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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話9~博士課程で再起を図る…が~

さて、懊悩の末に博士課程に進むことに決めた私。
博士号はとれるのでしょうか?

博士課程進学

修士も修了見込みとなり、いちおうは試験があるので、入試対策をやりました。

ただ、博士課程の入学試験は試験としては高度ですが、修士でずっとやってきた専門領域のことしかでないわけで・・・。

内部入試ということもあり、決して簡単ではなかったですが、無理なく解けるので、無事に通過しました。

ただ・・・そうして入学はしてみても、
博士号を取得する、ということがどうも実感をもって感じられず、この3年をどう使っていいものやら・・・という思いもありましたね。

でも、「せっかく」という思い、これが最後のチャンス、という思い、両親の期待に応えないと、という思いもあり、研究に専心することを決心したのでした。

追い詰められて腹が据わった、といえばかっこよすぎですが、これも追い詰められるまで何もしない私の特性の本領発揮ともいえます。

生活は・・・というと、後述する専門学校の講師と、家庭教師などのバイトと奨学金。奨学金の額が大きかったのでまあ、生活上の苦労はなく、学業に集中できました。

人に教えるという試練

博士課程では修士課程よりさらに授業のコマ数は少なく、教授のゼミ一コマだけです。

それも授業というよりは「研究指導」なので、「報告」と「指導」ですね。

ただ、実質的には教授の「助手」のような扱いなので、学部生や修士の学生への指導(実験の準備からレポート作成まで)、教授から指示された文献の翻訳、教授の紹介で専門学校での非常勤講師の仕事など、常に研究室に詰めておく必要があり、やることは多かったですね。

専門学校の講師の仕事は当然、集団への講義ですが、あがり症で気後れしやすい私にとって、始めのうちは大変でした。一般的な心理学の講義なのですが、今から思えばまったく「なってない」授業でした。

教職もとってないし、授業の仕方などそもそもわからない中で、レジュメを作って講義はするのですが、知識を羅列するだけで体系化できておらず、学生からすれば、何を聞いている(聞かされている)のかわからないような内容だったのでは、と思います。

これを半期15回するのですが、正直、苦痛でした。これをその後3年ほど続けましたが、次第に慣れてきたとはいえ、あまりいい講義にはならなかったです。(個人の感想です。)

研究室で個別に教えるのとは違い、講義を教える立場になってみると思っていた以上に難しい体験でした。思えば、講義には臨床的なセンスも必要なのでしょうし、いたってどちらも素人だった私にはまだ時期尚早だったのでしょうね。

何事も経験とはいえ、当時の学生さんには申し訳ない思いです。

結局学位はとれず…!

さて、博士課程での細かいエピソードは次回以降になりますが、この3年で、結論から言いますと、博士号は取れませんでした。(涙目)

親孝行、できなかったです。

研究はある程度、枠組みをまとめるところまではいったのですが、細部を詰めることができず、博士論文としてまとめるところまでたどり着かなかったですね。

ただ、それでも、このころに結構自分なりに精魂込めてやったことが、今の私の学問上の礎となっていることは間違いなく、学位は取れなかったものの、「やっといてよかったな」、という満足感や充実感は(今でこそですが)強く感じますね。

本当にこの場を借りて、
わがままを許してくれた両親には感謝を捧げたいです。

特に亡くなった父に。

次項は、博士課程での研究その他の道のりについて、書いてみたいと思います。

いま思い出してみると、我ながら、いろいろやった(やらかした)ものです。

今回もお読みいただきありがとうございました。


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