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僕らは貪欲になるべきか / 罪

少し時間のあいた #note

「彼氏(彼女)つくったほうがいいよ」のようなよく聞く言葉は、もしかしたら相手を「不幸」にさせてしまっているかもしれないという話。

はたしていつも他人に対してしているアドバイスは、本当に相手からして「アドバイス」になっているのだろうか。

内容
1. 登場人物
2. 「個人の幸福」と「集団の幸福」
3. 「彼女(彼氏)つくったほうがいい」は罪
4. 青年Aが青年Aを見つけ出すすべ

1. 登場人物

青年Aは、常に貪欲で努力家。さらに情も深く、友達も多い。そんなAは、いつか起業して大企業にまで育て、社会をより良くしたいという大きな志を持っている。現在はフリーターで資金を集めている。
一方、青年Bはというと、ほとんど無欲で最低限の努力しかしない。薄情なわけではないが、人間関係はあまり広くなく、話すのは数人でしかもたまに。将来への大きい志は特になく、「生活していければそれでいい」という。現在は就職し、安定している。

2. 「個人の幸福」と「集団の幸福」

僕がこの #note で問いたいことは至ってシンプルで、「はたして青年Aの方が『良い』のだろうか?」ということ。

テレビやインターネット、SNSを含むメディアでは、「社会貢献」にまつわることばかりがとりあげられ、ここでいう青年Aのような人らが目立ち、評価される。もちろん社会貢献というのは大いに意義があることだろうし、その結果、多くの人を幸せにし得るだろう。

ただ、そこまでの社会貢献をすることを、僕らは皆考えなければいけないのだろうか。「社会貢献」を「集団の幸福」として考えるとすると、一般的に「金銭的裕福さ」が幸福の基準となり、「お金」がひとつの指標となる。そこで、ひとつ考えてみる。それらの基準は、「個人の幸福」と繋がっているのだろうか?お金持ちは皆幸福だろうか?想像できるように、おそらく、そうではない。

「青年Bは無欲」と言った。だが、「就職し、安定している」。欲がなく現在安定している彼はもう、現時点で満足しているのだ。じゃあ、社会貢献はしていないのだろうか?いや、そんなことはない。就職し、集団の一部となって、社会を動かす1人となっている。彼は、「集団の幸福」も、「個人の幸福」もどちらも満たしている。

ということは、結局、「どちらが良いとは言えない」ということだ。もちろん基準を「集団の幸福」に定めれば、青年Aが「良い」とは言われるかもしれないが、それよりももっと大切な「個人の幸福」に焦点をおいた時、どちらもそれを満たしている。

メディアの発信する情報が、ほとんど「集団の幸福」を基準としているから、個人の幸福を目指そうとする人は少し引け目を感じてしまうのだ。だが、それは全く悪いことではない。むしろ、あたりまえのことで、1番重要なことかもしれない。

たくさんの情報が飛び交うということは、様々な「価値基準」が飛び交うということでもある。それらにいちいち反応していては、「個人の幸福」など得られるわけがない。いつなんどきも、「自身の幸福とはなにか」を考え続けなければいけない。そして、ある時には「これが私の幸福だ」と納得するべきだ。そうすることで、自身の幸福度は実感として高まり、心は満たされていく。決して貪欲である必要はない。

3. 「彼女(彼氏)つくった方がいい」 は罪

青年Aの立場になった時に、ひとつ、気をつけなければいけないことがあるなと思った。それは、無意識に青年Bを「貪欲にしようとする」ことだ。

身近な例をあげれば、「もっとやりがいのある仕事を探そうよ」とか「もっと遊んだ方が絶対いいよ」とか。あるいは、「彼女(彼氏)つくった方がよくない?」も含む。

貪欲ということは、例えれば、空白が大きいということである。欲というのは「空白」である。欲があるということは、そこがまだ空いていて、言い換えれば「不足」の状態。つまり、青年Aは「不足」、青年Bは「満足」なのだ。

青年Aが青年Bを「貪欲にしようとする」ことは、ある意味「不足をつくろうとする」ことでもある。これらをふまえると、なかなか罪なことではないかとも思える。大切なのは "彼自身" が満足できることであり、つまり彼「個人の幸福」だ。

4. 青年Aが青年Aを見つけ出すすべ

だが、社会をよりよくする上では、貪欲な人材はまだまだ求められている気もする。その時には、青年Aはどうすればよいのだろうか。

それは、「貪欲な人」を探し、啓発する他ない。無欲な人に行動を起こさせようとするのではなく、行動を起こす人を啓発するのだ。例えば、自分の「〇〇したい」という話をし、そこで食いついて質問しにきてくれた人に対して親身に向き合う。その他には特に干渉しない。そうすることで青年Bはそのままに、青年Aだけを発掘して、行動的にしていければいい。そうやって「集団の幸福」を高めていく。

また、そのような人間関係のつくり方をしていけば、比較的に同じくらいの欲をもった人と関わり、お互いに高めあえるのではないかなと思う。逆に、極端な「欲の違い」こそが、「あの人と合わない」とかいうひとつの原因でもあるのかなとも思った。

ここで書いたことは、もしかしたら結構あたりまえとして認識されていることばかりかもしれない。ただ、貪欲な僕は、無意識に青年Bを「貪欲にしようとしてしまう」ことが多々ある。それらを自分自身が気をつけられるよう、ここに備忘録として残しておく。

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