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無知は罪である。の加減

傾斜台が物置に使われている画像。


傾斜台を何に使うのか。
ここはリハビリテーション室です。
もしここが家やカフェなど運動と関係のない場所であった場合はなんら違和感は無いでしょう。


それは傾斜台への認識が異なるからです。
運動が提供される場で、運動を提供する人がいる。物も使い方にバリエーションを持っている人がいる場合、傾斜台は間違いなく物置にはならないです。


これを見たときに憤りや失望といった感情は出ませんでした。
ただ、知らないだけなんだと、バリエーションが少ないだけなんだと思いました。



「無知は罪である。」と昔の偉人が言ってました。
結構厳しい言葉だと思います。人によって及第点は異なるからです。
常識的な指針を持ってその結果に対して十分な準備をしたか、は人によって異なるからです。”常識的な指針”の範囲もとっても広い。


今は情報社会で、心から知りたいと思った時にある程度の情報を集める事ができます。昔よりはこの言葉の厳しさは減ったのでは無いでしょうか。


以前はよく”無知は罪”だと思う事がありました。
リハビリをする際に新人とベテランで請求料金に差はありません。
精進している人としていない人で請求料金に差はありません。
責任があると思いました。精進している人やベテランの方々との差を埋める責任があると思っていました。


それは大きくは間違ってはいませんが、需要と供給を意識したときにちょうど良い場所がある事を知ります。
客観的に環境や状況を見て常識的な及第点を探す作業が始まります。


それは個人では達成できない及第点でした。
責任ある行動が時には”独りよがり””自分勝手”になってしまうことを知りました。
ーこんなに勉強している。
ーやる気はあるのか。。


こう思えるようになって以前よりも過ごしやすくなりました。
抱え込む事も減り、人と話しながら進めて方が早い事、メンタル的にいい事、質も良くなる事を体感します。


今回の傾斜台のケースもすんなりと受け入れる事ができました。
これから普及をしていって、傾斜台の行き先が変わればいいなと思います。