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指導死はなぜなくならないのか

教員の指導を原因あるいは背景とした子どもの自殺、指導死


 指導死がなぜなくならないのかの話をする前に、そもそも指導死とは何かという話から始めた方がいいでしょうね。年に何度か、「指導死」をテーマとした講演をあちこちでするのですが、毎回「指導死という言葉を初めて聞きました」という反応が返ってきます。そのたびに「情報発信が全く足りていないのだな」と力不足を痛感します。
 と、ぼやいていても始まらないので、指導死の説明をします。私自身も指導死遺族です。
 指導死とは、教員の指導を原因とした、あるいは背景とした子どもの自殺を意味する造語です。2007年9月に私が考えました。そのいきさつについては、2013年5月に上梓した『指導死』(高文研)にも書いたことですが、改めて書いておきます。

指導を原因・背景とした子どもの自殺を指導死と名付けた理由


 当時、あるご遺族が裁判を進めていました。高校生のお子さんがテストでカンニングをしたと疑われ、5名の教師に2時間にわたって「事情聴取」(教員は、自分たちの行為をこう言っていました)をうけ、その日のうちに命を絶ってしまったのです。
 埼玉県を相手取って起こした訴訟には、関西や九州からも指導死遺族が傍聴に駆けつけました。時には傍聴のあと、私の家に集まって食事をすることもありました。その時に、原告である遺族が「子どもの自殺のことを、人に話して理解してもらうことがとても大変だ」と口にしました。
 「子どもが悪いことをしたから指導を受けたのに、なぜ学校や先生が悪いのか」
 「先生だって悪気があったわけではないのだから」
 「指導されたくらいで、なぜ自殺するのかわからない」
 そんなふうに反論され、なかなかわかってもらえないと言うのです。
 遺族は皆そうした体験しています。当時はすでに「いじめ自殺」という表現は定着していました。そんな風に呼び名があれば、少しは状況が変わるかもしれない。そう考えて、指導で子どもが命を落とすのだから、「指導死」と名付けることになりました。

報道の力を借りて次第に定着していった、指導死


 生徒指導と自殺、相反する言葉を結びつけたことで、当初はいろいろな方面からの反発がありました。そのため、余分な反発を生まないようにカギ括弧付きの「指導死」としていました。正確な記録は残していないのですが、2013年に「指導死」を上梓した数年後に、カギ括弧なしの指導死へと表記を変えています。「指導死」という表現も、そろそろ定着したと考えていいのではないかと考えたからです。
 大きなきっかけとなったのは、2012年11月17日に開催した「指導死」シンポジウムでした。これが、指導死遺族の任意団体である「指導死」親の会としての、初めてのシンポジウムです。東京都内で開催し遺族を含む7名が登壇しました。この告知記事や事後の報道がきっかけとなり、新聞や雑誌などのメディアが指導死問題を取りあげるようになりました。
 シンポジウム開催の翌月に、大阪桜宮高校バスケットボール部の部長が自死しました。年が明けた2013年1月からは、この事件の報道が過熱し、私自身も2月の半ば過ぎまでこの事件や指導死に関するコメントを求められるなど、報道対応に追われました。
 桜宮事案の民事裁判判決文には、「生徒が教員の指導を契機として自殺に至った事例であるいわゆる『指導死』は、平成24年(筆者注:2012年)当時、既に社会問題化し、社会的に一定の周知及び注意喚起がされていたというべきであり」と記載されています。全99ページの判決文(2016年2月24日)には指導死の語が20回登場しています。
 こうした経過をたどって、「指導死」の語は世の中に定着していきました。

to be continued.

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