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書評 突撃将棋十二番ー負けても懲りない十二番勝負

将棋好きでも夢に見ないほどの贅沢

将棋が好きな人には色々いて、最近では見る人が多くなっている。ネットの発達により長時間の視聴を多くに人に見てもらえるようになった事。コンピュータの評価値導入により、形成判断が分かりやすくなった事など、将棋を知るための敷居が低くなっている事が理由としてあげられる。

それに伴い、棋士の方々を知る機会が増えている事も多い。将棋は実力の世界で、実力が足りなければ15歳の子供を上座に座らせ、「負けました」と頭を下げることがある世界なのである。

そんな実力主義の世界で生きている人は、さぞ恐ろしく気難しい人なのだろうと思いきや、意外とそうではなく、人当たりの良い、温厚な人が多い。中には素行が悪い人もいるのだろうが、そういう人は表に出てこない。

棋士の皆様それぞれに魅力があり、親しみやすい。親しみを覚えると、応援する度合いも変わる。一人の人の勝ち負けに一喜一憂し、次の対戦はいつなのかを気にかけて、対局の様子を活字や映像で調べ始める・・・。そういう将棋ファンが増えているのは、元神奈川大学将棋部員として嬉しい事である。

さて、そんな魅力ある将棋の楽しみ方で、実際に将棋をさせる人なら、一番の楽しみは実際に相手と将棋を指す事だ。勝ったら嬉しい負けたら悔しい。ルールを理解して、指せるようになって、難しさが分かって、プロの凄さを実感し、尊敬の念が生まれてくると、尊敬する人々が全力を出しているのがわかるし、苦しさも悔しさも、嬉しさも分かるようになってくる。そうなると棋士の皆様を、遠い彼方にいる人にはならず、尊敬できる先達になる。

そんな先達と将棋を指せるとなったらどうなるだろうか。しかも相手は当代のトップ棋士で、しかもしかも十二番も指せるとなったら・・・。

そんな羨ましくも恐ろしい機会を得た作家が、自らの自戦記を書いたのが、この突撃将棋十二番勝負である。

平成2年度のトップ棋士たちとの十二番勝負

相手がとにかく凄い。もし同じ機会を自分が得られたとしたら、勿体なさすぎて足どころか心身全て震えるに違いない。米長邦雄九段(段位・肩書は平成2年の対局当時)に始まり、中原誠名人、谷川浩司名人、大山康晴十五世名人、そして当時若干19歳の羽生善治竜王。他の相手も将棋連盟会長二上達也九段に、序盤のエジソン田中寅彦八段などなど、少し将棋の歴史を調べれば名前が出てくる人々ばかりである。

これらトップ棋士に対し、アマチュアの安部譲二が二枚落ちで挑むのである。

二枚落ちとはどのような状態かと言えば、

相手の両腕を後ろ手に縛って、ボクシングをやるようなものだ。これなら元高校のウェルター級のチャンピオンだった私でも、マイク・タイソンに勝てる。

という状態。まず負けることはない、とても有利な条件の対局なのである。しかし、相手はトッププロ。安部譲二の攻めに対し、おびえる少女のように震えていると勘違いしてはいけない。

上手(注:相手のプロ棋士の事)はおののく少女に化けて、相手をおびき寄せると、突然、本性を現す妖怪なのだ。

突撃将棋十二番ー米長邦雄戦のにらみ

著者:安部譲二 当時53歳

きちんと、正しい手順を踏んで、落ち着いて指せば負けることはないのが二枚落ちの将棋である。だが、そうはいかないのが勝負というもので、あれやこれやの変化を読むのが難しい。そそっかしい人にはとてもつらい。自戦記を読むと、安部譲二の苦悩が手に取るようにわかる。

後悔しないように全力を尽くす事の意義

将棋に興味がなければ、将棋解説の部分は読み飛ばしてしまってよい。ただ、安部譲二の自戦記だけを読めばいい。そこには、私たちがどこか忘れてしまっている、謙譲と尊敬と負けん気を、行儀でまとめた昭和の男の姿がある。

やるからには勝ちたいし、記録の残ることだから、チャランポランやいい加減なことは出来ない。それに相手をして下さる先生方にも失礼だ・・・

突撃将棋十二番ー谷川浩司1

左:安部譲二 右:谷川浩司名人(当時)

勝負ならば勝つ気で、真剣に挑む事。それは自分のためでもあり、相手への礼儀でもある。そして負けが見えていても、最後まで気を緩めず、指し続ける。

突撃将棋十二番ー大内延介戦

俺は、参りました・・・・・・と呟いて、頭を下げた。涙がこぼれそうだった。どうして、あの歩が取れなかったのだろう。
安部譲二は、将棋は下手だけど行儀はいい・・・と、せめてそう言われたいと思っている。・・・ヤケになって、みっともないことだけはするまい。頭の熱くなったのにまかせて、行儀の悪いことだけはするまいと、コケの一念でそれだけ思っている。

負けてもめげず、研究し、投げやりにならず、次の勝負に備えて研究をする。そこには一人の「棋士」がいる。実力がないとか、アマチュアだとかは関係なく「棋士」という生き方をしている安部譲二がいる。「次」という機会を与えられ、めげずに気力を奮い立たせ、次の相手に安部譲二は挑む。

その姿、態度、行儀は、令和に生きる私たちに多くの事を教えてくれている。負けることを恐れない。負けても不貞腐れない。言うは易く行うは難しで、実際に行う事はとても辛い。だが、その辛さに耐えないと得られない経験は間違いなくある。その辛さを、満天下の元、多くの目にさらされながら経験し、成長していく。53歳で成長できるならば、これからも成長できるはずだと希望を持ち、また次の対局へと進んでいく。

これは将棋の自戦記ではあるが、あの時なぜ歩をとれなかったのか・・・という心理を自己分析し文章にまとめていると、それは文学になってくる。後悔と悔しさを飲み込んで、「参りました」と声に出し頭を下げた後の安部譲二の顔をご覧いただきたい。こういう顔ができるように私はなりたいと思う。

突撃将棋十二番ー塚田泰明戦後

左:水玉のネクタイをしているのが安部譲二

右手前:塚田泰明八段

敗北直後の写真

おまけ:将棋ファン向けに、ちょっとだけ写真を紹介

突撃将棋十二番ー大山康晴戦中

中央右の、背中を見せている人が大山康晴十五世名人 大山名人はこの対局の二年後にこの世を去る。

突撃将棋十二番ー羽生善治1

突撃将棋十二番ー羽生善治2

羽生善治竜王(1990年当時 対局時19歳 安部譲二53歳)


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