我楽多ノート

私が思うことを文章で伝えます。 メンバーシップでは日本を楽しくするサークルとして皆さん…

我楽多ノート

私が思うことを文章で伝えます。 メンバーシップでは日本を楽しくするサークルとして皆さんと日本を楽しくする活動をしていきたいと思います。

メンバーシップに加入する

日本を愛する人たちが集まって日本の良いことや物を知るサークルです。 日本を好きになったお話を連載したり、日本製の良いものを紹介したり、Xの収益の上げ方を紹介します。

  • 第一期メンバー

    ¥250 / 月
    あと27人募集中

マガジン

  • 日本を楽しくするユゥチゥ部

    私がYouTubeでやりたいことを書きながらこれまでの活動を振り返ってその時の心境を綴ります。

  • 日本を楽しくするプロジェクト

    メンバーシップでは「あらゆる可能性を見出してビジネスを楽しむプロジェクト」を推進します。 まずはYouTube収益化をスタート!

  • 映画に興味がないおじさんの映画レビュー

    映画に興味がなかったけど訳あって映画のレビューを書くことになりました。

  • 人生について

    私が人生で考えたこと、自分と向き合ってわかったことについて連載します。

  • 服を楽しむ

    おじさんが服について思うこと

記事一覧

我楽多物語2 その2「窮屈な仕事」

破綻の序章日本帰国後に私は破綻していくのだった。 破綻のその先にあるものは何でしょうか? 帰国後に日本のボウリング場に転職した。 社会人1年目の先輩社員の口利きでの…

1

魔力

今回は強者へ依存することの魔力の話。 私がこの話のタイトルに「魔力」と入れたのは 頼れば副作用もあるし 依存が高まってなかなか抜けられなく という意味を込めています…

2

連鎖

個人には限界があります。 しかし人と人がつながれば可能性が広がります。 そのつながりが大きくなるほどに可能性も大きくなる。 今回はこのお話を回顧し 今後にどう繋がる…

1

覚醒

いろいろな局面で 人は根性でなんとかなる時があるのです。 上海に行くまでに私はさほど酒が強くなかった。 しかし上海から帰ったら途端に酒が弱くなった。 そんな根性論を…

2

我楽多物語2 その1「違和感」

刺激的な上海生活が終わった。 新たな生活へと突入していく私は まるで夢から現実に戻れないような 違和感のある日々を過ごす。

4

恋愛

今回はこのお話に出てくる女性ついて当時の思いを書きます。 23歳だった私がどう思っていたのか当時を回顧しますが この話はデリケートなのでどこまで開けっぴろげにするの…

3

経験

初めての就職は刺激的だった。 しかしそれも最初だけで 日々の仕事でやることはたくさんあるのに 一通りこなせるようになると私は仕事に飽きてしまっていた。 そのタイミン…

我楽多ノート
2週間前
2

両親

今回から我楽多物語の背景のお話を書きます。 私が当時何を思って行動したのか 当時の回顧録です。 家庭環境 私は昭和のサラリーマン家庭に育った。 父は仕事にや遊びに…

我楽多ノート
2週間前
3

1997上海奇想天外物語

まえがきその日も上海の空はくすんでいた。 この物語は全て実話です。 就職氷河期世代である負け組の 私が1997年に上海へ渡りました。 その上海で体験した奇想天外な日々の…

1,500
我楽多ノート
3週間前
7

ここだけの話 その8「スランプの脱出方法」

絶不調私は今スランプに陥っている YouTubeの動画再生回数が激減したのだ。 日本を楽しくするチャンネルの最新動画は再生回数200回以下 こなっチャンも消しハンワールドは…

我楽多ノート
1か月前
5

我楽多物語 その28「再見理想」

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

我楽多ノート
1か月前
6

YouTubeの話5「収益」

ここでは私のYouTubeチャンネルに関するお話を書きます。 内容は振り返り、裏話、今後の目標などです。 今回も私が自分のYouTubeチャンネルを改革するために実行した修行の…

我楽多ノート
1か月前
6

我楽多物語 その27「苦い酒」

今回は文章が少しくさいです。 くさいですが、当時の私の心の描写でもあります。 あんなに苦い酒を今後飲むことはないでしょう。 ブームが終わった当時の上海はボウリング…

我楽多ノート
1か月前
6

我楽多物語 その26「上海の人事」

今回は上海の人事にまつわるお話です。 人事において上司から禁止されていたあることを実行する私。 今もあの男のもの凄い剣幕の様子が目に焼きついて離れません。 人事部…

我楽多ノート
1か月前
5

YouTubeの話4「修行」

ここでは私のYouTubeチャンネルに関するお話を書きます。 内容は振り返り、裏話、今後の目標などです。 今回は私が自分のYouTubeチャンネルを改革するために実行した修行の…

我楽多ノート
1か月前
3

我楽多物語 その25「すごい美女」

今回はホステスの話です。 夜は飲み歩くくらいしかやることのない上海生活 よくホステスさんの話が出てきますが氷山の一角です。 上海の狭い範囲でちょろちょろしていた199…

我楽多ノート
1か月前
4

我楽多物語2 その2「窮屈な仕事」

破綻の序章日本帰国後に私は破綻していくのだった。 破綻のその先にあるものは何でしょうか? 帰国後に日本のボウリング場に転職した。 社会人1年目の先輩社員の口利きでの入社だった。 彼には社会人としてのマナーから ボウリングの専門知識まで何もかも教わった 師匠と言える存在だった。 上海に行く会社を紹介してくれたのも この師匠だったのだ。 私が上海から帰ろうかどうか決断する少し前に 師匠はこの会社に転職していた。 師匠が転職していなかったら 日本に帰ってから師匠の下では働けないはず

魔力

今回は強者へ依存することの魔力の話。 私がこの話のタイトルに「魔力」と入れたのは 頼れば副作用もあるし 依存が高まってなかなか抜けられなく という意味を込めています。 この話を経験した当時の私は若干24歳。 目の前で起こる奇跡のような出来事に興奮したものだ。 日本が少し嫌いだったこともあり コネでいろいろなことが解決できてしまう中国が まるで別世界に見えて魅力的に感じていた。 しかし実情は そのコネを作る努力は途方もないことで コミュニケーション能力が問われること もし人に

連鎖

個人には限界があります。 しかし人と人がつながれば可能性が広がります。 そのつながりが大きくなるほどに可能性も大きくなる。 今回はこのお話を回顧し 今後にどう繋がるかを書きます。 このお話で書いた華僑のつながりは 私には驚きでしかなかった。 小さなカラオケ屋の親父だと思っていた会長が 総領事に直接会いに行って 上海の小さな揉め事を解決させたのだ。 中国人のコネ社会と言えばそれまでだが そんな事をやり遂げる中国人の存在は やはり恐ろしいものだった。 日本の企業にいたら間違いな

覚醒

いろいろな局面で 人は根性でなんとかなる時があるのです。 上海に行くまでに私はさほど酒が強くなかった。 しかし上海から帰ったら途端に酒が弱くなった。 そんな根性論を書きます。 この我楽多物語で書いたように仕事を成功させるためだけに 上海で酒を飲み散らかす日々だった。 上海に行くまでも毎日のように飲み歩いていたし 酒はそんなに弱くない方ではあった。 しかし無理して限界を超えるまで飲んだことはなかった。 例えば仕事が多忙で夜中までかかったり 徹夜したりも根性の話だと思う。 身体

我楽多物語2 その1「違和感」

刺激的な上海生活が終わった。 新たな生活へと突入していく私は まるで夢から現実に戻れないような 違和感のある日々を過ごす。

恋愛

今回はこのお話に出てくる女性ついて当時の思いを書きます。 23歳だった私がどう思っていたのか当時を回顧しますが この話はデリケートなのでどこまで開けっぴろげにするのか どう表現するのかが何十年経っても少し複雑です。 しかし今回はできる限りの私の思いを書きます。

経験

初めての就職は刺激的だった。 しかしそれも最初だけで 日々の仕事でやることはたくさんあるのに 一通りこなせるようになると私は仕事に飽きてしまっていた。 そのタイミングで上海へ行く話が来たのだった。

両親

今回から我楽多物語の背景のお話を書きます。 私が当時何を思って行動したのか 当時の回顧録です。 家庭環境 私は昭和のサラリーマン家庭に育った。 父は仕事にや遊びに忙しく私とあまり会わない 母はパートに出かけて頑張って育児をしてくれた。 私は鍵っ子だった。 我楽多物語その1で書いた状況の裏に 両親は私のすることに反対しなかったという状況がある。

固定された記事

1997上海奇想天外物語

まえがきその日も上海の空はくすんでいた。 この物語は全て実話です。 就職氷河期世代である負け組の 私が1997年に上海へ渡りました。 その上海で体験した奇想天外な日々の物語をお送りします。 長編なので途中まで読んだら 目次を活用して読み進めて行ってください。 1994年 社会人スタート負け組らしい社会人スタート 負け組 私は経済成長真っただ中の 一般会社員の家庭で生まれた。 成長するにつれバブル経済に突入し、 学生時代はバブル経済真っ只中で 父は中小企業の役員だった。

¥1,500

ここだけの話 その8「スランプの脱出方法」

絶不調私は今スランプに陥っている YouTubeの動画再生回数が激減したのだ。 日本を楽しくするチャンネルの最新動画は再生回数200回以下 こなっチャンも消しハンワールドはそれぞれ再生回数たったの数十回。 いくらなんでも不調すぎて笑えない。 しかしそんなこともあると思う。 分かってはいるが他のことも重なって動画制作ができなくなっている。 解決方法もわかっている。 それは動画を作ることだ。 それでまた再生回数を伸ばすことでしか現状は打破できない。 打開策さて、そんな状況に陥っ

我楽多物語 その28「再見理想」

この記事はメンバーシップに加入すると読めます

YouTubeの話5「収益」

ここでは私のYouTubeチャンネルに関するお話を書きます。 内容は振り返り、裏話、今後の目標などです。 今回も私が自分のYouTubeチャンネルを改革するために実行した修行の話。 「日本を楽しくするチャンネル」を運営しています。https://www.youtube.com/@garakutachan YouTube修行は続く2つ目に研究したチャンネルはこちら B級映画に特化した映画レビューチャンネル。 映画レビューをやってみたかったのもあったのだが B級映画と言うニッ

我楽多物語 その27「苦い酒」

今回は文章が少しくさいです。 くさいですが、当時の私の心の描写でもあります。 あんなに苦い酒を今後飲むことはないでしょう。 ブームが終わった当時の上海はボウリングブームの終わり頃であった。 私がいたボウリング場は計画より約2年も遅れてのオープンだった。 上海市でボウリングが流行したのは1995年のことでオープンは1997年。 私たちがなんとか開業した頃には完全に良い時期は過ぎ去っていた。 オープン直後は1ゲームの値段が日本円で500円ほどで、当時の上海の物価からすればなかな

我楽多物語 その26「上海の人事」

今回は上海の人事にまつわるお話です。 人事において上司から禁止されていたあることを実行する私。 今もあの男のもの凄い剣幕の様子が目に焼きついて離れません。 人事部中国で人事権を持たされた者を「老師」と呼ぶ事がある。 老師というのは日本語にすると「先生」という意味である。 ちなみに中国語で「先生」と言うと、男に付ける「~さん」という意味になる。 うちの会社にも老師がいて、人事部は少しお歳を重ねた女性一人しかいないので必然的に彼女が老師となる。 シャワーある日私がマネージャー

YouTubeの話4「修行」

ここでは私のYouTubeチャンネルに関するお話を書きます。 内容は振り返り、裏話、今後の目標などです。 今回は私が自分のYouTubeチャンネルを改革するために実行した修行の話。 「日本を楽しくするチャンネル」を運営しています。https://www.youtube.com/@garakutachan 日本を楽しくチャンネルの大規模改革にあたり YouTubeで日本を楽しくすると言っても どうすればいいのか非常に悩ましかった。 範囲が広すぎる。 日本語の動画でバズれば日本

我楽多物語 その25「すごい美女」

今回はホステスの話です。 夜は飲み歩くくらいしかやることのない上海生活 よくホステスさんの話が出てきますが氷山の一角です。 上海の狭い範囲でちょろちょろしていた1997年の私でした。 欠点今回はストーカーちゃんが働いていたクラブにいた 別のホステスさんのお話。 彼女はミステリアスマンが気に入っていたホステスで、芸能人を含めて当時の私がた女性の中では間違いなく一番美女であった。 写真がないのが残念なくらいの美女なのです。 そしてなんと彼女は性格も良かった。 これだけ聞くと完璧