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言葉には"中身"がない

今回のこの #note は、言葉の本質と、使う時に注意すれば幅が広がりそうなことを書いた。また、後で見返した自分が理解できるようにという備忘録のような感じで書いたので、読みにくさは少し許容してもらえればと思う。

内容
1. 先生方からもらった言葉
2. 言葉には"中身"がない
3. 言葉を使う時に考えたいこと

1. 先生方からもらった言葉

小学生の時、兄の卒業と一緒に異動になったほんだ校長が 「継続は力なり」 って言ってた。

中学3年間ずっと担任をしてもらったえり先生が 「自分の心の物差しを人にあてるな」って言ってた。

所属していた男子バスケットボール部の顧問、とがし先生が 「相手を見て言動を変えるな」 って言ってた。

当時、はたして僕はそれらを本当に理解できていたのだろうか。 はっきり覚えているのは、とがし先生の言葉の意味が全くわからず、ぽかーんと口を開けて聞いていたこと。そしてそのあと 「ぼーっとしてるな」 と叱られたこと。

今思えば、先生方は必要なことをもれなく教えてくれていた気がする。そして、僕らの未来を少なからず見据えていたんだと思う。とにかく、彼らの生徒であれたことが、とてつもなく嬉しい。

2. 言葉には"中身"がない

では、なぜ当時理解できなかったことが、今理解でき、かつ鮮明に蘇ってくるのか。これがこの #note のメインになるのだが、それは、「時間のおかげ」というよりは、「経験のおかげ」だろうと思う。このことは、先生方の言葉を思い出したと同時に気づいた。

僕らはいつも何気なく、あたりまえに言葉を使っている。でも、実際は、言葉自体には全く"中身"がない。

例えば、「パスタ」 という言葉をはじめて聞いた時、 もしその時点でパスタを見た事がないとすれば、「パスタ」 という言葉は 「ぱすた」 という3文字の日本語の発音でしかない。

「東京」 も同じだ。もし東京に生まれたとしても、東京の街を歩き、東京の景色をしり、その範囲を知ることで、「とうきょう」 という"発音としての言葉"からぬけだし、やっと、風景や匂い、空気感など含めた「東京」というひとつの街の意味として捉えられるようになる。

これらからわかるように、僕らが言葉の意味を捉えられているのは、 「経験」 したからだ。言葉は元々ただの外箱で、そこに経験を詰め、はじめて意味をもち、成立する。

言い換えれば、僕らが無意識にでも言葉に意味を付加しなければ、言葉は言葉として機能しない。

3. 言葉を使う時に考えたいこと

同じ日本語でも、全く言葉が通じない人がいるのは、そのせいだろう。言葉の外箱は同じでも、中身に詰めている 経験 は人それぞれなのだ。

先生方の言葉を聞いた当時、おそらくその言葉達を理解できるほどの経験を持ち合わせていなかったのだろう。ただ、そこからわかることは、言葉は相手の経験を知ることで、より正確に伝えられるようになるということだ。

言葉だけで人は変えられないというのはよく聞くが、実際、言葉で人は変わる。それは、言葉と相手の「経験」がぴったり重なった時だ。逆に言えば、将来相手がその言葉に中身を詰める可能性があるならば、その言葉が彼にとってはまだ空っぽだとしても、伝える意義はある。

実際、当時の僕からしたら、先生方の言葉はただの外箱だったが、今現在、そこにはたくさんの経験が重なって入ったことで、今では最も重い言葉に匹敵している。

これらは逆に、言葉を受けとる時もそうだろう。その時は理解できない言葉でも、覚えておくことで、経験を片付ける時の空き箱になり得る。そうすることで、経験を整理しながら、知識として詰め込んでいくことができるし、理解も深まる。

こういうことは正直むずかしいし、リアルタイムで考えるなんてなかなかハードなことではあるけど、もしかしたらいつか使える思考かもしれない。そういう想いで、ここに #note としてとどめておく。

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