛騨地方は徳川家康さんの直轄の場所でした』


簡単に言うと全国を統一した徳川家康さん直々に


『飛騨地方を治めていました』


飛騨地方が資源が豊富で、金、銀、銅なども取れる事から、それまで治めていた『金森家』を今でいう山形県に移動させて。


徳川家康さん直々の管轄(天領)にしました。

そして高山観光で有名な『高山陣屋』もともとは


『徳川家康が直轄していた時の代官所でした。』


その代官所に釘隠しとして


『うさぎ』(真正面から見た)を施しました。

釘隠しのうさぎさん🐰


また、うさぎは


子供を沢山産むので縁起ものとされまた、火事から守ってくれる魔除けとして。

更に大きな耳は、民衆の話をよく聞き良い政治をする事を表したものだそうです。


この様に飛騨には


『徳川家康さん うさぎ 』の繋がりがありました。


更に、、、これは捏造やらなんやらかんやら

時代の流れもあったと想いますが。

徳川家康さんの血筋を遡ると元々は

新田氏系得河氏・得川氏の末裔とあります。

その新田氏の父親の家系だけを遡ると、、、

最終的に、、、、

『神武天皇 サヌ』に行きつきます。


これは推測でしかないですが。

徳川家康さんは本当に新田氏の末裔ならもしかしたら、、、自らが飛騨の血を引いていた事を知っていたのかも知れません、、、皇族の血を引いていたと。

逆に、新田氏の先祖が神武天皇だと知っていて自分は新田氏の末裔だと言い張った可能性もありますが、、、

さて。

話は先程、皆さんに見ていただいた。


『青面金剛明王さん』

この青面金剛明王さんに関するお話しをします。

先程の青面金剛明王さんは日抱宮のすぐ側にありました。


青面金剛明王さん(しょうめんこんごうみょうおう)は日本発祥の神仏さんではありません。


調べてみると元々は『道教』由来の神仏さんの様です。


道教とは中国発祥の宗教で簡単に言うと


老子(ろうし)という人物(実在していた)の教えをベースに作られたもの。


その老子を神格化し、仙人の要素をプラス


昔からの風水的なものを利用し更に陰陽五行説や占星術を利用する厄を払うために術の訓練をする


などなど

この様なものの集合体の教えが

『道教』です。

この道教が日本に約4世紀頃に入ってきたのです

こちらも簡単に書くと

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当時の天皇なども道教に期待を寄せていましたまた、民衆にも道教の教えは広まっていきました。

しかし

この時、おもに広がったのは先程も書いた陰陽五行説などの

『術』的な教えの内容のものでした。

朝廷は術の基本的な知識や実践出来る施設なども作りました。

それにともない、道教の今で言う『むかし話』的な話なども広まっていきました。

この様に道教は日本に広まっていきましたが

結局は道教の術的な事、むかし話的な事が広まっただけで、道教の根本的なものは日本に広まる事はありませんでした。

簡単に言うと最終的には、、、、

『宗教的な方向性の違い』により道教を拒否しました。


が!!!


陰陽五行説や占星術は


『陰陽道』と名を変えて日本の中枢を担う役目をはたしていました。


以前もお話しした。


『神仏習合』


これも実はただ単に仏教を受け入れたわけではなく。道教の要素が入ってる仏教を受け入れた事にもなるんです。


更にゾロアスター教の祆教(けんきょう)

キリスト教ネストリウス派の景教(けいきょう)

マニ教の明教(めいきょう)


この要素も含まれています。


この様に


『神仏習合』には複雑に絡み合った教えが入り混じり日本の歴史や神道や先祖崇拝に入り込みより複雑化していきました。


この道教の教えと、神仏習合後の仏教や密教や修験道や陰陽道などが入り混じったものが


『庚申信仰(こうしんしんこう)』と言うものです。


この庚申信仰(こうしんしんこう)の教えの中で


三尸説(さんしせつ)というのがあり。


三尸説とは簡単に説明すると

人の体の中に居る3つの虫の事で約60日に一度くる庚申(こうしん)の日に寝てしまうと、3つの虫が体から抜け出し天帝に


『こいつこんな悪い事してますわ』と話しをして。


天帝が

『ならそいつの寿命短くしたる』

となるのが三尸説の簡単な説明です。


そこで、虫が体から出ない様に庚申の日に寝ないで起きてるのが『庚申信仰』なるものです。


この庚申信仰のご本尊が青面金剛明王さんです。

青面金剛明王さん


しかし、青面金剛明王さんが最初から祀られていたわけではなく。

約850年頃が最初で。

1500年後半頃から仏教や山岳信仰などとも深く結びつき、神仏供養をすると良い事があるよという内容に変わっていきました。


また、青面金剛明王さんは三尸を食べるとも言われています。


で写真の下の方に居る猿が庚申の使いとされています。

庚申の日は天帝の縁日とされています。

ちなみに、日本での天帝とは


『帝釈天』です。


閻魔様じゃないか?と言う話もありますが。

ちょっとゴチャゴチャしたと想うので軽く纏めますね。

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庚申信仰とは道教やら仏教やらの複合体信仰


その中の『三尸』(さんし)は人に住みつく三つの虫で約60日周期で来る


庚申の日に天帝(帝釈天、もしくは閻魔様)に人の悪事を告げる。

寿命を縮まされたら困ると庚申の日は寝ないで起きてるという風習が広まる

また青面金剛明王さんは三尸を食べると言われている

時代が進み神仏供養をすると良い事が起きるという流れになる。


そして明治時代に迷信だと衰退します。


ここまでは大丈夫ですか?


では三猿は?

猿は天帝の使いですが天帝には

『見たこと、聞いたことを言わない』

『みざる、きかざる、いわざる』

になる訳です。

青面金剛明王さんに食べられたくないからなのかもしれませんね。

事実、上の写真のお猿さんも、目、口、耳を塞いでますから。

なので、個人的解釈だと、三つの虫が時代が流れ猿に変わったものだと考えています。

また写真のお猿さんの右の方に馬が居るのが分かりますか?

右に馬

これは

陰陽五行説的な意味合いです。

厩猿信仰(うまさるしんこう)という名前もありますが、内容的には

陰陽五行説的な内容に十二支を足した感じだと考えて頂けたらいいと想います。


ややこしいので、、、さら〜っと流してください(笑)


『陰陽五行説』+『十二支』的に


馬は火 猿は水 なので馬を守ったり制御するには 猿が1番


まぁ実際はどうかは分からないですが相性が良いからと考えてもらえばいいです。


で、左の鳥(にわとり)は 鶏は金になります。

左に鳥(にわとり)

猿 馬 鳥は火 水 土もしくは大地。

四元素的なバランスの意味合いがあるのかな?とも個人的には想っています。

バランスが重要だとこの石碑は伝えているのかもしれませんね。

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話は青面金剛明王さんの話になります。

青面金剛明王さんと阿修羅さんが似ているという話があるんですが

確かに似ている所もあると想います。

僕も最初に仏像さんを見た時に阿修羅さん?と想いました。


しかし

青面金剛明王さんを研究している方は青面金剛明王さんは

『大自在天』が元になっていると言われています。

ヒンドゥー教のシヴァ神と同一視されていますね。

シヴァ神は不動明王とも同一視されていて、色々な神仏さんとも同一視されています。

しかしこれに関して僕的には

ん〜どうだろう?と想ったので色々調べてみました。


庚申信仰、三猿


日本元来のものではない。


道教、陰陽五行説、占星術、祆教、


明教、景教、天帝、帝釈天、、、、


青面金剛、、、、帝釈天、、、、、


阿修羅、、、、天帝、、、戦い、、、


そういう事か、、、


『asu.ra』


『アスラ』


『阿修羅』


阿修羅さんも元々は日本の神さんではないんです。


アスラさんは現在のイラクの神様です。

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※先ほどの大秦景教流行中国碑にはヤハウェの事を

『阿羅訶(アラハー)』と書かれている様です。

※ヤハウェも一人称ではありませんね。

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そして別の名前もあります。


と言うよりも


本当の名前ですね。


阿修羅さん アスラさんの本当の名前は


『アフラ=マズダ』です。


そうです。先程お話しした。


ゾロアスター教の最高神です。


そして


天帝はヒンドゥー教 バラモン教の中の強力な神々の帝王と言われゾロアスター教でも天帝と言われている。


『インドラ』


アフラ・マズダとインドラは敵対していたんです。

元々簡単に言うと


『インドとイランは古代同じ国だったんです。そして宗教的なものも同じだったんです。』

そして後に別れたんです。


後に『ゴータマ.シッダールタ?』

(※何故?かは後に分かると想いますが、個人的にはゴータマスッドーダナだと想います。)

『ブッダ』が2人に教えを説き争いは無くなったと言われています。


で、仏教の中に2人が入り色々な宗教とも混ざり合い日本に来た時には


アフラ=マズダ=アスラ=阿修羅=青面金剛


インドラ=天帝=帝釈天


になったと考える方が自然だと想います。


この様に神仏さんの石像一つとっても、これだけ複雑に特に海外からの宗教が絡み合って


日本に入り込み、日本の文化と混ざり合い


『新しい文化が生まれ』


そして終わり

痕跡だけが残るという歴史が日本にはあるんですね、、、、


本当に日本っていう国は難しい歴史を持っていますね。


さて、今回は1度この長い旅を一旦終了して。


新たな旅に出たいと想います。


では軽く振り返っていきましょう。


今回の旅は


『竹内文書』から始まり


『正統竹内文書』との繋がり


『飛騨の口碑』との繋がり


『サヌ、神武天皇』との繋がり


『善か悪か?』から


『ゾロアスター教』に繋がり


『祆教 景教 明教』に繋がり


『拝火教』に繋がり


『神智学』や『御嶽教』に繋がり


『青面金剛明王さん』と繋がり


『阿修羅さん』と繋がり


『アスラ』と繋がり


『アフラ・マズダ』と繋がり


この他にも、ヒンドゥー教やらバラモン教やら仏教やら神道などとも繋がっています。

この様な事から言える事は、、、

極論『日本に宗教は無かった』


という事だと僕は想います。


『崇拝』『信仰』は当然あったと想います。


また『道』という教えも宗教というなら宗教だと想いますが(天照編でお話しした『妹背の道』)

個人的には宗教だとは想っていません。


崇拝、信仰を宗教と言うのであれば


自然に感謝する、先祖や先人に感謝する事、自体が宗教の始まりとも言えると想います。


日本という国は今も昔も海外の人達と共に暮らしていた事は揺るがない事実だと想います。

そこで色々な文化が交わり新しい文化が産まれ今日現在に至っていると想います。


どの宗教が正しい


どの教えが正しい


どの書物が正しい


この宗教は間違ってる


この教えは間違ってる


この書物が間違ってる


僕が現段階で想う事は


結局


『神』と言われる存在も人となんら変わりないと言う事。


個人個人に信じるもの。


想うものは個々それぞれ。


時に神と言われる存在がチカラを貸す事も


そのチカラを貸してほしいと想う人と神と言われる存在の想いが簡単に言えば共鳴したから。


だと想います。


だから良くも悪くもチカラを貸す神と言われる存在も結局は


今、この時代を生きてる人達と変わらない。


だからチカラを貸さない神と言われる存在もいて当たり前だとも想います。


ただ、その神と言われる存在の中には


元『人』の存在の人もいます。


亡くなった『人』=『仏』でもあります。


自分達が今生きてるのは


『先祖』が居たからで


『自然』というものがあったからで


『地球』や『太陽』や『月』や『星』


が、あったから今生きていれる事も


また揺るがない事実なんです。


その大切な事を常にとは言わないですがたまには


『感謝』『ありがとう』って言ったりする事も良いんじゃないかなとも想います。


さてさて、この長い旅で見えた  


『真実のカケラ』は皆さんにとってはどの様に映ったでしょうか?


俗に言う霊能力者や自分自身が産まれ持ったものに翻弄され

その中で抱いた疑問から始まった個人的な意味合いもある旅は

ある程度、個人的には納得のいく

答えのカケラが見えたと想っています。


だからといってこの旅は終わりません。


僕的にはまだまだ、新しい旅を続けていくつもりです。


どんどん今風なオカルト、都市伝説的な内容になっていくのが、楽しくもあり


正直 悩む所でもあります(笑)


これは正直、書く事を悩む所なんですが。


個人的にあまり政治的内容を書くのはどうかと想ってるんで、、、ただ


今まで一緒読んでくれた方々なら分かると想い書く事にします。


最近、よく目にする

(※このnoteを書いている当時2019年12月)


『神社に憲法改正の署名がある』


その事で


『もう神社』に行かない


『初詣で』も行かない


という意見をよく目にします。


『憲法改正に対して意見が色々あるのは分かります』


しかしだから


『神社に行かない』は違和感を感じるんです。


神社に祀られている


『神』と言われる存在『先祖』と言われる存在には関係無いと想うんです。


そこを間違ってほしくないと想んです。


だから、個人的には神社に行く事、自体は悪い事では無いので出来たら


自分が好きな神社や居心地が良い神社や自然の中には行ってほしいと切に願います。


皆んなが神社に行かなくなる事がある意味、本当の狙いなんじゃないかと勝手に想っていたりします。


第二次世界大戦後、日本が敗戦した後にアメリカがした国家神道などを解体した事


個人的に何かそれと似たような感じがするんです。


憲法改正=神社で署名活動=神社に行かなくなる=神社庁に賛同しない神社は神社庁がチカラを貸さない=神社廃れる(すたれる)=?


神社が廃れた先には何があるんでしょうか?


明治時代の時の様に廃れた神社にまた誰かが祀られるんでしょうか?


それとも取り壊されて終わりでしょうか?


まぁ考えすぎかもしれませんが今の状況はその状況の足を一本踏み入れた所までは来てるんじゃないかと想います。


さて話は変わり。


今回も長い旅を皆さんありがとうございました。

しかし、、、、、、、皆さんに1つ報告があります。

天照編から飛騨の口碑のニ部作は、、、、、

あくまでも今から皆さんと一緒に海外へ旅に出るまでの前段階の知識でしかありません。

この知識を持って一緒に旅に出ましょう。

そして

そこからが本当の旅の始まりです。



では次回またお会いしましょう(^ω^)


以上。

臥龍桜でした。

ありがとうございます。


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