一本ののの 【短編小説】


そいつは〝探偵〟と呼ばれていた。
そいつの後ろ髪は寝ぐせでいつも跳ねていた。


「そうか。なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだ」


やつの演技がかった口調を思い出す。


「ああ、それなら酸化マグネシウムの炎色反応で説明がつくね」

「もし初めから鍵なんて掛かっていなかったとしたら?」

「どうやら犯人が右利きだと決めつけていたようだね」


ミステリ作品の探偵役に憧れていて、やたらと雑学的知識を身につけているやつだった。
わりに学校の成績は悪かったように記憶している。





おれは〝探偵〟を探していた。昨日の夕方、郵便ポストにこんな内容の手紙が投函されていた。

〈前略 ご活躍をいつも拝見しております。お久しぶりですね。突然のことで驚かれるでしょうが、これは不幸の手紙です。三日以内に、これと同じ内容の手紙を五人の方にお出しください。さもなければ・・・。結果はよくご存知のはずです。それでは。 草々〉。差出人の名前はない。

おれは〝探偵〟の連絡先を知らない。やつが中学のときまで住んでいたアパートなら分かるが、引っ越して長いと聞く。当時のツレでまだ連絡のつく何人かに、その行方や近況を知らないか尋ねてみた。しかし誰一人として何も心当たらないという。大半がまるで〝探偵〟の存在など初めからなかったかのように振る舞う。


おれは手紙の裏も表も封筒も、もう一度よく見直してみた。消印は。貼られている切手は。筆跡は。五人に送るのがルールということならば、同じ内容の手紙を受け取っているやつがおれ以外にも四人いるのか。だめだ。おれはこういうのを整然と考えられるほど賢くないと自分が一番よく分かっている。


今日はCMの撮影と雑誌のインタビューが控えていたが、どちらも体調不良を理由にマネージャーを通じてキャンセルした。〝探偵〟を探すのが優先だし、まず今の精神状態では仕事に差し支えるだろう。かといってどうしたらよいか当てもなく、馬鹿らしいがひとまず電話帳で探偵業者のページを開いてみた。やつなら好きが高じて開業していても不思議ではない。

しかしリストを指でなぞりながら気がついた。そういえばおれは〝探偵〟の名前すら知らないのだった。


忌々しいこの手紙をなんとかしなくては。タイムリミットは三日とある。この〈三日以内〉というのは、おれがこいつを受け取った時点から数えて考えればよいのだろうか? 〝探偵〟はそれまでに見つかるか。もし間に合わなかった場合は、本当に誰か五人に手紙を送る方がまだマシか? その場合、当日消印有効か、必着かーー。頭がパンクしそうになる。〝探偵〟はどこだ。やつは今どこで何をしている。


こうなったらロムヒやクマヤンに電話してみようか。こちらから断交を強制しておいてその禁忌を解いてしまうのは気が引けるが、背に腹はかえられない。やつらはおれと同じかそれ以上に頭が悪いが、もしかすると気にかけていて〝探偵〟の動向を知っているかもしれない。プライベート用のスマートフォンを取り出し、覚悟を決めて発信する。しかしロムヒはどうやらおれの番号を着信拒否しているようで、自動音声の応答があるばかりで繋がらない。馬鹿に律儀で忠実で、用の足りないやつだ。

続けてクマヤンにかけてみると、こちらは呼び出し音が鳴る。が、なかなか出ない。おそらく出てよいものか躊躇しているのだろう。一旦切ってからもう一度かけてみる。ことの重大性を察したのか、今度は三コールとしないで電話が取られる。


「・・・熊谷です」

「馬鹿がっ、結局出るならさっさと出ろっ」

「・・・連絡とらないんじゃなかったのかよ」

「状況が変わったんだっ」


クマヤン、こいつと話していると内容によらずどんどん苛立ちがつのってくる。たぶんガキみたいな甲高い声質のせいだ。さっさと本題に入ろう、切り出そうとした次の瞬間、そのガキみたいなイラつく声で発せられた言葉がおれを凍りつかせた。


「手紙ならおれも受け取ったよ」

「えっ」


そこでおれはハッとした。どうしてこんな単純なことに気がつかなったんだろう。五通の手紙はおれと、クマヤンと、ロムヒとビーとウシケンに宛てて送られてきているのだ。


「・・・おまえ、誰かにアレのことを話したか」

「いや・・・」

「ロムヒはどうだ。ビーは。ウシケンのやつは。あいつは特に口が軽い」

「みんなあとが恐ろしくてしゃべれるわけないよ。第一おれらにとっても人に知られたい内容じゃない」


確かにそれはそうだ。クマヤンは嘘がつけるほど頭も要領もよくないし、信じて問題ないだろう。そうとなれば、いよいよ〝探偵〟を見つけなければどうしようもなくなってくる。


「おまえ、〝探偵〟が今どこで何してるか知ってるか」

「うーん。たしか自衛隊に入ったとか、いやストリートでバンジョーを弾くパフォーマーになったとか、そんな感じだった気がする」


こいつ、要するに何も知らないのと同じだ。今は浪費してよい時間など一秒たりとないのに、こんなやりとりはまるで無意味だ。


「・・・ロムヒは番号を変えたのか」

「さあ。変えていないと思うけど」

「そうか。なら、おい、いいか。ロムヒとビーとウシケンにおまえから今すぐ電話入れて、おれに〝探偵〟の現状を教えるか、知らないなら探してチクるよう伝えろ。おれは着拒されてるからできない。おまえがやれ、すぐにだぞ」


クマヤンが何か答える前に通話を切った。やつらも〝探偵〟の捜索に加担させようという咄嗟の思いつきは、我ながらに冴えている。ワトソンに指示を出すホームズの機知に近いものがあるか。案外と悪くない気分だ。


とはいえあの馬鹿どもだけを当てにしてはいられない。〝探偵〟ならどうする、おれは思考を巡らせてみる。

まずおれの自宅住所が割られている、その事実から逆算していこう。おそらくおれの私生活や交友関係のスジを辿ることによってその特定に至ったのだ。だとしたらSNSが情報源にされた確率が高い。そこに何かしら痕跡が残っていないか、確かめてみるのはどうだろう。

アプリを起動する。調べるにあたって、いちおう公式アカウントから裏アカに切り替える。行きつけのバー、マンションからの夜景さえおれはアップロードしてしまっている、これではその気になれば特定は容易に違いない。いいねとコメントは以前エゴサーチしたときよりもいくらか増えている。一つ一つ確認するが、とくに気になる投稿もユーザーも見当たらない。しいていうなら、先日チャリティーに寄せてしたためたコピー文のスクリーンショットが、なぜか今さらになってバズっている。達筆でもない平凡な字で書かれた、あげくゴーストライターに考えさせた綺麗事にすぎないが、発信者がおれだから多くの賛同を得ている。ここはそういう碌でもない場所なのだ。

たっぷり三時間ほども費やして、気がついたことといえば残念ながらそれくらいだった。


これで八方塞がりか? そんなことはないはずだ。SNSの写真が手がかりにされたとしよう、なら例えばバーのマスターに連絡して、近ごろおれの素行や素性について尋ねに来た怪しい輩がいなかったか聞いてみるのはどうだろう。ダメ元でもいい、早速発信する。呼び出し音を聞きながら、自分のやることなすことが次第に探偵じみてきているよう実感しはじめる。鮮やかな推理の披露だけがその本分ではない。それに先立つ地道な情報収集能力と実行力、こちらの方こそが探偵の探偵たる真骨頂なのだ。


「いつもありがとうございます、ハレクラニです。ご予約ですか?」


受話器の向こうのマスターの口調は、いつも通り慇懃だ。ポマードで整えられた髪、控えめな笑顔と白い歯、シグ・ゼーンの椰子の木柄のシャツ。その声は当人の風貌のイメージを正確に想起させる。


「ごめん、実は今飲んでる場合じゃないんだ。いきなりで悪いけどちょっといいかな」


近ごろおれのことを探りに来た不審な奴がいなかったか、と率直にそう質問した。するとマスターはなにを今更、といったふうに冗談ぽく、しかし上品に笑って答えた。


「お客さんのことを訊かれるのなんて本当にしょっちゅうですよ。雑誌記者とかパパラッチもそうだし、単なるミーハーも、危ない追っかけみたいなのもときどき来る。でも大丈夫、わたしは何もしゃべってはいませんから」


その返答に安心してよいのやら、はたまた危機感を強めるべきなのかよくわからなかった。マスターは「それより」、と言ってこう続けた。


「あのコピー文、わたしもリツイートしましたよ。少しでも多くの人にメッセージが届けばいいですね」


夕刻の今、バーはオープン作業で忙しい時間帯だろうという引け目もあり、おれはそこで適当に礼をいって終話ボタンを押した。そろそろ手紙を受け取ってから丸一日が経とうというのに、今のところ真相へは一歩も近づけないままだ。誰か〝探偵〟が、〝探偵〟がどこにいるのか教えてくれ!

もし期日を過ぎたら何が起こる? 五通の手紙をもし差し出すとしたら誰へ宛てればいい? 想像しなければならないことは山ほどあって、しかし時間はそれに見合うだけあるとは思えない。慣れぬ頭の使い方で知恵熱が出、少し眠気がしてくる。冷蔵庫からレッドブルを取り出して一息にあおる。

もし期日を過ぎてしまったら。当然だ、おれは必ずとんでもない不幸に陥れられる。ドク、ドク、と動悸にあわせて世界が揺れる。しかしどうやって? どんな手段をもっておれは不幸にされる? 考えたくもないがもはやそのことで思考は支配されてしまっている。ソファーに沈めた身体がやけに重い。これは何の振動だ。心臓の鼓動のようにも聞こえるし、玄関の扉を叩く音にも聞こえる。もしや、〝探偵〟が来たのか? スマホの着信音とバイブレーションも鳴る。もしや、〝探偵〟から? それらに飛びつきたい衝動はあるが、金縛りのように身体が動かないのはなぜだ。


「コロシテヤルカラ」


涙まじりの低い女の声がする。汗ばかりが滲み出て、指の一本すら自分の思い通りにならない。許してくれ。おれが悪かったから許して、助けてくれ!


そこでおれは強引に目を開いた。


開いた、ということはどうやらそれまでは閉じられていたようだ。ガラスのローテーブルでうるさく鳴るスマホを手に取る。画面上にはマネージャーの名前とともに、8、1、7の数字が浮かんでいる。その羅列が時刻を表していることを思い出すのに少し時間がかかった。

八時十七分? いや今もはや十八分になった。電話に出る。「ヤバい。おれ寝てたみたいだ」、絞り出した声は掠れている。一体どこまでが夢でどこまでが現実なのだ。片手には未開封のレッドブルが握られている。


「おはよーざいます、お疲れ様です。具合はその後どうですか? 今日は赤坂でバラエティ収録ですが」


耳にスマホを当てつつ辺りを見回す。視界の隅に封筒と手紙を見つけ、おれは落胆した。夢であってほしい事実はまごうことなき現実だった。悪夢など、現実に比べたら遥かに良心的だ。悪夢には続きがない。現実には、目覚めるたびに続きがある。


「悪い、まだしばらくかかりそうだから今日いっぱいの予定は全部キャンセルしておいてくれ」

「了解です。それじゃ、お大事に」


もはや頭痛と胃痛で本当に具合が悪いから、仮病を使っているという後ろめたさは全く感じない。今日こそは、本当に今日こそは〝探偵〟の寝ぐせ頭を拝まなくては。とっとと通話をやめようとしたそのとき、マネージャーが「あ」、と発してこちらの関心を引きとめた。


「そういえば例のコピー文、ちょっとした話題になってるんで、ワイドショーとかからインタビューの依頼が来てますよ」


それどころではないが、答弁を考えておく、と言うだけ言って通話を終えた。〈「辛い」という字は紙一重で「幸い」に似ているから不思議です。あと一本の手を、一言の声を、あなたから〉。いじめの啓発のためのチャリティーに向けたメッセージだ。どいつもこいつも、この陳腐なコピーの一体どこが心に響くというのだろう。


まあいい、今考えなければならないことは別にある。おれは改めて手紙を凝視する。〈三日以内〉という期限はもう明日にまで迫っている。

消印の表示、これは差出人の追跡にはなんの役にも立たない、そんなことは無学なおれでも知っている。便箋に不自然な凹凸はないか? 鉛筆でこすって黒く塗ると、文字が白く浮かび上がってくるトリックのあれだ。貼られている八十四円切手に描かれた紫色の花、種類はわからないがもしやこれが何かのメッセージを含んではいないか? 花言葉を調べるか? もはやあらゆる点が疑わしく感られてくる。

黒のボールペン。縦書き。どうでもいいが右利きの字だ、全体的に右上がりに形どられている。「数字の一を書いてみるとわかりやすいよ。手首を軸に、右利きの人の手は九時方向から十二時方向へ動かされる。左利きの人の手は十二時方向から三時方向。ね? これが筆跡の特徴の正体さ」。〝探偵〟が教えてくれたくだらない知識の一つだ。くそ。今こそやつの頭の中が知りたいのに、居場所がどうしてもつかめない。くそ!

コロシテヤルカラ。脳裏にまた女のその声が再生され、背筋が寒くなる。殺されてたまるものか、おれは生きてやる。ここは超高層階、オートロックも三重、ALSOK常駐の堅牢な城だ。強がりながらも、言いようのない予感がざわざわともたげてきて、おれを落ち着かせない。


クマヤンはあれからどうした。ロムヒは。ビーは、ウシケンは! 屁の役にも立たないどうしようもないやつらだ! 勢いで投げてしまったレッドブルの缶が、衝撃音とともにワインセラーのガラス扉に蜘蛛の巣みたいな亀裂と穴を作って、床に転がった。その口金からは泡が花火みたいに噴き出している。


それを見ていいことを思いついた。おれは酒を飲むことにした。


ワインセラーに新しくできた取り出し口から腕を差し入れ、銘柄も年代も選ばずに、最初に手に触れた一本を引っ張り出す。シャトー・シュヴァル・ブラン。安物だが構わない。この際味は関係ない。

栓を抜く。ボトルから直接、喉を鳴らしてそれを胃に流し込む。食道が熱くなってむせるが、それでも飲み続けるうち、次第にたがが外れていく。気持ちがどんどん大きくなり、不安や恐怖心が薄れていくのを実感する。そうだ、はじめからこうすればよかったのだ。いつだっておれはこうしてきたじゃないか。

血流が速まるにつれ一瞬じんわりと意識が遠のいたが、最後にはそのめまいを克服して、おれは三たび手紙を睨みつけた。やつの、〝探偵〟の思考を想像してやるのだ。また一口、ワインを口に含む。


おそらく仮におれが〈同じ内容の手紙を五人〉に出そうが出すまいが、始めから結末に影響などないのだ。この手紙はクマヤンとロムヒとビーとウシケン、そして誰よりこのおれを不幸にしたいがためだけに送られてきている。復讐なのだから当然だ。おれはやつが泣き寝入りしてくれることを望んでいたが、やはりそうはいかなかった。


不幸の手紙〝事件〟、なんてやつは呼んでいたな。中学の、あれは二年の春だったか、おれらの育った学区内の一部でいわゆる「不幸の手紙」といわれるような悪戯が流行った。どこのどいつが送ってきたのか知らないが、ある日俺のところにも一通届いた。不幸になる、なんて信じてなどいなかったが、面白半分でおれは五人に手紙を出すことにした。髪の色のことで何度も呼び出しやがった生徒指導の先コー。チクり魔の学級長。このおれをフッて他校の秀才ヤローなんかに鞍替えしやがった、D組の井口エミリ。あとは顔がなんとなくムカつく、名前すら思い出せないクラスメイト。

そして〝探偵〟ーー、やつに送ったのはほんの気まぐれからだ。それがこんなことになってしまうとは。


もとから調子に乗ったいけすかないやつだとは思っていた。クラスが同じだったというだけで特段の面識があるわけではなかったが、あのわざとらしい口調は横聞きしているだけでも癪に触るものがあった。へらへらし腐りやがって、おまえなんか不幸になっちまえ。当時のおれはその程度の気持ちで手紙を書いたにすぎなかった。

やつは筆跡から、送り主がおれであることを見破った。学年でも左利きは数えるほどしかいなかったから、すぐにわかったのだという。


「きみが不幸の手紙なんかを真にうけて怖がるなんて意外だね」


やつが面白がると、クラスメイトの何人かも隠れてくすくすと笑った。その瞬間、教室にあるすべての先の尖ったものが凶器に見えた。


急激に嘔吐感が込み上げ、トイレに駆け込む。吐き、えずく。ワインが出てきただけなのだが、それはどす黒い血だまりのようにも見てとれる。あの日、クマヤンとロムヒとビーとウシケンで〝探偵〟をフクロにした日、やつの鼻から口から出てきたものと似た色だ。

リンチはやつが不登校になるまで続いた。体毛をライターで炙ってやったり、背中や腹にステープラーの芯を刺してやるなどした。やつの高校生になる姉を輪姦し、そのときの写真をばら撒くと脅していたから最後まで告げ口はなかった。「ほら、やっぱり手紙の通り不幸になっちゃったね」。今度はこちらがそう面白がって笑う番だった。


今やいじめ啓発のチャリティー活動をしているおれが、そんな過去を持つというのだから大スキャンダルだ。ソファに戻ってスマホを眺める。例のコピー文がネットニュースになっていたので記事を見てみた。やはりあのスクリーンショットが添付されている。


〈「辛い」という字は紙一重で「幸い」に似ているから不思議です〉?

心にも思わないことを抜け抜けと。


〈あと一本の手を、一言の声を、あなたから〉?

偽善にもほどがある。おれは〝探偵〟の「幸い」から「一」を奪ったのだ。


しかし見れば見るほど平凡な字だな。はは、よく見るとこの「一」も右下がりになっている。左利きに特徴的な筆跡だ。と、そこまで考えておれの脳裏にはある一つの〝推理〟が思い浮かんだ。もう一度コピー文を見直してみる。そして少し確信を強めて、おれは高笑いを上げた。なるほどそうか、そういうことだったのか。


おれはボトルに余っていた残りのワインを一気に飲み干した。立ち上がると、視界は収縮と振動のペースをなお一層速めた。ベランダの方へと向かいかけてふと思い直し、ライターを手にして一度ソファのところへ戻った。


手紙は燃やしてしまおう。理由がないように見えた方が死はきっと美しい。


コロシテヤルカラ。


やつの姉の声がする。幻聴ではない、おれは思い出しているだけなのだ。



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