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吐き出され続ける無様なコメントは、何を生み出すのだろう?

 もう腹がたつというのを通り越して、見ていて情けなくなる。修論に全く目を通していない癖に、いっちょ前に要旨の部分だけ何かコメントをして体裁を保とうとするから、見当違いのコメントを言い出す。中身を見ていないからだ。流石に学生も「何を言ってるんだろう?この人は?」という顔になる。

 一方で要旨は何も分からない人達も手にするので、PIなのに良い「参考意見」にはなる。だが、PIのコメントじゃないよな、と横で見ていて思う。あまりに酷い。学生からしても、送っても「読んで貰えていない」ことに流石に気づく。無様だなぁ。見ていて恥ずかしい。こんな晩年を送りたくはないと見ていて心から思う。

 PIとしては終わってる、それを自覚してくれればいいのだが、そうはならないところが情けない。何かと「俺は○○学会の仕事があって忙しい」と大業に振る舞う。自分では偉そうにしているつもりだろうが、言い訳をしているようにしか見えない。自分の興味のないことは「任せたので宜しく」と言うくせに、自分の地位を確認したいのかちょいちょいと横から口を挟む。研究者としても、PIとしても終わってる。

 弁解するわけではないが、エラい人達からすれば頼りになる人のはずだ。学内での政治的な振る舞いはべらぼうに上手いし、学会での振る舞いもべらぼうにうまい。自分の地位をあげそうなところには、手を抜かずに突っ込んでいく。本来やるべきことは放り出してだ。このままいけば学会のトップになるだろう。お手本になんてしたくもないが。

 しかしなぁ、まともに研究できないし、論文も書けない人物をありがたがっている○○学会もろくなもんじゃないな。私は距離をおいて付き合おう。どうせ学会から見たら優秀なPIの下にいるので、碌でもない人間だと思われているだろう。それぐらいがちょうどよさそうだ。しかし、ボスの定年まではあとX年ある。それまでの付き合い方を考えなくちゃな・・・と本気で思う。もともと頭のいい人だった。自分がズレて言っていることに気づいて欲しいが、今の言動から判断するに、もう無理なんだろう。

 先日に丸投げされた論文は「自分がコレスポしますので」とだけ宣言した。なんか狼狽えていたが無視して踵を返した。論文の内容を読みもしない人間がコレスポになるのは、そもそも間違っている。自分がハンドリングしている論文はもうPIをコレスポにはしないし、そのうち論文を投稿前に読まないなら著者からも外そうと思っている。

 論文も読まなくなり、学会や大学のエラい人達とのやり取りばかりで殿上人にでもなったつもりになり、先生と呼ばれ続けて自尊心だけ肥大化している。でも研究も講義もまともに出来ない。最新の情報や知見にアップデート出来ないからだ。昔の知識で、自分よりも立場の低い人間にはいっちょ前に(ずれた)コメントをして満足する。自己評価も突き抜けたのか「これは俺レベルがやる仕事じゃない」と大業に振る舞うが、本来はPIの仕事のはずのものを、自分が出来ない理由を「立場」にすり替えて、どんどん下に投げる。下が仕事を仕上げても、ろくに中身も読まずに、エラそうにコメントだけして体裁を保とうとするから、見当違いな無様なコメントをする。終わってる。


 見ていて思うのはーーーいずれ自分もそうなるかもしれないーーーという恐怖感だ。自分がなりたくない姿を見せられている、そうヒシヒシと感じる。自分の引退時期を今のPIの年齢よりも早くしようと改めて思う。あーなる前に引退したい、と確認する作業だ。PIの今の年齢になるまではXX年もあるが、もしかしたら老化や駄目人間化が早いかも知れない。無様なコメントをし出す前に、湖畔に中古の家でも買って引きこもりたい。


 無様なコメントで思い出した。先日のこと、珍しく自分の分野にドストライクの件がニュースになっていたのだが、そのコメント欄が地獄の様相だった。

 ・「○○○に関わっている者です」から始まるが明らかに見当違いのコメント
 ・私が大学院生時代の頃ぐらいの情報を、業界にいる者としての最新はこうです、としてコメント
 ・10年ぐらい前の情報をもとに、ニュースを断罪するコメント
 ・頭がお花畑系の人達からの見当違いな批判のコメント
 ・世の中をより良くするために10年以上前に禁止したことを、「○○を使えばいいじゃん、馬鹿じゃないの」となんで禁止したかもググることも出来ないコメント
 ・ボクの考える最強の○○(もちろん、大昔に否定されているやつ)を披露するコメント
 ・一番手をだしてはいけない危険な○○を堂々と「○○すればいい」とコメントする。

 30分ほど、まともなコメントはないものかとウロウロしたが、ひとつもまともなコメントはなかった。つまり、ヤフコメのコメントは全て意味がなかった。膨大なコメント数だったので、見つからないだけかも知れないが。

 結局のところ、あのような場所でコメントをしているのは、自尊心が肥大化しているか、承認欲求の塊か、何者にもなれなかった自分を満たすためか、暇で暇で仕方なくてコメントして遊んでいる、という類いなんだろう。意味のあるコメントなんて存在しない。特にニッチな分野だと、そもそも理解できないのに、でも「単なる馬鹿なコメント」と見抜かれづらいからやりやすいんだろう(そういえば記事はまともだったな、不思議なことに)。ちょっと調べりゃ分かることすら調べずに、薄っぺらい知識でコメントを書き込む。もしくは脊髄反射でコメントを書き込んでいるのだろう。

 とても勉強になった。あらためてヤフコメ欄は、特に科学系のニュースのヤフコメ欄は「無様なコメントが並ぶ場所」だということが分かった。

 流石にPI様のコメントは、ヤフコメ欄と比較するのは失礼だ。それからすれば、まだずっとまともだ。


 そういえば昔から(その場にいない)人の悪口を酒の肴にする悪癖があった。そのあたりは昔から大嫌いだったので適当に流していた。もうそういうのを聞くのも反吐がでるので、最近は飲みに誘われても(研究室とか職場組織での飲み会以外は)同行しない。先日は同じ場所に出張しなければならなかったが飲みには行かなかった。付き合いが悪くなったと、きっと私の悪口をいっているだろう。それでいい。今のPIなら悪口を言われるぐらいの間柄がちょうどいいと思う。

 もともとは良い人だった。立場がエラくなって、えらい人達としか付き合わなくなって、おかしくなってしまった。悪い部分だけが成長したんだろう。思い起こせば、ワインをエラそうに語るようになった頃から、何かがズレ始めていたかも知れない。そういえば、高級料理の自慢話も増えた。空港のラウンジに入れることを自慢していた頃なんてまだ可愛かったんだな。コロナがあけて、そういった付き合いが一気に復活して、コロナ禍では満たされなかった自尊心が一気に満たされて、おかしくなってしまったんだろう。この1年で症状が深刻な方向に進んでいる。昼食時も鼻につく自慢話ばかりする。絵に描いたようなダメ貴族だ。

 人の振りみて、我が振り直せだ。謙虚に生きよう。謙虚さを失ったら、人として終わりだな。今のPIを良くみて、覚えておかねば。本当に気をつけよう。謙虚に生きて、自慢話をするよりも、たくさん人の話を聞ける人間になろうと思う。闘わない奴等が笑っても気にしなければいい。身をよじって闘い続けようと思う。

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