自己紹介

実名を出さず、裁判官と称する者がnoteをやって、裁判官っぽいことを書いたとき、どの程度見向きされるのかを知りたいと思い、半ば思い付きで始めました。

いろんな裁判官がいてもいい?

訴訟当事者は、担当裁判官を選べないのだから、「裁判官」は均質であろうとすべき?

私生活や性癖をオープンにすべきではない?

裁判官を身近に感じてもらう必要はない?

「別に(分限にかけられない範囲で)好きにすればいいじゃない」なんて言うのはあまりに自己中心的で無責任?

よい裁判とは何だろう。よい裁判官とは何だろう。「司法に対する国民の信頼」って何だろう。

そんなことをたまーに考え、モヤモヤしながら眠りにつき、朝になれば、事件を選べない裁判官と、担当裁判官を選べない訴訟当事者が、運命的に出会った縁を感じながら、目の前の双方当事者にとって最も良い解決を一緒になって考える日々を送る。

そんな民事裁判官。

になりたいな、と思う刑事裁判官です。

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