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分断された世界における「距離感」の難しさ

 私が借りている家の周りには、3匹の野良猫が住み着いている。耳に切れ込みがあるので、恐らくどこかの家が面倒を見ているのだろう。面白いのは、3匹それぞれで接近させてくれる距離が異なることである。個体ごとの限界距離を超えて近づくと、すぐに猛ダッシュでどこかにいってしまう。でも各猫ごとに距離感を意識して近づけば眺めていられる。猫とのコミュニケーションには距離感が大事なのだろう。その適度な距離感を保ったままのコミュニケーションを繰り返すうちに、そのうちの1匹は近づいてくるようになり、目の前で腹を見せたりするようになった。

 猫とはうまく距離感を保てているのだが、このところはヒトとの距離感が難しいな、と感じる場面が多くなった。例えば、年賀状を書いていて、届いた年賀状を見ていて、SNSを見ていて、新型コロナによって分断化された世界の中で距離感が難しいと実感する。私は仕事の都合や職場の要請もあって、このド田舎からほぼ出ないで1年を過ごした。居酒屋のテイクアウトは続けているが、もう店では本当に長いこと飲んでいない。一方で、そんなものはクソ食らえ、自粛しているやつはバカじゃねーのか?と高らかに宣うお誘いが届いたり、同級生のSNSなどを見かけたりして、日常が分断されたことを実感する。それぞれのどちらが正しいとか、どちらかを批判したいとかではない。分断したい側もいるかもしれないが、縛られている条件の中で否応なく分断される側もあるのだ。仕方ない。ただ、そういう分断された世界の中では、相手がどちら側にいるのかをなんとなく推し量る必要があるので、距離感が難しいなぁと思う。猫様とは時間をかけて距離感を計れるが、対人関係では時には一瞬で判断しなければいけない。

 例えば、同じ大学内ですら、長く続く状況にすっかり慣れてしまった方達と、事情があって組織で警戒を続けなければいけない立場の間でも分断は生じる。いつでも自宅療養なりホテル療養に入れる方もいれば、自分や自分の周りが濃厚接触者になるだけで大惨事が生じる立場もあるのだ。組織のおかれた環境が、否応なく分断する。

 逼迫した状況下でも、普通に県境をまたいで営業に来る業者さんもいる。明日伺いますのでーみたいな軽いノリで電話がきて唖然とした。いや、手続きが・・・というか入れませんよ?とお答えすると驚かれる。その一方で、きちんとHPをみて、事前に連絡をしてきて、訪問が可能かどうか、そして必要な手続きがありますか?と聞いてくる場合もある。有り難い。しかし困ったことに、長年の付き合いがあるのが前者の方で、新規の売り込みに来る方が後者の方だったりする。世の中は難しい。

 こんな世の中だからと憂うしかないが、こういう状況はディスコミュニケーションを生みやすいのではないかと危惧している。ディスコミュニケーションを生んではいけないという意識はあっても、心のどこかで無意識的に、面倒事は嫌だなという心理的なブレーキがかかって、本来であればとれたであろうコミュニケーションを取らないようになっていないだろうか。どちら側なのか?ということを認識してしまった場合、その方の色々な情報をマスクしてしまっていないだろうか?なんだか、大事なものをどこかで忘れている気がするのだ。

 その一方で、ネットやSNSで渦巻く陰謀論みたいなのを披露されると流石に辟易する自分がいるのも事実だ。相手が分断された向こうの方でも、なんとなーく仕事上の関係性を壊さないように対応していると、同じ側にいると勘違いされてしまって陰謀論を悦に語り始めちゃったりする。あーこれは駄目だ、面倒だと思ってしまう。頭では、その方が駄目なんじゃなくて、陰謀論が駄目なことは分かっているのに、人間の情報が陰謀論でマスクされてしまう。平時なら起こらなかったことが生じる。

 SNSが発達して驚いたことの一つは「陰謀論」を信じてしまう人達がこんなにいるのか?ということだ。私はあーいうのはウソであると分かった上で愛でるものだと思っていた。それを本気で心の底から信じる人達がいることに驚愕している。そもそも陰謀論とSNSの相性は最悪だ。エコーチャンバーという状況に加えて、物事の信憑性や科学性よりも「リツイート数」とか「いいね!」の数の価値観が上回った世界では、情報リテラシーとかいう古い概念では戦えない。価値観そのものが違う世界の方々に、こちら側の世界の価値観で話しかけても通じないのだ。

 そういう意味では(やや穿った見方ではあるし、上から目線の見方になるけれども)陰謀論に騙された方達は現在進行形で被害者なのだと思っている。だから陰謀論を語られても、その方をそういう目でみてはいけない、と頭の中では分かっている。でも、心の中で思っていても、やはり拒絶感を出してしまう自分がいる。距離感が難しい。本当に難しい。分断化された世界で、ついこの間まで多様性を重視していた人が、選択肢を認めない陰謀論を語る。野良猫さんと見つめあいながら、どうしたものか、と聞いてみたが素知らぬ振りをされた。猫は距離感が絶妙に上手いと思う。羨ましい。

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