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SDGsという第二の大転換(8)1970年代の転換

…より続く


高度成長モデルが行きついた課題と解決への模索

前回、1960年代から1970年代にかけて、大量生産=大量消費による各国の高度成長が急速にブレーキをかけられてきたことを記しました。戦後高度経済を支えるさまざまな要因のいくつか、例えば、インフラ整備の継続(戦時軍事体制を支えるために始まった)と、人口増大(出生率向上と抗生物質の進展による幼児死亡率の減少による)、そして安い資源エネルギー価格(植民地時代の特権を引き継ぐ)、これらの要因が次から次へと課題に直面したことによります。

個人消費市場の飽和とオイルショックに伴う原油価格の増大による資源・エネルギー価格の上昇という事態の前に、急速に力を失っていきます。次の表にある通り、70年代には「利潤率低下の危機」に直面します。

そこでどうするか?

新自由主義:民営化とグローバリゼーション

新自由主義です。新自由主義の行なったことはかいつまんで言えば、主に次の二つです。(1)民営化、と(2)グローバリゼーション、です。

今までの人口増大を背景に持つ先進国の大衆消費市場だけの成長では限界が生じている。そのために(1)公共部門を開放して、そこでも資本主義企業が利益を得られるようにすべきだ。資本の論理によって公共サービスを供給するようにすべきだ。(2)先進国だけでダメなら、グローバル市場を目指せ。今まで植民地のようだった場所に蔓延る共産主義を駆逐して、新たな市場として先進国の企業がどんどん投資をして利潤を得られるようにすべきだ。さらに安い労働力や低い環境規制なのだから、生産現場もどんどん移していって、利益率を上げてその上がりを投資元である先進国企業に還元すれば良い。

彼らが口頭で説明していたのは、国家の役割を縮小させて、資本家の絶えざる資本追求を解放させよ、つまり「自由」こそが政治だけでなく、経済市場でも絶対必要なのだ、ということだったのです。

そしてそのような政策が経済学的にも立証されていることを主張しました。彼らの古典はアダム・スミスやワルラスだったのです。そして仇が国家による介入を是とするケインズでした。

アダム・スミスやワルラスは新自由主義者の原点ではない

皮肉なのは、新自由主義者が自分たちの「自由市場主義」の原点として考えたアダム・スミスやワルラスという経済学者たちは、実はそのような意味での「自由市場主義」ではないのです。彼らが「何に対して」自由市場を主張したか、その文脈を見れば、そのような評価が間違っていることがわかります。

アダム・スミスはその著書の題名にもある通り「人々の富(Wealth of Nations)」に関心があったのです。

それ以前の重商主義は、一部の独占企業と出資者(国王・貴族や教会からの影の出資含め)だけが潤うもので、それをアダム・スミスは批判をして、一般市民多くが潤うだろう中小製造企業のネットワークを推し進めることを主張したのです。

つまり、アダム・スミスが行ったのは独占批判であり、国家サポートの東インド会社のような民間軍事会社批判であり、植民地帝国批判であり、代わりに擁護したのは、分業を進めることによって多くの労働者への雇用増大と給与拡大につなげることです。そのため、独占許諾権ではなく「見えざる手」による自然なサプライチェーンの広がりを主張したです。サプライチェーンが広がることで「ナショナリズム」も醸成されていったのです。

もちろん、アダム・スミスが見逃していたのは「見えざる手」はやがて市場での勝者をうみ、ふたたび独占・寡占市場に至ることです。でも彼の主要論点は「独占」「植民地」批判であったことが大事です。それが新自由主義の議論では落ちています。

そして、新自由主義の直接の創始者であるともいわれる経済学者ワルラスは実は社会主義者であって、彼の作った「自由市場モデル」は社会主義のモデルだったのです。この自由市場モデルは、ワルラスにとって土地をすべて公有にするという前提で成り立つモデルなのです。土地=自然は私有を許されるものではなく、その利益は社会全体に還元するのです。その条件が整えば、あとは自由市場がニーズと供給を調整してくれるはずで、その前提は、土地国有に基づく公共扶助の維持があること、だったのです。

新自由主義はこのように経済理論の歴史の上からも間違っています。ただ、本編で重要なのは、実際に何が起きたか、です。

新自由主義は資本の自由を主張したが、それを成立させるために国家の介入を必要とした

新自由主義は国家の力を必要とした。ここに新自由主義の矛盾があります。

国家の役割を縮小させて、資本家の絶えざる資本追求を解放させよ、つまり「自由」という主張でした。そのために、さまざまな規制を緩和したり、金融工学を増殖させていったりすることを主張するのですが、しかし、既存の先進国では啓蒙官僚やジャーナリズムや労働組合などが確立されていて、思ったような公共扶助・福祉制度の制御や、賃金上昇圧力への抵抗などをすることができませんでした。

そこでまずは先進国以外でと、チリなどをはじめとして南米を中心に、アメリカの軍事力を背景に、独裁的軍事政権を樹立させ、インフラ整備と称して債務提供して各国を縛り上げていったのです。その上で「新自由主義」という政策を実験的に行なっていきます。しかし、実際に行うと自由市場で放任主義では、市場での強者による寡占、独占に行き着きます。結局、債権を持っている先進国、そして独占企業への投資を行なっている先進国投資家、に利益が還元されるのです。

グローバル市場の成長は債権国であるアメリカなどに利益をもたらす結果になります。確かに、南米諸国などで産業化が進み、工業製品や食品などがアメリカ合衆国に販売されます。よってアメリカは貿易赤字に陥ります。ところが、南米諸国で貿易拡大をして利益が上がったとしても、債権者・出資者であるアメリカ合衆国に配当は還元されます。貿易赤字を補ってあまりある資本収益がもたらされるのです。

この成果をもとに、先進国でも新自由主義改革が始まります。先陣を切ったのが、イギリスのサッチャー首相。その後に、アメリカのレーガン大統領。それに引き続いて、英語圏の各国、そして日本に新自由主義的経済政策が導入されます。なお、彼ら政治家の大きな狙いは反対政党の支持基盤である労働組合つぶしでした。

さて、独占になると「イノベーションのジレンマ」で新しいイノベーションに投資する意欲が減るジレンマが生まれます(新事業の初期は独占企業が期待するような利益率を望めないからです)。

そこで、アメリカのインターネット企業などの新しいイノベーションが頼りにしたのが、これまた国家です。米国軍が開発したインターネットの世界で彼らは成長します。さらに安定市場を米国軍や宇宙開発が提供します。危険な先進技術ビジネスに打って出る時に、安定して購入してくれる米国軍やNASAの存在は何と有り難かったことでしょう。たとえ、そこから上がる利益はわずかだったとしても、そのセキュリティがあるからこそ、危険なリスクマネー、リスク市場に巨額の投資をしていくことができたのです。

こうして、グローバリゼーションとIT化という「ニューエコノミー」が始まったのです。再掲する利潤率の表に記す「新自由主義による回復」が始まります。

(続く)

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