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汚くて偉いニンゲン達があぶり出されているのを見て

 20世紀少年(浦沢直樹)という超絶に面白かった漫画がある。1970年の大阪万博が出てくる。日本の高度経済成長期。輝いていた時代。Wikipediaを確認したところ主人公のケンジは1959年生まれだ。幼少期を高度経済成長期の大阪で過ごす。大阪万博の6年前には東京オリンピックもあった。夢と希望に溢れた時代。そんな時代を描くシーンが凄く好きだった。それは私が当時を知らないからだ。東京オリンピックも、大阪万博も、テレビや書物の中の出来事だ。残念ながら、その時代の空気を知らない。三波春夫の歌も歴史上の出来事でしかない。でも、きっと本当に夢や希望に溢れていたのだろう。20世紀少年の中でもその空気が伝わってくる。

 そういえば、母は昔に何度も「東洋の魔女」の話を楽しそうにしていたのを思い出す。母はスポーツには全く興味がなく、私が運動系の部活に入るのすらも反対した人だった。スポーツなんてくだらない、その時間があれば勉強しなさい、だった。それなのに、テレビでバレーボールが映る度に「東洋の魔女」のことを自分の自慢話のように話していた。歴史の証人みたいな感じで語っていた。それぐらいインパクトのあった思い出だったのだろう。


 2020年東京オリンピックは、そんな高度経済成長期に小学生や中学生で、夢と希望に満ちあふれた子供時代を送ったであろう方達が作り出したはずだ。立候補を決定し、賄賂を渡して開催権を奪い取り、SDGs糞食らえという勢いで食べ物を廃棄し、コンパクト五輪を謳ったのに倍以上の金を使い、スポンサーと癒着して汚職にまみれた五輪を開いた「悪くて偉いニンゲン」は、かつての夢と希望に溢れたオリンピックを体験している世代だ。

 社会的にも地位を得て偉くなった頃に「あの思い出をもう一度」「あの熱狂を子供達にも経験して欲しい」というキレイで実直な思いの方達だってたくさんいたはずだ。クソみたいな一部の悪くて偉いニンゲンがキレイで実直な方達の思いを笑顔で踏みつぶして「金儲け」を企んだのだ。これは、かつての夢と希望に溢れたオリンピックを知らない世代にとっては致命的だろう。もう誰も日本でオリンピックをやろうなんて言わないんじゃないか。

 今まさに、夢と希望に溢れたオリンピックを知らずに、金まみれのオリンピックしか知らない世代が大量に生み出された。かつてのオリンピックを知っている世代の思い出も汚された。やがて「キレイで夢と希望に満ちあふれたオリンピック」を知っている世代は寿命を迎えていなくなる。金まみれのオリンピックしか知らない世代が出世して偉くなって日本の舵取りをしたとしても「あの思い出をもう一度」とはならないんじゃないか?

 もちろん、悪いやつはいなくならない。オリンピックで金儲けをしようと企む人達は今後も出てくるだろう。そういう人達は繰り返し企画をするだろう。でも、そういう悪いニンゲン達だけではオリンピックなんて開催できない。実直で素直な思いの人達を欺いて、善意を食いつぶしながらじゃないと開催出来ない。残念ながら、我々の世代からしばらくは、実直で素直な思いの人達は協力しないだろう。この記憶が薄れてなくなるまで、金まみれのオリンピックを知っている世代が途絶えるまで、オリンピックを日本で開催するのは無理だと思う。

 個人的には2021年のオリンピックは楽しかった。ピクトグラムに感動したし、何よりコロナ禍で娯楽のない中で、オリンピックを家族でみんなで揃って見ることで、楽しい時間が過ごせた。そのことに感謝している。でも、それを届けたのは、現場で汗水流して働いていた善意の人達だ。感動を作り出したのはアスリートの方達だ。その人達の努力や善意を笑顔で踏みつぶして、金儲けに帆走していた汚くて偉いニンゲンがいる。キレイな部分だけを映し、キタナイ部分は隠すように演出する。そういう事実が出てくると、やっぱり溜息しか出てこない。


 そんなこんなで、札幌オリンピックの招致計画がある。2030年らしい。たった8年後だ。汚職が明らかになってきたばかりなのに、もう次をやろうとしている。

 やめた方がいいと思う。札幌に住んでいない者がとやかくいうことじゃないとは思う。でも、きっと、良くないことだらけになる。汚いニンゲンが沢山湧いてくる未来しか想像出来ない。楽しい未来が思い描けないのだ。もっと純粋に、キレイな思い出になるようなオリンピックを開催してくれる国は沢山あるんじゃないか。

 僕は経済のことはよく分からない。でも、こんだけ貧乏になった国で、やたらと巨大なイベントを企画しても、イベントを開催して利益をむさぼる沢山の悪いニンゲンが次から次へと湧いてくるとしか思えないのだ。今回、ほんのちょっとだけ、そういう悪いニンゲンをあぶり出すことが出来ても「私は死にました」と10回唱えて戻ってくるかもしれない。現実の世界には、ケンジもオッチョもカンナもいない。正義のヒーローは現れない。

 そういえば、2025年には大阪万博がある。これも月の石をみて感動した世代が作り出しているのだろうか。願わくば、大阪万博はかつての思い出を、新しい素晴らしい感動で二重塗りにして欲しい。偉くて汚いニンゲンが暗躍してないことを心から願う。

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