書評 錆と人間 (ビール缶から戦艦まで)


見なくなった鉄製品

私たちの周りで「鉄製品」を見ることはもうほとんどない。ほとんどの商品が「ステンレス」「カーボン」「プラスチック」だ。家具には木材が使われているが、鉄製品はほとんどなくなった。その理由は「錆びない」からだ。

錆と聞くと、酸化鉄を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。茶色かったり赤かったりして、表面がパリパリになって剥がれ落ちているやつの事である。

錆びた線路のレール

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これ以外にも錆はある。錆とは技術的には「金属の腐食」の事である。鉄だけではなくて、銅、銀、アルミニウムなど、ほとんどの金属は程度のさはあれ、腐食する。原因の多くは酸化現象で、微生物などによっておこる腐食もある。

これら錆の被害はなかなか気づかない。地震や台風と違って目に見えにくい。不謹慎かもしれないが、コロナウィルスのような直接的な被害を、錆は滅多に私たちに与えない。錆をメインに据えたドラマや映画なんて見たことがない。ところが、錆によって自由の女神は崩壊寸前だったし、石油を運ぶパイプラインは漏洩事故を起こしかねないし、橋は落ちかねないし、車メーカーはリコールを何度も経験しているし、缶ジュースや缶詰の防腐剤は健康に良いのかわからない。結果「錆びによる被害(注:防げたはずの経費も「被害」に入れている)の総額は~年額4370億ドルにのぼる」(錆と人間 P16)というのである。

「錆」列伝

そんな錆=腐食に、積極的に関わる人や組織を紹介し、史記の列伝のように仕上げたのが「錆びと人間」(ジョナサン・ウォルドマン著 三木直子訳)(原題:RUST The Longest War)である。

とにかく「錆」(腐食)に関わる人・事・組織を調べ、まとめ、語っている。それが時には冗長にすぎる時がある。腐食という、多くの人が関心を持たない分野の本だから、説明しなければならない分野が多すぎるためであろう。だが、文章が人物紹介になると、冗長はなくなる。凄みがありながら静かに文章が書かれる。何か、深夜の海を見つめたときのように気持ちが引き込まれていく。錆の写真家、アリーシャ・イブ・スックを書いた第5章。アラスカパイプラインの錆を調査する、長さ5メートル・重さ4.5トンの巨大錆探知ロボット「スマート・ピグ」と、パイプラインの「完全性マネージャー」バスカー・ネオギを書いた第9章は、ルポタージュの傑作と言ってよいのではないだろうか。

アリーシャ・イブ・スックの作品の一つ。「Blast Furnace B VI Courtesy Alyssha Eve Csük」

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https://www.alysshaevecsuk.com/

科学読み物の中でも、かなり特殊な部類に入ると思う。理由は前述の通り、列伝形式になっているからだ。それがこの本をただの科学読み物とはせず、文学作品に変えている。これは翻訳者の技術も優れているためだと思う。

諸行無常の響きを彼らは錆から聞いた

錆=腐食という形而下的な出来事に関わる人を書くだけで、なぜ文学作品にまでなっているのか。それは腐食という現象が世のはかなさを思わせるからだ。形あるものはいずれ滅びる。

「永遠不滅の物質などない」という「永遠不滅」の事象を見つめると、手元にあるもの全てが虚しく思える時がある。自分自身もいつかは朽ち果てるのだとなると、下を向いてしまう時がある。だが、だけど、それだからこそ・・・と、上を向いて儚さに目を向け、向き合い、考えた時の気持ちを言葉に残すことが文学になるならば、錆に関わる人たちを書けば、それは自然と文学になるのだ。対象がホームセンターのおやじさん(第10章)でも、組織体(第4章、第8章)でも、文学になるのだ。

「~技術者以外の成熟した人間がしなければならないのは、ありとあらゆるものに何から何までを期待するのをやめることだ。僕たちが、不完全なもの、非永続的なものを受け入れるならば、それを維持するのもつらくはなくなる」(P325)

「ピカピカの新品だけを大事にするのは、甘やかされた赤ん坊のすることだ。実務的で効果的なことを大事に思うのが成熟した大人というものなのである。~~~僕たちにはエンジニアのヒーローが必要だ」(P334)

読み終わった後、間違いなく読んだ人には、世界の新しいとらえ方が加わる「科学文学作品」。それが錆と人間である。


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