見出し画像

幻のニンジンを追いかけ続け、踊り続けるしかない

 科博のクラウドファンディングを機に始まった、ここ数日のツイッタランド、もといエックスランドの「文部科学省の偉い人 vs アカデミア」のやり取りを見ていた。見ていて思うのは、この溝を埋め合わせするのは無理なんじゃないかなという絶望感だ。それに時期が悪い。今はみんな科研の書類作成で、ストレスが貯まっている時期だ。そんなときに・・・とも思う。

 自分は大学では下働きの下っ端だ。そんな立場から、「文部科学省の偉い人 vs アカデミア」をみていると、どちらの言い分も分かる。でも現場のたまり貯まった不平不満は、あのやり取りでは煽るだけで、研究者を(というよりは大学そのものか大学の執行部を)馬鹿にしているように見える。それに大学の偉い人達の疲弊っぷりや、大学の中での予算の使われ方、というのを見ているとなんだかなぁと思うのだ。

 文部科学省の偉い方の言い分は、運営交付金は減っていても「多様な予算の分配」によって全体の予算総額はむしろ上がっているし、(多様な予算を目的をもって投入しているので、金額は減ったとしても残った)運営交付金の使途の自由度は上がっている。末端が困っているのは、各大学における予算の配分や使途の問題である、というのが論旨だろう。

 数字だけ見ていれば確かにそうなんだろう。しかも説明に使うのは、国立大学が一括りにされたまとまった数字だ。回答の中で「選択と集中」には一切ふれない。多様な予算を「選択と集中」させた先に獲得させるために、「○○(数)の多くのご提案をいただき」の一つになるために、対抗馬をやらされるために、費やされる時間の対価はどう考えているのだろうか?競争的資金を獲得するために土俵に上がり続けなければいけない「その他の大学」の努力は?その費用対効果はどう考えているのだろう?なくなってもいい大学には気にもとめないということか。

 「みなさん、こんな素晴らしい予算を用意しました。みなさまご応募頂けたら嬉しく思います(もちろんみなさん手を挙げますよね?)」という文部科学省の号令に、地方の小さな大学はそれが幻のニンジンだと分かっていても追い続けなければいけない。また、段階的に募集するやつも最初から手を挙げないといけない。二次募集が始まった場合に手を挙げられなくなる。最初はあそこが持っていくよね、と誰もが分かっちゃ居るが、最初から手を挙げなければいけない。そして文部科学省の顔色を伺いつつ、申請内容を修正していかなければならない。

 全てが出来レースとまでは言わない。実際、ガチ(もしくは部分的にガチが残されている)なのは本当だろう。小さな大学でも採択されることもある。だからこそ、とりあえず応募出来るものは可能な限り応募する。でもガチでやったら大きいところが強い。特に大きな目玉予算はほとんどデカい大学がとっていく。結果として地方は予算獲得のための書類作成に疲弊していく。

 さらに地方で起きているのは、新しい組織を作ったりすると「ウケが良い」ので、そのような提案ばかりを作る。古い建物を更新するよりも、新規の組織を作って、そのための建物を建てます,という方が受けが良いのだ。予算が配分されたら、新規組織を作ったり、新たな建物を作る。でも補助金 or 競争的資金が終わった後は、その組織の人件費も、新しい建物の維持費も、そして、もちろん元からある建物の維持費もない。

 つまりは「組織を立ち上げる支援はするが、その後は自己財源」で賄わなければならない。新しい組織のために雇った人間を、金の切れ目が縁の切れ目みたいにキレイさっぱり出来るわけがない。それに、そんなことをしたら今後の予算配分が減らされるかもしれない。文部科学省からみれば新しい組織を作りたいって大学側が要望したからせっかく予算を配分したということになる。それを終わらせたら「不義理」になるわけだ。顔色を伺った結果の産物なのに「望んだのは大学側でしょう?」となる。せっかくの予算で作った組織を壊すの?と。いつも悪いのは大学だというのは文部科学省のセオリーなんだろう。自分たちは、みなさまのご要望に応じて予算を(がんばって)用意したという立場を絶対に崩さない。

 じゃぁ、どうするか?文部科学省が喜ぶようなウケのよい組織を作るために、既存の組織から人をもってきて新規組織を作ることが前提になる。かといって古い組織も潰せない。既存教員は併任になる。併任教員だけで作る完全なバーチャル組織だと「ウケが悪い」ので、ちゃんと新しい人も雇う。予算の切れ目頃に既存組織で退官する教員のポストを宛がう。そうなると高給取りの教授1名で、若手2名が雇えたりするので、若手教員が増える(これもウケがいい)。そうやって見た目は華やかになるように新組織の人を稼ぐ。だが実際には(既存組織からは)人が減る。 退官した教員の講義を既存の教員で回すことになる。併任になる教員はクソ忙しくなる。既存組織の現場では人手が足りなくなる。でも見た目上は若手教員のポストが増えたことになって、お役人は自分たちの予算組みの成果だとアピールする。

 そして維持費はどうにもこうにも捻出されない。これは文部科学省の偉い人が言うには「運営交付金の使途の自由度が上がっているので、それですればいい」「学長の裁量でやればいい」ってことなんだと思う。あくまでも「各大学の工夫で」ということになる。常に文部科学省は正しい。その後が成り立たないのはプランニングが悪いと。悪いのはすべてが大学の中のことらしい。大学には金がない。だって運営交付金は減らされているのだから。昨今の電気代事情で懐はめちゃくちゃに寒い。ほんの何割かを補填できる補正予算を組んで、それで支援しましたよアピールが凄い。実際は全然、足りていない。

 地方の大学には「競争的予算で建てて頂きました文部科学省肝いりのピッカピカの新らしい建物(大体、流行の課題をアピールしている組織名か、何をやっているのか分かりづらい組織名がついている)」と「ボロボロの建物(何をやっているか直ぐに分かる伝統的な名前がついている」がモザイクのようにならんでいく。ピッカピカの建物の横で、老朽化した外階段を更新するお金もなくて「使用禁止」と貼られたような建物が併存する。その辺りは「各大学の工夫」でなんとかしろだ。じゃぁ工夫しようということで新規の建物を建てるために獲得した予算の一部で、古い既存の建物の一部を修理しようとすると「それは出来ない」と突き放される。接続しているのでとか、一時的な引っ越しの場所にとか、色々言い訳をたてても通らない。「各大学の工夫」とはなんなのか?

 そして建物が出来上がれば文部科学省ご一行様が「視察」と称して、ピカピカの建物を見に来る。もともとある組織も建物も気にも止めない。自分たちが財務省と交渉して引っ張ってきた予算の成果を確認する。そして国民ではなくて、官僚仲間に、出世レースのライバルに、自分の成果をアピールする。

 組織再編、組織改編、新組織の編成、似たようなことを何度も繰り返して疲弊していく。建物が増えて、昨今の電気代の煽りをまともにくらう。そりゃ、確かにお役人様の言うように「多様な予算」の補充で運営交付金の減額以上の予算を配当している、と数字の上ではそうだろう。特に大きな大学では「選択と集中」によって潤沢な予算が配分されているはずだ。でも、地方の大学は「選択と集中」のガチ枠を狙いにいくうえに、地方でも獲得できるようなもの全てに手を挙げるかをしなければならず、それに疲弊している。ずっと「幻のニンジン」を追い続けさせられて、走り続けさせられて、踊らされている。その時間的損失はどう思っているのだろう?

 でも官僚の方々にとっては、「予算を立ち上げました。これによってXXXXを支援いたしました」という美談に仕立て上げられていく。エックスランドに降臨した方曰く「効果的に」予算を配分だ。文部科学省の考える「効果」とはなんだろう?その「効果」とやらは現場の人間から研究時間を奪ってボロ雑巾のように書類作成に使って得られる「効果」で良いのだろうか?

 執行部に関わったことのない、私のような末端の教員には良く分かってないことも多いのだろう。それでも、ン十年の研究歴からすると、法人化以降に研究環境がどんどん悪くなっているのは間違いない。お金はどんどん減らされて、書類書きの仕事はどんどん増えている。結果として研究者の研究するための時間はどんどん減っている。これは肌感覚だけじゃなくて、エックスランドの叫び声のように事実だろう。そのことは全てなかったことにして「多様な予算」による「効果」をアピールする文部科学省には溜息しか出てこない。

 やり取りを見ていて、自分たちは正しい予算配分をしているという絶対的な自信に溢れている。現場の悲鳴など、全く気にもとめない。いくら下っ端が騒ごうが「こんなにたくさんの予算を用意しているのです」アピールに絡め取られる。この姿勢は絶対に変えない。詰まるところ、我々は踊り続けるしかないのだ。

 突然に羊男の言葉を思い出す。

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。」

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

 結論としては「踊るしかない」のだろう、音楽の続く限り。あのやり取りをみた結論だ。聞く耳を見せている振りだけで、自分たちの掌で踊らせ続けるつもりなのだ。大学は踊り続けるしかない。それ以外に選択肢などない。結局のところ大学として踊り続けるために私のような下っ端に出来ることは、科研費の書類作成を頑張って、間接経費を大学にいれることぐらいだろう。末端の端くれとして、頑張って科研費をとってこようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?