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流れの先にある光

流れを感じている。

自分でもはっきりと意識した流れが、
私の周りを流れている。

これは水の流れに似たものだ。

川などによどみがあって、
何かのはずみで石やごみなどが
動いたりすると、
競うように水が集まってきて、
新しい流れをつくり出す。

あえていうならば、そんな感じだろうか。

そんなに特別なことではないのだが、
たぶん、
ひとつのところにとどまらない
人間というのは、
何か新しい流れを作ってくれるかもしれない、
という期待感が集まり、
その熱気を感じ取っているだけ
なのかもしれない。

とにかく期待されているように思う。

以前ならば、それに応えていこうとする
自分がいたし、
そのエネルギーも十分だったような気がする。

しかし今は違う。
あきらかに自分のことだけを考えている。
自分がやりたいことを前提としながら、
行動をするようにしているだけだ。

たまたまそれが当っている、という
のが事実で、一山当てたいという欲は
まったくといっていいほどない。

では、なぜそんなふうになろうとしている
のかといえば、無理をすることが一番、
効率が悪い、ということがわかったからだ。

人生はいつ、どこで終わりを告げる
かもしれない。
いやなことばかりやっていては、
最後に後悔するだけだ。

単なる現実逃避ではないか、
と批判されるかもしれないが、
そのかわりに自分の好きなことでだけで、
食べていかなくてならない。
その苦しみにスタンスを変えただけの話だ。

今、私に押し寄せる周囲の熱気は、
その流れのひとつだと認識し、
そのなかでやれることをやればよい、
と考えている。

以前は、すべて自分の手で成し遂げたかった。
他人に任せるよりも、自分が判断して
挑戦したかった。

事実、できると思い込んでいた
ような気がする。

現在、午前3時40分。
どんな時間になろうが夢中になって
書いていられること、
それが今の私そのものなんだと思う。

その流れにしっかり乗っていけるだろうか。
途中でやっぱり投げ出して
しまわないだろうか。

不惑の40歳までにあと3年しかない。
若手のプランナーたちは急成長し、
いまや企画書を書くだけではプランナーとは
いえなくなってしまった。

かろうじて私が生き残れる場所、
それが書くことだと決めたのだ。
だからこの流れを止めてしまったら、
自分の存在価値は消え失せてしまう
ような気がする。

求め続けなければ、
やり続けなければならないのだ。

諸行無常の流れは確実に
ひとりひとりに訪れる。
同じことの繰り返しは、
人の世の流れに反するものだ。

迷い続けてきた日々を思い出しながら、
これからはものを書いて生きていきたい。
そしていつか他人のつくり出した
流れではなく、自分が周囲の人を
巻き込むような流れをつくり出したい。

大きな流れでなくてもいい。
続けられることの幸せを、
自分で噛みしめることができたら、
そんなに幸せなことはない。

今日もどこかで悲しい叫び声が聞こえる。
聞こえているのに身体は身動きできず、
苦しむ人たちをただ眺めているだけ
の自分がいる。

身体と心が分離して、
自分の存在そのものが崩壊し始めた。
助けて欲しいのは私のほうだ!
そう叫びながら涙を流して
自分の手を見つめると、
皮膚が透き通って地面が現われ、
そして大地が裂けていく。

そんな夢を見たような錯覚に襲われた。
ああ、なんてことだ。
ぽつりとつぶやいた言葉が、
やがて光り輝く花のようになって
彼方へ飛んでいった。

さあ、あの光はどこにいったのだろうか。

2002/05/31 Fri
#あの頃のジブン |04

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