消去法
照明の消えた真っ暗な部屋で見えない天井を睨みながらベッドに横たわる。
いつもこの時間になると妙にネガティブになる。何もかもが不安になり、何もかもが面倒になる。
やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんある。それでもその全てを放り出してここからいなくなってしまいたくなる。
「いっそのこと死にたい」
そんなことを呟いてみてもそんなことは本気ではない。「死にたい」を本気で呟くやつってこの世界にどれくらいいるんだろう。
かのスティーブ・ジョブスが言っていた。『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを本当にやりたいだろうか?』
やりたいことじゃない。でも予定は変えないと思う。
本気で今日が最後だと思ってないわけじゃない。明日起きたら三途の川の渡し船の可能性だってもちろんある。
それでも予定を変えた所で後悔しないとも限らないし、変えて後悔するくらいならあの世で「あんなことしたかったな」って妄想する方がよっぽどマシだ。
結局のところ、どんなすごいことを成し遂げた人だってやり残したことは沢山あるだろう。
でもこんなことも聞いたことがある。
「リア王は『人は皆泣きながら生まれてくる。阿呆ばかりの舞台に出されたことが悲しくてな』と言ったが、俺はそうは思わない。人が泣きながら生まれてくるのは死ぬ時笑うためだ」
誰が言ったかなんかは覚えちゃいないが、今死ぬとしたら阿呆らしくて笑いながら死ねるな。成し遂げたことよりも成し遂げたかったことの方が多いんだから、笑うしかできない。
枕元のスマホで自殺の方法を調べようとする。
練炭は苦しくって下手打ったら後遺症で一生苦しい思いをするし、首吊りは糞尿まみれで汚い最後になる。
入水は苦しそうだし、踏切は人に迷惑かけるし、飛び降りは高さ11メートルが恐怖のピークらしいし、やっぱり百合の花かな。あれがいちばん綺麗だって聞くし。
そんなことを考えながら検索窓に『自殺方法』って打ち込んだ。
Google先生は自殺の仕方を教えてくれないようだ。相談窓口の番号が虚しく浮かんだだけだった。
スマホを放り投げてまた暗闇の世界に戻る。
死んだらそこでおしまいだよ。生きてればきっといいことがあるよ。だから頑張って乗り越えよう。
そんなことを言う人もいるけど別に嫌なことだらけで生きてくのが辛い訳でもないし、この世に絶望している訳でもないからそんなこと言われたところでなんとも思わない。
多分あの世で「なんで自殺したんですか」ってインタビューを受けたら「夏目漱石と同じ理由です」って答えるだろう。
結局、死にたい理由もないし死ぬのは怖いし、かと言って生きたい理由も死んじゃダメな理由もわからない。
じゃあせめて死ぬのがダメな理由、生きなければならない理由が見つかるまで生きてみようかな。
結局今夜も死ぬ理由が見つからずに消去法で『生きる』を選択して眠りについた。
〈完〉
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