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意識高い系はコロナ禍の下で再び勢力を拡大するか?

 旅館のごはんは美味しい。食べきれないぐらいありそうなのに、酒と共にすっと胃の中に収まる、そして最後の締めのごはんで途方もない満足感が来る。あれがいい。実にいい。湯上がりにゆっくりと酒を飲みながら、家族や友人と語らいながら美味しいごはんを食べる。苦しいお腹をさすって部屋に戻れば布団が敷いてあってごろんとする。最高じゃないか。私も自由に行動出来るようになったら、必ず行きたい。

 そんな旅館に関してネットで話題になっている"廃棄前提おじさん"のツイート。あれを見て思い出すことがあった。いわゆる「意識高い系」界隈の方達の発言だ。意識高い系は平成と共に消えたと私は思っていた。

 エコロジー、アニマルウエルフェア、グリーンテクノロジー、イノベーションとか横文字大好き。なにかにつけて「遅れている」「時代遅れ」と指摘するのが好き。昭和が嫌い。自分は常に最先端にいると力説し、そのために努力しているのをアピールする。常識を疑えとか常識を変えるとか宣う。そして常に上から目線。でも著名人にはへりくだる。ドヤ顔の写真。行動範囲の広さや、顔の広さがステータス。なんとも懐かしい。意識高い系が復活してきたか。

 該当旅館の名前は出していないとのことだが、そりゃそうだろう。旅館を陥れるのは目的なんかではないはずだ。炎上商法なんていうのも燃え上がってからのとってつけだろうと推測する。要は旅館に泊まっても廃棄食品のことや客層などを気にしているという「自分の意識が世間一般よりも高いんだぜ」とアピールするのが該当ツイートの目的ではないだろうか。だから旅館の名前を出す必要なんかそもそもないのだ。旅館に文句を言いたいのではなくて、自分が如何に凄いかをアピールしたいのだ。そういう意味では燃えに燃えて目的を達したと言える。

 私が学生の頃にも仲間内に意識高い系がいた。飲み会にそいつが来ると場がしらけたのを覚えている。勉強になると思うこともあったが、演説めいた夢物語を聞かされるのにウンザリだった。でもアレは意識高い系というよりは単なるビューティフルドリーマーだったのかもしれない。近年の意識高い系はつい数年前まで弊大学内にもゴロゴロいた。エレベーターや階段にポスターが貼ってあって「勉強会」やら「セミナー」やらが開かれる案内を良く見かけたものだ。だがここ数年は波が引くように減ったと思っていたのだが、このコロナ禍で再び台頭してきたのだろうか。きっと宗教と同じようなものなのだろう。なにか苦しいことがあれば救いのために宗教を求めるかのごとく、大学が辛い中で学生さん達が意識高い系に救いを求めるのかもしれない。

 でも、この手の意識高い系の人に群がる学生さん達を見ていると、結局は学生さんは意識高い系の人のステータスとしての養分になっているだけに見える。意識高い系は自分アピールが最優先なので、集まってくる学生さんの数も質も「自分すごいだろ」のための道具としか考えてないように見るのだ。言ってみれば昔からある「容姿・声・社交性・歌唱力などのありとあらゆるパラメーターを見ても良いところを見いだせない、アイドルになれる可能性が微塵もない、でもアイドルになるのを夢見る女の子を騙して金をむしり取る」システムと似たようなものかもしれない。

 なんとなく就職が苦しくなる度に意識高い系界隈が盛り上がっているような気もする。こういうコロナ禍の下で再び意識高い系が復活してきたとしても確かに不思議ではない。でもコロナ禍の下では「勉強会」やら「セミナー」とやらの活動は全てオンラインだろう。そうなるといわゆるサロン界隈が好きなネット上での意識高い系の人達だけでなくて、ド田舎ド底辺大学の普通の大学生も吸い込まれていくのかも知れない。地方大学が草刈り場になるかもしれない。

 もちろん本当にアイドルを育てようとしている事務所だって存在するように、その手の界隈にも本気で育てようというのもあるのだと思う。でもネットは「目立ってなんぼ」の世界なので、なかなかそういうのを引き当てるのは苦労しそうだなあとも思う。目の届く範囲の学生さん達が養分として吸われないといいな、と思うばかりである。

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