実名を出さず、裁判官と称する者がnoteをやって、裁判官っぽいことを書いたとき、どの程度見向きされるのかを知りたいと思い、半ば思い付きで始めました。 いろんな裁判官がいてもいい? 訴訟当事者は、担当裁判官を選べないのだから、「裁判官」は均質であろうとすべき? 私生活や性癖をオープンにすべきではない? 裁判官を身近に感じてもらう必要はない? 「別に(分限にかけられない範囲で)好きにすればいいじゃない」なんて言うのはあまりに自己中心的で無責任? よい裁判とは何だろう。