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生きてるだけで100点~完璧を求めすぎた私たち~


「私、完璧主義なんだよね」
友達が呟いた。
正直、共感できる部分はある。

今まで私たちは常に完璧にこなすことを、求められ続けた。

テストで高得点を取れたらすごい。恋愛は理想の人とするもの。夢を持って達成しなければならない。お金あるやつがすごい。安定した人生がいい。

情報化社会の弊害

これらは、情報化社会の弊害と言えるだろう。
メディアやインフルエンサーによって連日、「完璧であること」が発信されている。

「キレイな私の美体」

「毎日健康づくり頑張ってます♡」

「搾取される側に回るな!」

「起業して成功しろ!」


それを見たユーザーは、「私もそうなれるように頑張ろう!」「この人に較べて私には何も無いな。」と、色んな感情を覚える。

努力できる者はいいが、大抵は「劣等感」を抱く。
そして、それがストレスになり、徐々に自分を認められなくなってくる。

「自分はなんで何も出来ないんだろ。」
「あの人に比べて私はブサイクだ。」
「あの人みたいになれたら、きっと幸せだったんだろうな。」

そんなふうにして、"出来ない自分のカオス"をかき集めていく。
たまに「頑張ろう!」と思うが、すぐにもとの自分に戻る。

自責感、罪悪感の先にあるもの

自分を責め、自分には何も無いと嘆く。
誰からも認められない。なんで?どうして?誰かわかってよ!
そのうち、「社会」からも「こころ」からも自分の「存在」が消えていく。

その結果、精神病にかかったりする。
無気力になり「0」に戻る。ここでいう「0」とは、赤ん坊ではない。知識や経験で凝り固まった、タチの悪い0だ。


そして、0でいることを拒み、無駄に情報収集する。またメディアに踊らされる。努力の出来ない自分を受け入れられず、また今日を過ごす。

「絶対に努力はしない」と誓う

小さい頃から常に、「努力しろ!」「根性だ!」と言われ続けてきた。
できる人、できない人が生まれる。そこに劣等感や嫉妬心が生まれる。社会をおかしくしている根源は、劣等感と嫉妬心で間違いないだろう。


だが、世の中に「正しさ」は存在しない。
「正しさ」や「当たり前」は皆が持つ共通理念であって、絶対的なものでは無い。
「努力することが正しい!」「嫌なことは我慢しろ!」というのは、あくまで共通理念。

僕らは、それらを無視してもいい。むしろ、今日から「努力は絶対しない!」と誓ってみてはいかがだろうか。

いかにダメに生きれるか。人間の失敗作になれるか。
たしかに、周りからの承認は得られないのかもしれない。嫌われることもあるのかも知れない。

しかし、ダメに生きることは自己受容に繋がる。「こんなダメな自分は自分じゃない!」という「理想呪縛」から開放される。
自分のままでいい。ありのままでいい。「素晴らしい人生を生きる」のではなく、いかに「ダメになる」のである。

そして、ダメになり続けながら、そんな自分を認める練習をしていく。
いずれ「ダメでもいい」そんな風に思えてくる。
自分の「ダメさ」を認めることができると、余裕が生まれる。
余裕が生まれて初めて「自分の本当にやりたいこと」「自分なりの生き方」が見えてくる。

ダメな自分を認めれず、完璧を追い求めようとすると、結局情報だけが集まってゆき、何も達成できない。
何かを始めることは素晴らしい。だが、継続が出来なければ意味が無い。

まずは、ダメな自分になって、出来ない自分を受け入れることが何よりも最優先だ。
何もしなくてもいい。ただ、「いま、ここ」を生きるだけでいい。

なぜなら貴様は生きてるだけで100点だからだ。

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