オフィチエンチムに行ってきた話

ポーランド旅行の話にまたお付き合いください。

地名で察してると思うけど、今回の話はめちゃくちゃ暗いし重いから、そういうの今はちょっと……って人は引き返して!ほんまに!
ほんまにメンタル弱ってる人とかにはおすすめできない!!
嫌な予感は当たるから!当てに行くつもりで書くから!へこむ前に逃げて!

オフィチエンチムはポーランド語読みの地名です。
ドイツ語名は

アウシュビッツ

つら……

強制収容所の概要についてはみんな知ってるだろうから省きます。

これが入口。

意訳「働けば自由になれる」

なんやねん……なんやねん……

ガス室で殺された人の服。

殺虫剤で殺された、人間の子供の服。

同様に、靴。
「いつ帰れるかわからないからできるだけ良いものを」
と履いてこられた靴。
おしゃれなものも丈夫そうなものもあるけれど、これをもう一度履いて外を歩けることはなかった。

めっちゃぶれてるけどガス室。上の穴から殺虫剤のガスが入れられて、最長20分苦しんで死にます。

ビルケナウ収容所の線路。これは入口側を向いて撮った写真。でも窓もない貨車で連れられた人達は、その外を見やることが一瞬でもできただろうか、いや……。

線路はふたつ。
片方は強制労働、もう片方はガス室。

それを判断するのは医者。医学の最先端、ドイツの、医師。

こんな貨車でぎゅうぎゅうに詰められた人を、働けるかどうか軍医が選別してた。

アウシュビッツとビルケナウの2つの収容所に行きた(もうひとつこの地区にあったんだけど取り壊されたそうな)。
アウシュビッツの方は建物がかなり残っていたけれども、ビルケナウの方はナチスが隠蔽のため爆破したり、解放後の人々が薪として燃やしたりしてたからけっこう建物が少なかったです。

人が人に対してできる最悪の煮こごりみたいな事態。それを行ったのは、選挙で選ばれた人間。
大衆の総意で上に立った人物。

WW1の賠償金や世界恐慌で飢えたドイツ人を救える存在を人々は求めていた。

他人に優しくと思っていても、自分の子供が飢えていてそんなことを言える人間はいない。

それは人間の本質的な愛情だから。

直接手を下したのは、ドイツ人とは限らない。
ガス室に誘導したのはナチスに指示されたユダヤ人。
強制労働においても、特別な待遇と引き換えにユダヤ人によって囚人を見張らせ、処罰も担当させていた。

子供を安心させるための絵。輸送された囚人たちを出迎える音楽。それもユダヤ人によるもの。それをすることによってナチスに殺されずに済んだから。だから描いた。だから演奏した。

たくさんの遺骨がたまると下流の環境を汚染するので、環境保護のためにナチスは敷地内に浄水場を作った。
当時の技術としては最先端の水洗トイレも作った。

私は何を見ていて、何を聞かされているんだろう……。

愛情も芸術も知性も善意も人を救うとは限らない。
それどころか、それをもって殺すことができる。

それじゃあまるで、私でも今、誰かを殺せるってことじゃないの?
例えば私の友達だって、誰かを殺しうる存在だってことじゃない?

悪意を持っていて、冷酷で、無知で無教養な人ばかりが人を殺すなら、そういう人を「矯正」や「排除」すればいいだけの話かもしれない。
けれどそうじゃない、そうじゃないんだよ……。
それどころか、そういう人がいると考えてしまう時点で、口にするだけで、人を殺しかねないんだよ……。

歴史という人の営みの積み重ねがある以上、ある程度屍の上で息をしている自覚は人間誰しもあると思うけど、でも
今の自分の行動が誰かを殺すことに繋がってないか まで考えることってそんなにないと思うよ。いちいちそこまで考えて生きてられんし。

でも
「始めは言葉だった。害虫出ていけ、という言葉がだんだん大きくなって、やがて暴力になっていった」
という生き残りの人の証言はここにまた記しておこうと思います。

アウシュビッツには世界中から若者達が訪問しています。
特にヨーロッパの学生の中では、ホロコーストが起こる条件は何か、どうしたら防げるかという議論が活発に起こっているそうです。

そしてそれは日本人にも決して他人事ではないでしょう。

「戦争を経験した、当事者同士に謝れ、和解しろ、同じテーブルで冷静に分析しろというのは難しい。だからこそ若者が勉強する必要がある」
とも聞きました。

こわいなあ~やだなあ~前の世代の人達が勝手に戦ったのになあ~私には何の悪意もないのになあ~

って言えたら楽なんだけど残念ながら何かしらを犠牲にした繁栄の中で生きちゃってるからなあ……。

真面目な話ここで終わりな
一旦終わらせて もうしんどい

ウワーー!!!
それにしても!!!
こわかった!!!
こわかったよ!!!!!

もう収容所訪問の終盤は息が詰まって一言も発することができなくて、ただ平地に広がる春の青空があんなにも重く感じたのは初めてかもしれない

ホテル帰って目を閉じるとな、犠牲者の写真が脳裏に浮かんできてな……

しょうみ怖すぎて3時間くらいしか寝れなかったし、今も空港で明け方のバスを待ってるから二徹みたいなもんだね

つっっら……メンタルにくるわこれ……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?