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ハイブリッドな世界で生きるということ

 夏が終わった。本当にあっという間に終わった。今さら何を言っているんだ?と思われるかもしれないけれども、8月からずーっと一心不乱に働き続けて、働き続けて、働き続けて、気づいたら冬になっていた。この間、オンライン学会で発表したり、研究室で大問題が勃発したり、PCがぶっ壊れたり、肩書きが増えて会議(置物)が増えたりした。自ら実験する時間もなく、家族とどこかに出かけるなんてこともなく、市内から出ることもなく、すごい勢いで時間が流れた。

 と、久しぶりのnoteを開いて、そんな愚痴を書こうと思ったのではない。今日はハイブリッドについて書きたいのだ。世の中、どうにもこうにもハイブリッドが大好きだ。今やどこもかしこもハイブリッドが求められている。

 ハイブリッド:Oxford Dictionariesの説明でまず挙げられているのは「種や品種が異なる植物や動物から生まれた子孫。例えばラバのようなものである。そして2番目に挙げられている意味が「ふたつの要素を組み合わせて作られたひとつのもの」とある。広辞苑でも同様の説明で、1番目に「雑種」、2番目に「異種のものを組み合わせたもの」としている。
Wikipedia ハイブリッドより

ハイブリッドな講義
 
講義は今やハイブリッドを求められるようになった。つまり教務曰く「基本は対面講義に戻します、でも発熱等で来られなかったり、不安を感じて通学できない学生がいるのでオンラインも用意して下さい」と。両方に対応しているからハイブリッドらしい。うむ。ごもっともである。仕方ない。用意しようではないか。というわけで、情報収集をした。すると、どうだ。対面講義+リアルタイムオンライン(講義の中継をする)だと、どうも教室はがらんとするらしい。あんなに大学に通いたいとマスコミでは報道されていたのに、ハイブリッドにすると、ちっとも来ないらしいのだ。

 というわけで、後期が始まる前に研究室の学生に「講義が原則として対面に戻るけどどうなん?」と、ぶっちゃけで聞いてみる。いわく、大学に来たいのはサークル活動や友達と話したいからであって講義はオンラインの方が楽ちん、と宣うのだ。うーん、そうですか。分かるなぁ。おやつ食べたり、ジュース飲んだり、寝そべりながらでも受けられるオンライン講義はいいよね。とても理解できる。でも、そうなると「発熱等で来られなかったり、不安を感じて通学できない学生」のためのオンライン講義ではない。ハイブリッドは誰のためなのか、ということが根底から崩れてしまう。

 そこで私は教務の方達の意に反して、中継はしないことにした。私は「対面+録画配信」で講義をしている。講義中にZOOMを立ち上げるが録画するだけ。当日に録画した講義を「発熱等で来られなかったり、不安を感じて通学できない学生に対して講義後に配信するという形にした。事前申告のみとしている。講義開始時間までに連絡があった方々のみに録画を配信します、という形をとっている。

 結果として、講義の出席率は9割くらいなので、コロナ前の日常に戻ったかなという印象である。もしコロナが再び蔓延してきて「不安を感じて通学できない学生」が増え始めたら中継もやるつもりだ(対面+中継+録画)。今の形式ならZOOMアドレスを配信すればいいだけなので、いつでも切り替えられる。

 ただ、個人的にはちょっと困っていることがある。私はキャンパスを移動して講義をすることも多いのだが、ZOOMで録画をする場合、ZOOMを閉じると同時に録画映像の変換が始まる。90分の講義を変換するのに、私のくっそ古い講義用のPC(2015年製、私費購入)だと変換にものすごく時間がかかってしまうのだ。なんとなくだが、この「変換を中止」ボタンを押す勇気がない。

 いや、頭では分かっている、後で、研究室に戻ってから変換すればいいのだ。でも、この講義方式だと録画ファイルを配信できないと詰むので、どうにも「変換を中止」ボタンを押せない自分がいる。でも教室は次の先生に明け渡さなくちゃいけないので、ノートPCを開いたまま教務に鍵やらマイクやらを返しにいっている。これを機に、新しいマックでも買うかなと思って値段を見に行ったら、我が家の家計ではとても買えそうにないので、暫くは今のまま頑張るしかなさそうである。

ハイブリッドな学会
 次なるハイブリッドは学会である。ハイブリッドを求めるのは学生だけではない。大学の講義でハイブリッド形式にぶーたれている先生達もハイブリッドを求めている、という面白い構図が起きている。

 去年、学会は中止かオンラインだった。そして今年は対面でやるぞ、と息巻いていた学会も次々と陥落していき、結局はオンライン形式が殆どだった。つまり、そこら中の学会が2年ほど対面開催をしていないことになる。そうなると、来年こそは対面形式の学会を開催しよう、と意気込むのが流れだろうと思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。今年の大会でアンケートを採ったら「ハイブリッド開催が良い」が多数を占めたそうである。うーむ。毎年参加している某学会のアンケート結果を見せて貰ったが、年齢を問わず(つまり、学生も教員も)ハイブリッド開催を望んでいる。

 確かにだ。貧乏研究者にとって大会参加のための旅費は頭痛の種だ。特にド田舎にある大学としては、どこにいくにも金がかかる。学生を連れて行こうと思えば、もっと金がかかる。しかし実験のための試薬がどんどん値上がりする中、基盤(C)ぐらいじゃ学生の旅費なんて出せなくなってきている。自分の旅費だって宿泊費を減額したりと色々してきたが、このところの試薬類の値上げは相当なもので、来年度以降は学会参加は自腹かもしれない。そういう意味でハイブリッドは確かに助かる。参加費だけ自腹で払えば参加できる。これは有り難いと思う。

 また会場問題も解決しやすい。コロナ禍が来年どうなるか分からない中、「収容定員の50%」等の自治体ルールに従わなければならない状況で開催してくれる場所を探すのは、とてもとても難しい。ハイブリッドならば対面での参加人数を減らせるので、小規模な会場にしてしまって現地参加に関しては定員(例えば早い者勝ち?)を作ってしまえばいい。巨大なポスター会場もいらなくなる。ポスターは人だかりで見るよりもオンラインに限る。圧倒的に見やすい。質疑応答はZOOMを繋げばいい。そういう意味で会場探しは楽になる。

 問題は金と労力だ。対面開催もやって、オンラインも用意して、となると金も労力もそれなりに必要になる。ノウハウも足りない。参加するだけならハイブリッドは良い。でも実行する側からすると、まだまだ大変だ。私がたまに参加している学会は、早々に来年度のハイブリッド開催を決断した。その結果として参加費は凄く高くなった。ツイッタランドで「たけーよ、ふざけるな」という声を拾ったが、参加する側だけの視点だろう。開催する側としては赤字に転落しないかどうか、かなり心配なことだろう。心中察するに余りある。学会の規模が大きくなればなるほど、決断を早めなければいけない。これは本当に難しい問題だと思う。そういう意味で、早々にハイブリッド開催を決断した学会は凄いなと思う。

ハイブリッドな世界
 上記2つは大学界隈のハイブリッドの僅かな例でしかない。この1年で大学界隈では他にもたくさん新たなハイブリッドが生まれた。オープンキャンパスもハイブリッドだったし、今年の学祭もハイブリッドでやる予定、というところも多いだろう。依頼されて実施した学内のセミナーもハイブリッドでやった。どこもかしこも何もかもがハイブリッドだ。私はその流れを否定しているのではない。実行する側からするとノウハウを築かなくてはいけないので大変ではあるが、この流れは変わらないだろう。

 私の中での今年の流行語はハイブリッドだ。オンライン一色だった去年と比べれば確実に進化している。去年はオンラインオンリーで、なんとなく「撤退させられた感じ」があった。否応なしに、選択肢がなくて、そうするしかなかったという意味で「負けてはいないが、押し込まれている」そういう印象だった。それと比べればハイブリッドは攻めている感じがする。前進している感じがする。ハイブリッド形式の講義をすることに文句を言っている先生達をたくさん見かける。否定的な意見をたくさん見かける。気持ちはわかる。でも私は教育の質を維持するための武器だと思っている。ジリ貧の戦いから脱却して、前進するための新たな武器の一つだ。再びオンラインオンリーのところまで撤退しないことを祈っている。

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