アスペルガーの恋

〜私〜

私は変わるんだ!
変わらないと本当に死んでしまう!
生きたまま死ぬんだ。生き地獄をまた味わうことになる。

私は感情を殺し続けた。

どんなに辛いことがあっても一瞬で立ち直る!
自分に暗示をかけた

切り替える!
切り替えて手を動かす!

かなり異常だが、私は世界史で見たアウシュビッツ収容所に収監されてる人になったつもりで辛いとか生きることを諦めた瞬間にもっと酷い仕打ちを受けることになる怖さを自分の心に課し、恐怖心から自分を動かし続けた。

そこまでして手に入れた有名大生の称号は指定校で無試験に入った人たちの多くも手に入れていたが、実力の差は歴然としていて私は今までになかった自信をつけることができた。
私が初めて自分の実力で道を切り開くことができたことが何よりも嬉しかったし

それまでの辛い道のりを支えてくれた家族にも感謝していた。

大学に入った頃から私はこういう人生なんだということをなんとなくわかるようになってきていた。いや幼少から気づいていたけれど。

うまく表現できないが、子供の頃の自分のダメさに気づいてやる気を失った状況とは違い

受け入れるというか、本当のことがわかった上で努力できるようになっていたというか。

しかし、どこか、私の子供には私と同じ目に遭わせてはいけない!という気持ちはそのまま残っていたし、本当は自分は誰よりもダメな人間なんだという事実を噛み締めた上で、決してそのことに甘えたり、わかってもらおうとしないように強がることにしていた。

私は子供にはこのような目に遭わせては絶対にいけないんだ!

その為に私は人並み異常の努力をして人としてちゃんとしていたいし、子供の手本になって努力すれば苦労しなくてもいいようになれるんだということを教えたかった。
私みたいに苦労をして傷つきすぎて方向性がわからなくなる人生じゃなくて純粋に努力して成長して、充実した人生をおくってほしかった。

友達にも気持ちを打ち明けることはなかった。

バレないようにしていたし、絶対に甘えてはいけないと頑なに心を閉ざしていた。

甘え始めたら限度を知らない自分のこともわかっていたから過去の甘えた自分に決して戻るまいと人に頼ることも一切なかった。

でもそのことは強がりやプライドが高いと思われても仕方のないことだった。

誰もわかってはくれないだろうし、と言うよりこんな極端なことをしなくてはいけない自分をわかるわけがない。私だって何故なのかわからないのだから。
わかってもらおうとする方が間違ってるんだ。

私はわかってもらえず、誤解しかされない人生なのかもしれない。
それならば、そんなことで悩むのならば、人と関わらなければいい。

必ず壊れてしまうとわかっている人間関係なんだから壊れる前に築かないようにしていこうとした。

私は言い訳と思われることなんてもうしたくなかった。

過程は凄まじすぎて人に見せれば極端だなだと言われ、そうしなければ当たり前のこともできず、努力が足りないだの言われる。

なら、見せなければいい。自分の姿など人に見せなければいい。結果だけできていればいいのなら完成物をつくる過程など見せなくていい。
良くできていれば何も言われることはない。その代わり出来なければ、やり方に介入してくる人がいる。だから私はどれもこれも成功させなくてはいけない。

これが完璧主義と言われてしまう理由だ。

いっそのこと全て手放せばいい。

今でこそ人間関係の断捨離やSNS疲れなんて言われるが当時は SNSという言葉を聞き始めた頃で、私は一切手をつけずにいた。

私がやったらどのように感情が振り回されるかを見込んで手をつけなかった。

お陰で悩むことはなかった。

私自身も登録し、情報の流失の仕方や、それに伴うリスク、精神面での影響を考慮し、結果として近場の人に僻みを買わないが私の記録は残るような繋がりを構築していた。いつか過去の出来事が、何もなかったと疑われないように。

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